1952年5月1日、東京の皇居外苑で発生のメーデー事件。
72年前、デモ隊と警察部隊とが衝突した事件だ。
戦後の学生運動で、法政大学生が初の犠牲者となった。
その「葬儀デモ」の先頭で経文を唱えた植木等さん。
その植木等さんが、青島幸男の作詞。
不真面目っぽい「スーダラ節」を歌うかどうか。
父の徹誠(てつじょう、本名は徹之助)に相談。
徹誠は、職人から労働争議を経て反戦僧侶となった人だそうな。
「わかっちゃいるけどやめられない」・・・。
これは、人間の矛盾をついた真理で親鸞の教えに通じると言う。
「必ずヒットするぞ」と勧められ世に出た曲・・・。
それが、1961年の『スーダラ節』だという。
植木等さんは日本一の無責任男と一世を風靡。
徹誠は、檀家にて出征兵士の前で、こう語ったと言われる。
戦争は集団殺人、卑怯と言われても生きて帰ってくること。
人に当たらないように鉄砲を撃つこと、と説いたとか。
全国水平社の活動にも参加し・・・。
治安維持法違反で4年間投獄された徹誠。
遺した言葉は、こうだ。
治安維持法成立まで、反戦言動は合法だったのです。
できる、できないの問題ではなく・・・。
する、しないの問題だった・・・重い言葉だなぁ。