大阪水曜ほっと集談会一世です。
今朝方激しい胸痛で目が覚めました。
何とか出勤しています。
過労や心のストレスや飲酒が、誘発要因です。
すぐさま神経質センサーが、機能します。
ありがたいことです。
本日の壁紙は昨年撮影した菜の花の写真です。
私たちは、四季の移ろいに心癒されることもあれば、また時には自然の脅威によりストレスにさらされることもあります。
何を、どの部分を切り取るかによって見方が随分変わります。
さて今日は人生に対する意味づけ、更には、広い意味での人生観が変わるとどうなるかについて少し書きたいと思います。
この点について、森田博士もアドラーもある共通点があります。
アドラーは、私たちは客観的な事実に基づくのではなく、自分が意味づけした世界に生きていると考え、同じ経験をしても意味づけ次第で全く人生が違う世界に見え、変わることを指摘しています。
事実か、裏付けはわかりませんが後にアドラーの教えが認知療法の原型になったという考察を、何かで読んだこともあります。
一方森田療法においては、アドラーの意味づけに相当するのが、人生観という言葉に見ることが出来ます。
病気ではないかという誤った人生観は、主観的な悩み苦しみを生み出します。
それに対して外から見れば健康者であると言い、健康者として振る舞うことで客観的な事実認識に、変えていくのです。
森田博士は、人生観が正しくなれば、初めて全快して再発しないのである。
と言われています。
さらに人生観が変わったから病気が治ったのである。
と述べられています。
ここでいう人生観とは、心の事実、人間性の事実、ひいては自然界の法則を意味していると私は感じています。
私たちは、意味づけを変え、人生観が変わることで、自分が望む未来を選択することもできるはずです。
※今日の森田博士の言葉
不眠でも赤面恐怖でもなんでも、これを治そうと思うあいだは、どうしても治らない。
治すことを断念し、治すことを忘れたら治る。
森田正馬全集第五巻より
2024/03/02 一世
※アドラー「人生の意味の心理学」参照