
かつて冷戦時代、
核兵器廃絶を唱える運動が、
日本も巻き込んで世界的に活発になった
ことがありました。
これは、本当にあったお話ですが・・・・
広島で、核兵器廃絶のための市民を巻き込んだ、
大きな集会がありました。
その壇上で、ある勇気ある学生が主催者を怒らせる主張しました。
「 なぜ、この集会ではアメリカの核兵器に対する批判のみをして、
. ソ連の核兵器に対する批判はしないのか? 」
すると、主催者が 「バカヤロー」 と罵声を浴びせながら
壇上に上がってきて、
この学生を強引に壇上から引きずりおろしたのです。
当時の反核運動の背景がどんなものであったかが、
この事件を知れば
容易に理解できることではないでしょうか。
この運動の裏では、北側の勢力と、
国内の反日勢力、反米勢力、が
巧みな手法で音頭を取ってたのです。
( もちろん‘反日‘ 国家転覆‘を経営理念とする
‘ 朝〇〇聞‘はこう事は絶対に報道しません )
反戦、平和・反核・・・・・
間違った言葉ではありません。
しかしながら・・・
こういった 「 ご立派なお言葉 」を何の恥じらいもなく
声高々にお吐きになる方々を見ると、
捻くれ者の私は、本能的に疑ってしまいます。
若しくは、そういう方の未来が心配になってしまいます。
(大きなお世話ですが・・・)
こういう運動の背景には、多くの場合
その言葉を利用して、自分が優位に立とうとする
シタタカな勢力が影で糸を引いてるからです。
悲しい事に・・・
善良で、純粋な人ほど、こう云った策略をもつ勢力に
上手いこと利用されてしまいます。
これは、個人レベルでも、
団体レベルでも起きる事のような気がします。
素直で純粋である事は、美徳である事は確かです。
でも、そこでワンクッション置くことが重要だと思います。
「 もしかしたら・・ 」 「 ひょつとすると・・ 」
が大切であると感じます。
地〇〇〇〇・・・・・
C〇〇〇〇・・・・
この言葉を耳にするたびに、
冷戦時代の反核兵器運動を思い浮かべてしまう
捻くれ者は私だけでしょうか?