老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

 なんでもかんでも 芸術?

2019-05-23 01:04:50 | 俳句

    

 

「ジョルジュ・ギャラリー」

100年前の古民家を改装した私設のミュージアムだ。

小豆島は醤油屋さんが多く、その地区の一角の昔は下駄屋だった家を、瀬戸芸の開催と同時にジョルジュ・ルースが作品製作を提案し、その政策過程を記録として残している。(そうだ)

 

        

玄関の框を上がると祖父の帽子。      

 

      青梅雨の帽子が帽子掛けにある    川崎展宏

 

この句を想う。

      

 

金色箔のインスタレーション(製作現場)

これが芸術なら、秀吉の金の茶室もそうか?なぞと芸術に造形のない私は、、、

 

            冬の日や臥して見あぐる琴の丈     野澤節子

 

祖母の琴と祖母の鏡台(嫁入り道具)が。

琴を見れば野澤節子の句が。 

私は昨年、夫の実家を手放してしまった。その時ずいぶん昔に習っていた私のお琴を、家もろとも整理をしてしまった。その事を少し哀しく想い出してしまった。

鏡台は亡き母や義母も、このような鏡台カバーの掛かったのを使用していた。

 

       

 

          いつまでも女でゐたし初鏡     鈴木真砂女

 

古い白粉の匂い、引き出しから出してくれる、お小遣い、母の大切にしていた琴爪や貝合わせの貝などがまなかいに浮かぶ。 真砂女さんのように粋な生き方も世界も知らぬ田舎の女の母が恋しい。

 

    

 

           野が見ゆるガラス障子や冬籠   正岡子規

 

         

昭和の初期のガラスだろう。歪みがある。それが風情といえば風情のガラス障子だ。 廊下の隅の障子はは絵ガラスが入っている。 全く実家と同じ簡単な山の絵。懐かしい。

 

     

 

           本棚の波郷は老いず去年今年    八橋隆文

 

         

 

本箱の上に下駄?それを聞くと、ここは昔は下駄屋だったと教えられた。

全集の初版の本か?。古くて読めない。正岡子規と、辛うじて読める。手に取って見たいが、宝物のような本。大切にこれからも残してほしいと思った。

 

普通の庶民の生活だったのだろう、私の育った家と変わらない、それが懐かしく感慨深かった。

 

壁や床に金箔さえ貼らなければ普通の古民家。

芸術祭が終わればギャラリーとして、小豆島の芸術家達と共に発展を遂げるのでしょう。

 

              

 

              病葉や潮の香のする島の露地

         青簾小筥の底に琴の爪          

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     小豆島行きの船に、、、、

2019-05-22 05:44:54 | 俳句

   

 

お天気が良かった。 高松港から一番待ち時間の少なかった、島行きの船に乗った。

女木島(鬼ヶ島) 男木島(猫の島) 直島(芸術の島、、、目下世界中から観光客に人気のある島) への切符売り場で小豆島行きの船が一番早く改札をされたので乗船をした。

 

          

 

フェリーにはバスや自動車が次々に乗り込んでくる。

 

      

 

部屋に入るより一時間ばかりの船旅だ。写真を撮ろうとデッキに、、、

デッキからは、見慣れた高松港の風景が。 向うの桟橋の、めおん丸には早くも鈴生りの乗船客が。

 

 

 

10分くらいすると、最近訪ねた、大島が見えた。 今日も港には二隻の船が停まっている。瀬戸芸の観光客もきっとたくさん訪れているに違いない。

 

    

 

丸いドーム型の屋根は納骨堂。故郷にも帰れず、ここで一生を過ごした方々がお祀りされている建物だ。

     

         

 

赤と白の澪標がぽっかりと浮かんでいる。(高松に近い)

小豆島に近ずくと緑と白の澪標が浮いていた。

 

   

 

丸いドームを積んだ船にすれ違った。何?を積んでいるのかゆっくりと遠ざかって行った。

 

     

 

小豆島に近づくと、程なく目にしたホテル。 志度の家の二階の窓から、このホテルが見える。 どんなホテルだろう、、と一度泊まりにきたことがある。

元気だった、殿を連れてきた。動物は受け入れていないホテルであったが、好意的に殿と一緒に泊まれる部屋の用意をしてくれた。 殿の喜んだのは勿論。

一夜明けて次の朝、二時間くらい殿と、ホテルの周辺の散歩をした。周辺には別荘が多かった。

志度からこのホテルが見えるのだから、ホテルから我が家も見えるのではないかと双眼鏡を持って来ていたが、小さな我が家は全く見えなかった。

山や樹木で邪魔をされて、あの辺が我が家?と思えるくらいの場所しか見えなかった。 そんな想い出のホテルだ。

 

写真を撮るのにも飽きて、船の休憩室に入る。思いかけず、座る椅子もないほどの混みかた。 やっと一番前に空いていた椅子を見つけた。

思ったのが、ここは日本? 以前の旅で香港からマカオに行く船に乗った時と全く同じよう。船の中は割れんばかりの外国の言葉が飛び交い、ああ元気だ、活気にあふれていると思った。 そんな事は今まで一度も思い出したことは無かった。 それが、昨日の船は、まあこの喧騒は、、、。私が間違って別世界に踏み込んだのかと感じた。そんな次第だった。

 

     

 

小豆島の土庄港に近づく。 やはり島に違いない。港の傍まで山が迫っている。きれいな道路が上へと続いている。

 

誰に気兼ねもしない一人旅。元気な自分を見出した。 瀬戸芸が26日の日曜日で終わる。どうせ歩くなら、見知らぬ場所を散策するのが楽しい。そんなこんなで、港まで夫が送ってくれて、あてずっぽう、いいや歩くのと、瀬戸芸の作品も一応見ておこうか?と島旅に。

そんな昨日だった。


      ⚓     オリーブの花エトランゼめく船の旅

 

     

     

     

 

       

  

     

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  そのうち 俳句になればいい。

2019-05-20 12:26:57 | 俳句

    

 

昨日は野暮用があって、高松市にある中央公園の傍にある建物の中の事務所へ行った。

公園では、爽やかな五月の空のもとで ロックヘェスティバル が開催をされていた。空をつんざくような大きなロックギターの音楽が流れいる。

ロック音楽は、私にとっては縁が遠いし理解をしがたいが、決して否定はしない。

会合が終わって、楽しんでいる若者の後ろに立つ。お尻を左右に振って聴いている自分に気づいた。

 

                ロックギター手拍子五月の空を突く

           新樹光踊る吟行手帳かな

           緑陰に出番待ちゐるロック歌手  

 

まあ、月並な句だこと。いや月並み以前だ。

「 俳句は文学であること。」

> ただ経験したことの報告や説明は俳句ではないということ。 現実で起るさまざまな出来事は俳句の重要な素材ではあるが、それをそのまま写したからといって俳句にはならない。

> 世間では類句 類想をやかましくいうが、これはそれだけの問題ではなくて文学であるから、前へ進むことが大事なのである。

> 俳句は伝わらなくてはならない。分らない俳句、曖昧な俳句は俳句ではないということ。

師の書いた「俳句自在」を読んだ。

理解したうえで月並みといえるか?俳句以前の問題が欠如をしている。

しかし、この月並句を元に推敲と心の奧をさぐってゆくためにあえてブログに書いているのは重々承知している。



私は俳句愛好者。師のページを自分に解るように抜粋をしただけ。 師の書いた俳誌の文を全文書き写せば、ブログを読んで下さる人も、ああそうかと思う事もあろうが、自分に分ればいいと尻切れ蜻蛉の抜粋になっている。 私は想い出して、我が道を行く為に、そうなんだ~。


        

プレバト俳句も俳句? そうなんだ~。 人さまは人さま、私は私!

      

 

 

  

 

     

 

     

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

    卯月  

2019-05-19 15:49:54 | 俳句

           

      

幾たびも風に飛ばされそうな帽子を脱いで手に持って歩く。

あいにく日傘を持っていなかったから太陽を思いきっり浴びる。襟ぐりの大きいワンピースを着ていたので、日焼けが気になるが、たとえ傘をさしたとしても、そのままさして歩ける状態ではない強い風だ。

用事をすませて、時間が余ったものだから、さてどこへ?困った。行く所が無い。 港へ足を運ぶ。

時計を見ると、どこかの島へ瀬戸芸を観にゆくこともできるが、港に止まっていた「めおん丸」には鈴生りの乗船客が見える。行きは良いが帰りが怖い。前回は鬼ヶ島から乗船しようとした客は積残して船は出てしまったのを、船から見ていた経験がある。今日は日曜日。そんな事もふと頭をよぎる。最終便に乗れなかったらどうする?まさかそんな事もあるまいが、日を出直して瀬戸芸の島は訪れよう。

 

     

 

五月の港の公園は薔薇が咲いている。いつもながら綺麗だ。今年は瀬戸芸のお客さんを見込んで、いつもの年よりか手入れも行き届いていてすばらしい。

 

    

 

バラのアーチを潜る。葉を透かして、光の矢が幾本も射している。 あまり香がしないのが残念といえば残念だ。

 

        

 

紫色をした薔薇。写真では本来の紫色が出ていない。

 

風が強いから、花びらが触れあって痛みの激しい薔薇ばかりだ。

 

  

 

薔薇は美しすぎると私はいつも思う。 ガーデニングでは咲かせるのが難しい。私には。

 

       

 

このような系統の色が好き。

 

         

 

そして開ききった花より莟にの内とあと少しで開きますというのが好きだ。

 

ネット句会が全没だった。少し海からの風に吹かれ、薔薇を見、大きな旅客船を見て憂さも晴れた。

 

            あらがへぬ風に薔薇傷重ねけり 

            ロックギター卯月の空をかきまはす

            男木と女木の島奧行く青嵐

           

          


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

   ベランダで ガーデニング

2019-05-17 22:12:47 | 俳句

          

 

最近はせっせとベランダでガーデニングに挑戦をしている。

ちまちまと狭いベランダ。パソコンでベランダガーデニングのページなどを開いて参考にしているのだが、みんな条件が違うから、いいな~と思ってもなかなか真似ができない。少しも満足ができない。

向うの家から使い古した鉢を夫に運んでもらう。土を買う。花を買う。

春の花が終わって、夏の苗を買った。 やっと鉢に根づいたが、花の盛りはまだ先のこと。


                     
 

自分の思ったような満足をするベランダになるには程遠い。

朝、目が覚めると窓を開く。花の成長が気にかかる。狭いながらも咲いている花を見る、至福の一刻と言えよう。

 

      

 

もう一方の隅には、ほんの少し鉢を置いている。

 

      

 

私の部屋のベランダには四~五鉢。 すべてを気にいったようにするには時間と労力と、まだまだ何かが必要だ。

 

今日は美容院へ行く。

待ち時間に「家庭画報」を見る。大きな邸宅の広い庭。名亭、名園の庭。ため息が出る。素晴らしい庭は目の保養にはなるが、ヒント?など大それたものは思いもつかぬ。

狭いベランダに簀子を敷き詰めて部屋と一体感を出して満足しているのが、せめてもの気休めだ。

 

             梔子の香や昨夜の灯が残る町    

             ベランダで飼はぬ犬猫蚊も蠅も

             摘みたてのルッコラ・パセリ朝の風     

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする