大阪水曜ほっと集談会一世です。
対人不安さえなければ、不安発作さえなければ自分はこんなこともあんなこともできるのにと、思われた経験はありませんか?
事実集談会では、そのような声を聴かせていただくことが多々あります。
不安を強迫行為でねじ伏せようとした結果、疲労困憊疲し生活が停滞してしまう人がいます。
生きる目的が強迫行為に占められ、自分が何を求めているのすらわからなくなることもあるかもしれません。
私たちの本来の欲求はその行為に覆われてしまうのです。
そんな時にどうすればよいのでしょうか?
実はそのことに対する一つの答えが、強迫神経症の世界を生きてー私がつかんだ森田療法ーという本の中に書かれていることを見つけました。
※今日の森田の言葉
私は自分の体験からこんなことに気づきました。
それは、「不安を一つに絞らない」ということです。
どういうわけか強迫神経症に悩んでいるときは、「これさえなければ」と不安を一つに絞ってしまうのですが、そうするとかえって不安が強くなってしまうのです。
ちょっと不思議に思うかもしれませんが、不安を一つに絞らずに、「あれも、これも気になる」というように〈不安材料〉をいくつも抱えながら生活していると、「ふと心が流れている」のに気づくことでしょう。
モグラたたきのように、不安を一つひとつ潰していくやり方はかえって逆効果なのです。
絶えずいろいろな悩みを思い出して、いわばその間を「渡り歩く」といったイメージです。
そうすることで、「悩みはあっても苦しくない」という精神世界を味わうことができるでしょう。
※明年倫子氏
※白揚社
※強迫神経症の世界を生きて
ー私がつかんだ森田療法ーより一部抜粋