生きて行く上で、どんな場合もライバルが存在します。
会社勤めをしてても、
自分で事業や商売をしたいても、
何らかの非営利活動をしていても、
慈善事業をしていても、
人が集まって何らかの同じ活動を一緒に行うとき、
必ず、競争意識というものが芽生えます。
‘競争意識‘ 自体はある意味、健全な意識であるはずです。
経済も、社会も、文化も、技術も、
競争意識がなければ進歩は望めません。
しかしながら・・・
この競争心(ライバル意識)は、
自分自身にとって、大きな危険をはらんでいます。
A君が 同僚のB君に対して、仕事上で
強いライバル心をもった。
A君とB君は、別に険悪な仲でも、対立する間柄でもなかった。
A君は、B君を、良きライバルと思い、仲良く
お互い共存共栄してゆきたいと思っていた。
しかしながら・・・残念なことに・・・
いつしか、B君は、A君の足を引っ張りはじめた。
これは、出世欲から来る行為だった。
B君は、A君が仕事上のことで不利になるような
嫌がらせを、水面下で行い始めた。
A君は、同じ土俵で戦うつもりはない、
B君が汚い画策をしてきても、
ヤラレたからヤリ返す、などという事はしなかった。
あくまでも、自分のやるべきことを黙々とこなした、
「 真面目に、正しく、コツコツとやっていれば、
他人は見ていないようで、見ている。それは必ず評価される」
と信じた。
でも・・・悲しい事に・・世の中そんな綺麗事や美談のみで動いてはいない。
その結果、
A君は、出世コースから振り落とされ再起不能の状態まで追い詰められた。
B君はこう思っているだろう・・・
「 自分は、家庭を守らなければならない、
その為にはライバルとなる人間は振り落として
やるしかない、それをしなければ、
いつ自分に危険が降りかかるかわからない。
これも、家族の為だ・・・可愛い子供のためだ・・・」
そして、自分に言い聞かせているだろう。
「A君には悪いが、止むを得ない当然な行為だ」
そんなB君に天罰は下るのか?
そんなB君は、因果報応で将来それ相応の
悪い事が起きるのか?
私は思う。
天罰などない。
神は人を裁かない。
神は全ての人に公平である。
それ故、神なのである。
因果報応 で、それ相応の報いがあるある訳ではない。
だが、B君は必ず将来、それ相応の損失が発生する。
それを、「 因果報応 」 云うのかもしれないが、
この場合、この言葉は、最終結果 を言っている言葉であり、
その‘ 結果‘ にいたるまでのカラクリが重要なのです。
B君は、想定外の困難や、障害や不運に襲われるだろう。
これは、
B君は、周りのひとを欺いたからではない。
悪い因縁を造ったからでもない。
神が処罰を与えるわけでもない。
自分を欺いたからだ。
他者は欺く事ができても、「自分自身」を欺く事ができない。
「自分自身」 とは、言葉を変えれば 「 真実の自分」
「 真実の自分」とは何か?
神の分霊
仏の化身
人間の本質、生命のホントウ姿は、
神であり、仏である。
これこそが、宗教の行き着くところの極致であり、頂点、
人間の本質は神である。
神とは、善であり、儀であり、調和である。
それ故、彼がいくら
自分を正当化しようとも・・・
優越感に浸ろうとも・・・
虚栄心を満足させようとも・・・
彼の内に宿る、神(ホントウの自分)はそれを許さない。
それ故、本当の自分が、偽者の自分に対して、処罰をはじめる。
恐れるべきものは、
自分の外側にはない。
自分の内側にある。
表面の自分は「 これでいいのだ!!! 」 「 自分は正しい!! 」
と思っていても、
彼の内に宿る神は囁く。
「 それで良いのか!!! 」
その声は、無意識のうちに、自分にとって不利な行い、思考を誘発する。
未来の運命とは、「今現在の自分の行動」の結果である。
ならば、‘ 行動‘ の原動力はなにか?
今現在の 自分の意識 に他ならず。
人間には 運命選択の自由が与えられている。
今現在の行動の判断は、理論的思考のように見えるが、
実はそうではない、
そのほとんどが、直感的な要素が支配する。
人間、の判断は、理屈だけでは決定できない。
そんなことをしていたら、 恋などできない。
旅行にいったり、娯楽をする事もできない。
着飾ったり、勉強したする気にもなれない。
何かに夢中になるこもできない。
理屈のみでは、夢がもてないという事だ。
夢がなければ、毎日が真っ暗だ、
大なり小なり、夢を持つことによって生きている。
結局のところ、人間は、自分の夢 を基準に、
直感的な判断で行動する。
夢があるから生きてゆける。
この直感的な行動選択が、 運命を左右する。
自分に有利な選択をする事もあれば、その逆もある。
行動の選択 = 未来
1・心 → 2・行動 → 3・結果
結果は、この3ステップで形成されるのだが、
この部分は、近代心理学 、 最新精神科学の領域で十分説明できる
限りなく、物理現象に近い現象である。
これ以前の問題を解き明かしてこそ、
宗教の意義がある。
人間は神の分霊であり、仏の化身である。
人間はこれを悟る事を目的に、生まれて来た。
これこそが、釈迦の悟り、仏教の真髄
会社勤めをしてても、
自分で事業や商売をしたいても、
何らかの非営利活動をしていても、
慈善事業をしていても、
人が集まって何らかの同じ活動を一緒に行うとき、
必ず、競争意識というものが芽生えます。
‘競争意識‘ 自体はある意味、健全な意識であるはずです。
経済も、社会も、文化も、技術も、
競争意識がなければ進歩は望めません。
しかしながら・・・
この競争心(ライバル意識)は、
自分自身にとって、大きな危険をはらんでいます。
A君が 同僚のB君に対して、仕事上で
強いライバル心をもった。
A君とB君は、別に険悪な仲でも、対立する間柄でもなかった。
A君は、B君を、良きライバルと思い、仲良く
お互い共存共栄してゆきたいと思っていた。
しかしながら・・・残念なことに・・・
いつしか、B君は、A君の足を引っ張りはじめた。
これは、出世欲から来る行為だった。
B君は、A君が仕事上のことで不利になるような
嫌がらせを、水面下で行い始めた。
A君は、同じ土俵で戦うつもりはない、
B君が汚い画策をしてきても、
ヤラレたからヤリ返す、などという事はしなかった。
あくまでも、自分のやるべきことを黙々とこなした、
「 真面目に、正しく、コツコツとやっていれば、
他人は見ていないようで、見ている。それは必ず評価される」
と信じた。
でも・・・悲しい事に・・世の中そんな綺麗事や美談のみで動いてはいない。
その結果、
A君は、出世コースから振り落とされ再起不能の状態まで追い詰められた。
B君はこう思っているだろう・・・
「 自分は、家庭を守らなければならない、
その為にはライバルとなる人間は振り落として
やるしかない、それをしなければ、
いつ自分に危険が降りかかるかわからない。
これも、家族の為だ・・・可愛い子供のためだ・・・」
そして、自分に言い聞かせているだろう。
「A君には悪いが、止むを得ない当然な行為だ」
そんなB君に天罰は下るのか?
そんなB君は、因果報応で将来それ相応の
悪い事が起きるのか?
私は思う。
天罰などない。
神は人を裁かない。
神は全ての人に公平である。
それ故、神なのである。
因果報応 で、それ相応の報いがあるある訳ではない。
だが、B君は必ず将来、それ相応の損失が発生する。
それを、「 因果報応 」 云うのかもしれないが、
この場合、この言葉は、最終結果 を言っている言葉であり、
その‘ 結果‘ にいたるまでのカラクリが重要なのです。
B君は、想定外の困難や、障害や不運に襲われるだろう。
これは、
B君は、周りのひとを欺いたからではない。
悪い因縁を造ったからでもない。
神が処罰を与えるわけでもない。
自分を欺いたからだ。
他者は欺く事ができても、「自分自身」を欺く事ができない。
「自分自身」 とは、言葉を変えれば 「 真実の自分」
「 真実の自分」とは何か?
神の分霊
仏の化身
人間の本質、生命のホントウ姿は、
神であり、仏である。
これこそが、宗教の行き着くところの極致であり、頂点、
人間の本質は神である。
神とは、善であり、儀であり、調和である。
それ故、彼がいくら
自分を正当化しようとも・・・
優越感に浸ろうとも・・・
虚栄心を満足させようとも・・・
彼の内に宿る、神(ホントウの自分)はそれを許さない。
それ故、本当の自分が、偽者の自分に対して、処罰をはじめる。
恐れるべきものは、
自分の外側にはない。
自分の内側にある。
表面の自分は「 これでいいのだ!!! 」 「 自分は正しい!! 」
と思っていても、
彼の内に宿る神は囁く。
「 それで良いのか!!! 」
その声は、無意識のうちに、自分にとって不利な行い、思考を誘発する。
未来の運命とは、「今現在の自分の行動」の結果である。
ならば、‘ 行動‘ の原動力はなにか?
今現在の 自分の意識 に他ならず。
人間には 運命選択の自由が与えられている。
今現在の行動の判断は、理論的思考のように見えるが、
実はそうではない、
そのほとんどが、直感的な要素が支配する。
人間、の判断は、理屈だけでは決定できない。
そんなことをしていたら、 恋などできない。
旅行にいったり、娯楽をする事もできない。
着飾ったり、勉強したする気にもなれない。
何かに夢中になるこもできない。
理屈のみでは、夢がもてないという事だ。
夢がなければ、毎日が真っ暗だ、
大なり小なり、夢を持つことによって生きている。
結局のところ、人間は、自分の夢 を基準に、
直感的な判断で行動する。
夢があるから生きてゆける。
この直感的な行動選択が、 運命を左右する。
自分に有利な選択をする事もあれば、その逆もある。
行動の選択 = 未来
1・心 → 2・行動 → 3・結果
結果は、この3ステップで形成されるのだが、
この部分は、近代心理学 、 最新精神科学の領域で十分説明できる
限りなく、物理現象に近い現象である。
これ以前の問題を解き明かしてこそ、
宗教の意義がある。
人間は神の分霊であり、仏の化身である。
人間はこれを悟る事を目的に、生まれて来た。
これこそが、釈迦の悟り、仏教の真髄