名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

真に強い人間

2015-05-29 | 宗教

人間のホントウの姿は、
「神そのもの」
人間は、全知全能の神が創った、
完全・円満な存在です。

完全なる存在であるにも関わらず、
何ゆえ・・・それがそのまま
「 現実の人間」 の姿に
なって現われないのか?

仏教では、四苦 ・ 八苦 ・と云いますが、
人間の生命を悲観的な捉え方をしたら、
苦しいことばかり、
悲しい事ばかり、

とはいえ・・・世のかなには、
羨ましい生活をしている人もいる。

容姿端麗、
社会的成功、
地位や名声、
有り余る能力、
十分な物資、
強靭な肉体、
お金に不自由しない環境・・・

こんな、完璧そうに見える人も確かに存在します。

でも・・・
これは、「傍目に見れば、完璧に見える」という事だけで、
そういう人も、
その人にしか分からない苦悩と戦って生きているのです。

わたしは、いままで、
多くの不幸な人、幸運な人と接して来ました。

そして、、深く語り合いました。

そのなかで思ったことは、
傍目に見て、、最高に幸せそうにに見える人も、
実は多くの悩みを抱えているという事です。

そういう人は、そういった愚痴を他人には言わないだけで、
決して、何もかもがラッキーな訳ではないのです。

豊かな人も、豊かでない人と同じように、
生きてゆく限り、苦悩、不安、葛藤があるのです。

こういう人こそが、「 真に強い人間 」なのです。
それ故、多くの人に勇気と力を与える事が出来る。

豊かな人程、
「 暗いと不平を言うよりも、自分で灯りを点けましょう 」
を実行しているだけなのです。

泣き言、不平不満、ばかり言っている人は、
如何に善良でも、清廉潔白でも、慈善を成そうとも・・・
結果的に、周囲を暗くし、不幸をバラ撒くのです。

それ故、その連鎖で自分が更に不幸になる。
それは、人格とは無関係なのです。

ならば・・・

健全な人も、不健全な人も、
どちらにせよ、
「 苦しみ 」が付いて廻るという事に
なってしまう。

人間は、苦しむ為に生まれてきたのか?

否! 否! 否!

鳥は空気の抵抗が無ければ飛ぶ事ができません。
魚は水の抵抗が無ければ泳ぐ事が出来ません。

人間の心のが作り出す、煩悩や執着や憎悪 とは、
一見無駄なもののように思われますが、
無駄なものではないのです。

これは、自分の内に宿る、完全なる 「 霊 」

を ‘この世‘( 目に見える世界 )
で運用するための、「 障害物 」 なのです。

鳥にとっては、空気抵抗 ( 障害物 )が必要なのです。
魚にとっては、水の抵抗 ( 障害物 )が必要なのです。

苦しみや、悲しみ、苦悩、煩悩、執着、
これら、すべては、人間が作り出した妄想なのですが、

鳥が空気抵抗を必要とするように、
個別の人間にとって、障害物も必要なのです。

苦しみ、怒り、憎悪、嫉妬、不満
これらの源は、煩悩なのです。

しかしながら・・

煩悩こそが、
人間の人間たる所以があるのではないでしょうか。

あの世 ( 目に見えない霊魂 )
を、
この世 ( 目に見える 現象世界 )
で、 運用 する為には、
煩悩 も必要なのです。

煩悩を絶つ必要などない。

親鸞聖人は言いました・・・

「 不断煩悩得涅槃 」

私が思うに、

煩悩と和解することのほうが遥かに重要なのです。

和解したとき、自分を取り巻くすべての物に対し、
「 感謝の念 」湧き上がってくる。

この域に達した人は、
「 万事すべて好都合 」なのです。

これを目指すのが「 真の求道 」であると思うのです。

運命 ????

運命って何 ???

運命即ち 「 命の運用 」なり。 

鳥が、空気抵抗を憎み、
「空気なんてなくなってしまえば良い。」
と、思ったら、それは本末転倒。

その願いがもし実現したら、鳥は空を飛ぶ事が出来ない。

空気と和解したとき、初めて鳥は鳥らしく空を飛ぶ。

自己に宿る、完全なる 「神の生命」を、
自分に与えられた命を、
 もっとも有効な形で 「 運用 」 する。

これを 私は、「 運命選択の自由 」と呼ぶ・・・

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