讃岐も東の街。
白鳥神社で風鈴や風車を境内に飾っているテレビのニュースを観て、そこへ見物に行った。
神社の門を潜ると参道に沿い、風鈴が飾られている。
ガラスの風鈴だ。
涼しげではあるが、風鈴の音は今いちどって感じだ。
御手洗の屋根の下にも、風鈴が吊られている。
風鈴は、様々な邪気を払うために寺院の軒につるした鈴・風鐸(ふうたく)が起源とされる。
御手洗の屋根には幣が飾られ、いかにも神事の趣だ。
ガラスの風鈴は静かな音色で勿論、だれにも迷惑をかけない鳴り方だ。
しかしながら、私は現在まさに風鈴でマンションで諍いの最中なのだ。
南部鉄の我が家の風鈴には風が集まってくる。リンリンと聞こえがしに誇らしげ鳴る。
俳句に親しんだり、風流を好む自分としては風鈴は夏の風物詩と愛されてしかりと思っていた。
が、今の日本社会?特に我が家をとりまくマンションの住民にとって風鈴は無用の長物、騒音以外の何物でもない存在なのだ。
唐時代の中国には、占風鐸(せんふうたく)という占いがあった。
自然の風から様々な情報を読み取り、物事の吉凶を占う方法です。
その占いに使う風鐸(ふうたく)という道具が、風鈴のもとになったといわれているらしい。
(全く持って、付け刃ではある。)
そして昨年の事。
一枚の紙が我が家に届いた。
「風鈴の音で近隣住民が迷惑をしています。風鈴を外して下さい」
どうも階下の住民の眠りを妨げているのかも?
私がカチンとなったのは、マンションの住民を近隣住民と記した事。
勉強不足の私は、同じマンションに住む住民を近隣住民と称するのだろうか?
疑問(あくまで私の主観であるが)
嘆かわしい事だ。
そしてマンションの管理人が、
「私がお掃除をしていても、お宅の風鈴がよく聞こえます」
との一言。
昨年は風鈴を外した。。
そして今年、他のことで、管理会社の一枚の文章に、思う事が。
ぶり返されたのが「今年の文章」と去年の「管理人の一言」
管理人の出過ぎた言葉!身分をわきまえていない言葉。
(差別で言ってはいない。住民間の問題で管理人は白黒と立ち入ってはいけない。)
そんなこんなの風鈴問題を抱えていても、風鈴は好きだ。
この夏の愛する風物の中に身を置いて楽しむために、神社に訪れたのであった。
私は昨今の世の中に認識不足。
浦島太郎のように身についた老いを認識していないようだ。
風鈴(老兵)は去る者らしく、全国で風鈴による騒動や問題が起こっているようなのだ。
世知辛い世の中。
風鈴に目くじらを立てる人の毒牙に我が家も敵にされたようだ。
(私は悶々と不定愁訴の日々が、、、、)
風鈴に罪は無い。
一刻、海から松原を吹く抜けてくる風に鳴るのを聞いて満足をした。
🎐 カラコロリン鳴るガラスの絵風鈴
🎐 風涼し少女凛々しく弓を引く
🎐 風鈴の下青い袴の禰宜通る