大阪水曜ほっと集談会一世です。
おはようございます。
昨日職場で元気のないスタッフがいたので、少し声かけをして森田で学んだことを私なりに言い換えてさりげなく話をしました。
退社時の「お疲れ様でした」の挨拶が、元気よく感じたのは偶然でしょうか?
本日、なぜこのようなタイトル思いついたのかよくわかりません。
以下は、私の率直な思いです。
ただ、ただ残念なのです。
症状から解放されたときに、いい意味でも悪い意味でもその人の人間性や品性が表れるような気がします。
その中には、お金への執着や名誉欲などもあります。
ところで自助グループ活動の学びを進めていく中で理論を習得すればするほど自らや他者をコントロールしようとしてあるがままから離れていく人たちがいます。
さらに自分の承認欲求や自己顕示欲をそこに発揮しようとする人たちも現れてきます。
また真逆ですが、もう自分は学ぶべきものは無いと判断してグループから早々に離脱する人もいます。
自分が、そのグループに対して何が出来るだろうかという発想がないのです。
かつての私がそうであっただけに、どちらも残念でなりません。
森田博士のいわれる自覚や人生観の変化、犠牲心の発動を感じることなく森田から離れていく人がおられるのが残念で仕方がないのです。
森田は人生における重大な危機から日常生活の小さな人間関係にも応用できる人間学だとあらためて感じる一世です。
※今日の森田博士の言葉
私どもがこの老年になっても、まだ大人げもなく、自分が人からほめられたい、悪人と思われたくない。
それで自分で、いろいろな理屈をつけ、自ら弁護し、自ら欺き、人をも欺いていることが多い。
2024.3.16 一世