大阪水曜ほっと集談会一世です。
昨夜はメジャーリーグベースボールの中継とそれにまつわるギャンブル依存症の報道を見ながら、疲れて寝落ちしてしまった私です。
何とも目覚めの悪い朝です。
あらためて、依存症とは何だろうか、という疑問が脳裏をよぎりました。
人はうらやまれるような報酬や社会的なステータスを得ても、不安や恐怖からは逃れられないと言う事実に唖然としました。
むしろ社会的に注目され、それに伴う報酬を得れば得る程、不安は雪だるま式に膨れ上がりストレスを解消するための飲酒やギャンブルがさらなる不安を作り出すのかもしれません。
私はアルコールやギャンブル依存についてはわかりませんが、ある時期完全な仕事依存でした。
いわゆるワーカーホリックです。
常に何かに追い立てられている気がして落ち着かず、次から次へと仕事をこなしているうちに、当たり前の感覚がなくなっていきました。
極度の疲労が脳の電池切れ状態を引き起こし、季節感もなくなり自分の意思をどう表現したらよいのかさえ分からなくなっていきました。
珈琲を飲もうと入ったカフェで、メニューが決められなかったのはこの時期です。
早朝覚醒が頻繁に起こり、常時強い疲労感に悩まされていました。
ブログ書くために早起きをする現在の健康的な生活とは雲泥の差です。
残念なことに当時は自分が仕事依存に陥ってることが、わかりませんでした。
振り返りますと生活の為とはいえ、かなり心身ともに、追い込まれていたことは事実です。
当時の生活は心にかなりのダメージを与え、回復するのにかなりの時間を要しました。
私には依存症に対してコメントする力量はありません。
だがこれだけは、書き添えておきたいと思います。
依存症になるひとは、意志が弱い、人間的に弱いという日本人特有の精神論に基づく情緒的な決め付けはやめてもらいたい。
これは明らかに骨折やがんと同じように、治療をしなければならない病なのです。
依存症の背景に、自分への不信感や寂しさが、見え隠れするような気がする一世です。
本日は、依存症研究の第一人者と言われる斎藤 学氏の著書からその心の内側を学んで見たいと思います。
※今日の心に響く言葉
自尊心を奪われている人は、自分を大切にする感覚が失われています。
自分が正しいと思うこと、自分が美しいと思うことを貫いて潔く負けるより、数値ではかれる「勝利」だけにこだわってしまうのです。
そこから様々な不正も生まれてきます。
「勝ち負け」「優劣」をつける社会の中でどちらが優位に立ったか一喜一憂しながら駆け引きをする。
そんな人間関係しか持てなければ寂しいのは当たり前です。
その人にとって、周囲の人間は全て「競争相手」なのだから「友だち」にはなれません。
表面的には友だちのふりをしていても、心の中ではいつも「あいつに勝っている」「あの人には負けた」と勝敗の結果をつけているのですから。
2024.3.22 一世
※タイトル:自分のために生きていけるということ。
副題 寂しくて退屈な人たちへ
※斎藤 学(さいとう さとる)氏
※大和書房