
自分の中には、自分という


が宿る事は確かです。
それゆれ、人の数だけ個性があります。
でも・・・・
それだけに留まりません。
自分と云う存在は、自分の「 祖先の霊 」
の集合体でもあります。

「 独立した霊 」
「 先祖の霊の集合体 」
この二つの要素が一体となっている。
この、 「 一体 」
という言葉、矛盾した言葉にも思えます。
‘ 独立 ‘ とは、「 単独 」ということ、
‘ 集合体 ‘ とは、「 混ざり合ったもの 」
この全く正反対なエネルギーが一体になっているなどと言う事は、
矛盾しています。
矛盾してはいますが、これが 真実 なのです。
霊 は、「 あの世 」 に存在しています。
でも、「 あの世 」 とは、
別の場所にある訳ではありません。

「 あの世 」 は、「 この世 」
と同時に存在しています。
物理学者の デビッド・ボーム は、 、
目に映る物理的な世界を 「 明在系 」
( めいざいけい ) と呼びました。
目に見えない世界を 「 暗在系 」
( あんざいけい ) と名づけました。

ボームは「 全体性と内臓秩序 」という著書でこう述べています。

『 暗在系 では、 明在系 のすべての物質、精神、時間、
空間が全体として たたみ込まれていて、分離不能である。』
ここで言う、「 たたみ込み 」 とは、
数学でいう、「 直交変換 」 という概念です。
これを、「 あの世 」 と 「 この世 」
に当てはめて考えると、
先に述べた矛盾が矛盾で無くなるのです。

「 あの世 」 には、時間も空間もありません。
それ故、独立した個性( 霊 )
を特定することは出来ません。

「 この世 」 には、独立した自分が存在します。

最先端物理学( 量子力学 )の理論では、
明在系 と 暗在系 は分離不可能。
即ち、 この世 と あの世 は渾然一体となっている。

「 この世 」 ( 今の自分)
のどの部分を切り取っても、
その中に 「 あの世 」 (先祖の霊の集合体)
が たたみ込まれている。( 直交変換 )

即ち、
自分と云う存在は、自分であって自分でない。
それを自覚しないことには、先祖を喜ばすことが出来ません。
「 先祖を喜ばす 」
これが先祖供養なのです。

先祖を喜ばす方法とは?
自分自身が喜ぶことです。

但し・・・家族を犠牲にしたり、
文明人としての基本的な常識や経済観念を排除した
独りよがりな自己満足、自己陶酔は
多くの人に迷惑をかけるだけです。



自分のしたことで、ひとが喜べば自分も嬉しくなる。
自分の魂が歓喜をあげる。
それが、自分の中に宿る先祖の霊に通じる。
そして、先祖が喜ぶ。
先祖が喜べば、それはそのまま、直交変換され、自分に反映します。
自分も更に嬉しくなるのです。

嬉しい状態とは、心が安定し、
周囲の状況が改善され、苦悩や苦難が消え去って行く状態です。
どういう状態を幸福と呼ぶか?

人には、人それぞれの 幸福があります。
自分にとって幸福な状態とは、
そのひと自身の魂のみが知っていることなのです。
自分にとっての幸福とは、自分にしか分かりません。
これは、他者との比較や、競争とは別次元です。


これこそが
人間の運命を決定付ける最大の要素なのです。