フロイトの「 花瓶を割った医者の話 」は、
人間には、自覚のない「 無意識の領域 」
が存在している事を説明する上で、
ひじょうに興味深い話であると思います。
フロイトはあくまで精神医学者としての立場で、
人間の心の生態を追求したひとですが・・・
フロイトも、ユングも、最終的にはオカルト的な
世界に足を突っ込んでしまいました。
これは、非常に危険なことだと思います。
これは、私の持論ですが、
科学者は科学者の立場を越えてはいけないと思うのです。
医学は科学ではない???
いえ、、、科学であるべきと思います。
医学を研究する者が、その一線を越えてしまうと、
限りなくカルト宗教になってしまうと思うのです。
ひとことに「 医学 」と言っても、医学には、
疫学 ・ 病理学 ・ 臨床医学
との分類があります。
私は専門家ではありませんので、
雑学程度のな事しか解かりませんが、
このなかの、「 疫学 」というのは、
平たく言えば、 「 統計 」の事らしいです。
多く人間の持つ、さまざまな要素と、病気の因果関係を
統計的に分類して、そこから仮説をたて、
病理学 → 臨床医学
と発展させて、治療方法を確立するみたいです。
この、「 疫学 」とは、ある意味、
観察者の主観が入りやすい部分だそうです。
例えば、研究者が、「 タバコは絶対悪だ 」
という主観をもって、疫学( 統計 )の手法で検証したなら、
必ず、 「 タバコは絶対悪だ 」
という統計的結論を出す事ができる。
逆に、 「 タバコは必ずしも、絶対悪ではない 」
という主観をもって、検証したら、
「 必ずしもタバコが絶対悪ではない 」
という結論を導き出す事ができる。
要するに、
何をサンプルにするかで、導き出される結果は、
180度、変わってしまうとと言うことなのです。
かつて日本は世界一の喫煙率でした。
しかし、その当時の統計では、
肺ガンの発生率は世界的に見て極めて低かった。
その反面、胃ガンの発生率は、世界のトップだった。
日本と比べて、はるかに喫煙率が低いドイツのほうが、
肺ガンの発生率は、桁違いに発生率が高かった。
最近はあまり見かけなくなりましたが、
「 タバコを吸ってた人の、肺の写真 」
真っ黒な状態で、それを見た人は恐怖心を持ちます。
その写真の横には、
「 タバコを吸っていなかった人の肺の写真 」
綺麗な色をしています。
この写真のアピールは、
「 非科学的な低俗な行為 」です。
身元不明の変死者の遺体を解剖する、
解剖医の書いた著書に興味深いことが書いてあります。
「 身元不明の変死体を解剖した時、
その遺体の肺を観察しても、
その人が、タバコを吸っていたいた人なの
かどうかは、判別不能。
喫煙者か、非喫煙者かの判別は、‘ 歯 ‘を観察する。 」
とのこと・・・
この解剖医の話を聞く限り、
「 肺の色 」、と「 喫煙 」の絶対的因果関係はないのです。
肺の状態は、居住地域の環境的要素、
個別の身体的要素に寄るもので、
喫煙とは無関係。
あの恐ろしい写真は、
意図的に、「 真っ黒な肺 」の写真を探してきて、
「 普通の肺 」を並べただけの
「 おとぎ話 」 なのです。
余りに幼稚な手法です。
こんな事をしていたら、
作為的に選び出した、
「 水の結晶の写真 」を、
科学的な根拠がある!!と断言して、
「水は語る???」とか・・
奇怪な主張、
モットもらしい解説を加え、荒稼ぎな商売をしている、
疑似科学の達人 〇〇 〇氏と同列になってしう。
( 厳密には氷が解ける時の過程をを映した写真 )
こういうのを、
「講談師」・・若しくは「 ガマの油売り 」
と呼ぶのではないでしょうか?
「お伽話です・・」
と断って布教する分には罪はありませんが。
「科学的」と言った瞬間
・・・詐欺・・になります。
だからといって、タバコの害は無いと
結論付ける事は出来ません。
トータルな意味で煙草は有害であるという可能性も高い。
しかしながら・・・
こういう「 公正ではない非科学的広告 」
がされている事も確かです。
なぜ、そんな方法を取らなければならないのか???
要は、「決定的根拠」が無いからです。
真偽はともあれ・・
どんな事をしてでも、
「煙草は絶対悪」とせねばならぬ・・・
感情的な前提が存在している。
タバコは吸わないに越した事はありません。
タバコについては、私なりに思うことがありますが・・・
それを言うと現在、一般常識となっている、
「 非科学的なヒステリックな理論 」
の逆鱗にふれてしまうので、
気の弱い私は、
恐くて申し上げることはできません。
郷に入りては郷に従え・・
無駄な対立はエネルギーのロス・・
思い。
私も20歳の時から34年間吸っていた
煙草を54歳でやめました。
とはいえ・・・
東大名誉教授の、養老猛氏など、
飛びぬけた大物学者は、
ヒステリックな連中に袋叩きにされる心配がないので、
まったく臆することなく、
堂々と自分の見解を表明しています。
元慶応大学教授・三石巌氏も、
堂々と、公正な立場で、科学者のプライドを持って、
客観的な「科学的主張」を表明しています。
皮肉な事に、三石氏の著書の裏表紙には、
国立がんセンターの部長・永田親義氏の
推薦文が記載されています。
永田氏も、表立っては言えないだけで、
本音では・・・・と考えているのでしょう。
大物でない一般の学者は、
思うことがあっても、ヘタな事を言って、
干されてしまってはおしまいだと思い、
とりあえず歩調を合わせているだけなのかもしれません。
「科学の迷信」を説明する為に
「煙草絶対論」の話をしましたが、
「 科学の迷信 」の創作は、
研究者が、必ずしも作為をもってやっているとも限りません。
でも、「 自分の望む答 」「 望まれる答 」を出す為に、
「 無意識 」
が関与している事も多くあるはずです。
科学や、医学に、垣根をなくした状態で、
宗教が入り込んでしうと、
その主観的要素が、かえって邪魔になると思えるのです。
科学と宗教を融合させないことは、
もったいないような気がすることも確かですが、
リスクが高すぎる。
垣根をなくしてしまうと、そのことによる害悪が
間違いなく発生すると思うのです。
これは、「 宗教 」が、
場合によっては、対立と戦争を誘発したという、
歴史的事実と同じような関係性があると思います。
この状態こそ、カルト宗教予備軍のような気がしてなりません。