函館発「団塊オヤジの独り言」

団塊世代の心意気をブログから情報発信。
遊び心を入れて日々思うこと、感じることを徒然なるままに・・・・。

植木等の父

2024年11月23日 07時16分15秒 | オヤジのつぶやき

195251日、東京の皇居外苑で発生のメーデー事件。

72年前、デモ隊と警察部隊とが衝突した事件だ。

戦後の学生運動で、法政大学生が初の犠牲者となった。

その「葬儀デモ」の先頭で経文を唱えた植木等さん。

その植木等さんが、青島幸男の作詞。

不真面目っぽい「スーダラ節」を歌うかどうか。

父の徹誠(てつじょう、本名は徹之助)に相談。

徹誠は、職人から労働争議を経て反戦僧侶となった人だそうな。

「わかっちゃいるけどやめられない」・・・。

これは、人間の矛盾をついた真理で親鸞の教えに通じると言う。

「必ずヒットするぞ」と勧められ世に出た曲・・・。

それが、1961年の『スーダラ節』だという。

植木等さんは日本一の無責任男と一世を風靡。

徹誠は、檀家にて出征兵士の前で、こう語ったと言われる。

戦争は集団殺人、卑怯と言われても生きて帰ってくること。

人に当たらないように鉄砲を撃つこと、と説いたとか。

全国水平社の活動にも参加し・・・。

治安維持法違反で4年間投獄された徹誠。

遺した言葉は、こうだ。

治安維持法成立まで、反戦言動は合法だったのです。

できる、できないの問題ではなく・・・。

する、しないの問題だった・・・重い言葉だなぁ。


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