「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

11月19日(火)20時~・11月20日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

大人の発達障害と森田療法②

2024年05月10日 09時07分17秒 | コラム 




大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は朝から弟の月命日でお寺に出かけていました。

そこで元気で豪胆な知人の急な手術、入院の知らせを聞いてびっくりしました。

昨年末からおなじ60代の知人が急死されたり、親族が倒れたり、自分自身も転倒したりと否が応でも年齢を意識することが増えました。

出来るときに出来ることをやっておきたい、日々そう自分に言い聞かせています。

昨日このブログを投稿してから早速地元で発達障害の自助会を五年ほど前から運営されている同年代の代表者の方と、コンタクトを取らせていただきました。

症状の違いは別にして何かしらコラボ出来ることはないかと模索していることをお伝えしました。

最近大人の発達障害に関する相談が、かなり増えているそうです。

一回の対面のセミナーに対して40名位の方が、集まると伺い、とてもびっくりしました。

発達障害については、専門書や動画も配信されていますので素人の私が中途半端に申し上げることはありません。

今更ながら程度の差はあれ、自分にも当てはまる特性を感じます。

  • 興味のあることに関心が集中する
  • こだわりが強い
  • 感覚が鋭い
  • 人付き合いに困難を感じてきた
  • 忘れ物やなくし物が多い

あらためて発達障害について少し調べてみました。

1963年にアメリカ公法の正式な用語として、初めて発達障害という概念が記述されることになったそうです。

私の生まれた年代とほぼ同じです。

意外ですが発達障害とは医学用語ではないそうです。

私がこの言葉を頻繁に耳にするようになったのは、この10年位前からでしょうか?

2005年4月1日に発達障害者支援法という法律が施行され行政のサポートもかなり充実している印象を受けました。

長らく日本人を支配してきた精神主義からようやく解き放たれ、この発達障害の概念が定着してきたのかもしれません。

生きづらさに科学的なメスが入ったと言えるかもしれません。

これは、精神医学界だけではなく、スポーツの世界にも当てはまります。

あらゆる分野のスポーツ競技で世界に通用するアスリートが誕生しているのも、根性論ではなく、スポーツドクターのエビデンスに基づく身体トレーニングや自律神経を軸にしたメンタルトレーニングの賜物だと思われます。

神経質症状は、主観的なとらわれであり、障害でないので支援の対象にはならないのかもしれませんが、

行政のメンタルヘルスの窓口やサイトに森田療法や生活の発見会の告知が無いのが、私には誠に残念でなりません。

私自身、森田療法を学ぶ自助グループ活動を通じて、漠然とですが抑鬱や不安などの症状に対して、神経質気質以外に、ブラックな職場での過剰適応による適応障害や、発達障害の要因もあるのではないかと、かなり前から感じていたのです。

そうであるならば、個人の認識の誤りとして全てを背負わせるのは酷と言わざるを得ません。

他の自助グループとの交流を通じて、私達の活動を客観視できたらと思う一世です。





2024/05/10 一世


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大人の発達障害と森田療法①

2024年05月09日 07時27分58秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日偶然手に取った市が発行している広報紙を読んでとても興味深い記事があった。

それは大人の発達障害についての特集である。

発達障害とは、

生まれつきの脳機能の偏りによる発達の特性に対し周りの環境や方法が合っていないために本人や周囲の人がやりづらさを感じている状態のこと、と言われている。

最近自助グループ活動を通じて感じることがある。

それは悩みの多様性についてである。

時には発達障害やLGBTQなどについて語られることもある。

神経質傾向を主な症状として生きづらさを感じている私達であるが、神経質プラスそれ以外のさまざまな生きづらさを複合的に感じている人たちからの問い合わせも多い。

森田博士はこの療法で治せるのは神経質のみであると言われている。

そのため以前は森田療法の適応外という言葉が自助グループ内でも使われたことがある。

しかしながらこれは傲慢ではないかと私は思う。

純粋に神経質のみであるということはありえない。

神経質プラス躁鬱傾向があったり依存傾向があったり発達障害的な傾向があったりするのが、自然ではないか。

一体誰が森田神経質に該当するかの判断をするのか?

自助グループの肩書き名称のある人間か?

医療の専門家なのか?

私はどちらも違うと思う!

判断するとすれば、ご本人以外無いのではないか?

私見であるが少なくとも、神経質性格は単純にこうであるという、根拠のない決め付けは、かえって自助グループとしての方向性や判断を間違うような気がしている。

ところで参考になったことを箇条書きでお伝えしたい。

子供と大人の発達障害は基本的には同じである言われている。

ところが子供の頃は家族や周りのサポートにより特性が隠れていたため、学校などでは、他の生徒と同じことをしていれば特に困ることはなかった。

ところが社会人になり一人暮らしや結婚により環境が変わり生きづらさが目立ってくる。

特にその場に応じた臨機応変な判断が求められる局面ではそれが顕著になる。

神経質症状も発達障害も共通して言えることがある。

それはその性格傾向を正確に理解することで、いきづらさが随分和らぐ。

性格傾向を理解した上で、生活上の工夫をすることで、周りとの調和が保たれることもある。

良くないのは日本人特有の精神主義や社会常識、社会通念で判断するとますます複雑化し、グルグル思考やトンネルビジョンに陥っていくリスクがある。

この問題は、本日の投稿で全てを語りきれない!

発達障害をベースにした自助グループも存在する!

明日も続きを投稿したいと思う。

読んでいただければ、幸いである!




2024/05/09 一世

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森田は洗い物療法?

2024年05月08日 05時08分13秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

自宅に咲いていた薔薇が美しい。

おそらく普段から配偶者が世話をしてくれているのであろう。

それにしてもどこかの親父は口ばかりで全く役に立たない。「わたし」

さて先日集談会と呼ばれる私たちの自助グループの体験談で面白い話を聞いた。

森田療法をたとえて、洗い物療法という言葉を使われていた。

休日の朝などに洗い物をしていると嫌な感情が流れるそれを称して洗い物療法である。

面白いと思った。

しかしここでふと普段から家事を余儀なくされている主婦の方はどう思われるだろうかと気になった。

私は職場で家事を手伝っていますと誇らしげにいう、若い男子社員が大嫌いだ。

手伝うじゃねーだろ!

何事も自分のこととしてやらなければおそらく身につかないのではないか!

かくいう私も恥ずかしながら、子供の時は母親任せ、結婚してからも妻任せのわがまま放題、こういう人間が神経質症状で苦しむのはある意味必然であったと思う。

それが12年間の単身赴任生活で一変した。

手伝うレベルどころか生きるために必死にやらざるを得なかった。

以来、日々家事全般は自分でやるようにしている。

それが立ち直りの過程で大きな意味を持っているとわかったのは残念ながら還暦前であった。

森田博士は、実際に事にあたるということを盛んに言われている。

森田博士自身がひたすら研究ばかりされていたいたのではなく、飯炊き薪割りなどを寮生と実際にされていたのである。

理屈に偏りやすく、何事も手を出すことが億劫な神経質者の性格傾向をとことん理解した上で、まず生活面で自立するように誘導されていたのかもしれない。

森田療法のことを別名自覚療法とよぶことがある。

これからは、洗い物療法と呼ぶのも面白いかも?

いづれにしても、自分が当たり前にしてもらっていたことに、気づいたり、感謝したりする療法なのかもしれない。

※今日の森田博士の言葉

ここで私はもっとわかりやすくするつもりで、「ものそのものになる」とか、ままたそれは「我になりきる」といっても同様で、比較を離れて、絶対になるということを意味する。

そして、そのようになるには、私は「見つめる」とか「手を出す」とか教えて、なんでもその事に当たるようにする。




2024/05/08 一世

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逃げる、休む、あきらめる!

2024年05月07日 02時35分40秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

おはようございます。

先日自助グループの仲間の会員さんから勧められてある番組を見た。

タイトルは、

『NHKスペシャル「山口一郎 “うつ”と生きる~サカナクション 復活への日々~」』である。

多くのメンタルヘルスに関心のある方が、ご覧になられたのではないか!

私がとても印象に残ったのは過去の自分に戻ろうとするのを諦めたという言葉であった。

とことん苦しんだ彼が絞り出すように発した言葉である。

うつや大怪我で苦しんだアスリート、ビジネス上の失敗など大きな挫折を経験した人が共通して言われるのが、新しい自分で生きるという言葉である。

挫折ではない、新しい自分に生まれ変わるのである。

「うつ病を抱えている自分だからこそ、新しい音楽世界を作れるはず」という彼のメッセージに勇気づけられた人は数多くあるだろう!

これは神経質症状で苦しむ私たちにも、とても参考になる言葉である。

現実として過ぎ去った過去は変えることができない。

あるのは今現在の自分である。

そして強いて言うならば、不確かなこれからの自分である。

一時期私たちの自助グループ内で逃げるな!生活を維持せよ!ということが盛んに言われたことがある。

そのすべてを否定するわけではないが、優しい心につけ込んだブラックな環境、具体的にはいじめやパワハラが横行する現代社会において、逃げることや休むことも必要ではないか!

組織としての自己内省は、常に臨機応変に機能しなければならない。

神経質症状でとことん苦しんだ私たちだからこそ寄り添えると固く信じて今日も、森田療法を学ぶ、リモートガイダンスセミナーを開催する私たちである。


※今日の森田の言葉

「行動は建設的であるべきだ」

「不安から逃げてはいけない」

「恐怖に突入すべきである」

などの~べき主義はその人の生きることを不自然に、時に苦しくする。

それによって不安を乗り越えることはある程度可能でも、いずれはまた行き詰まってしまう。




2024/05/07 一世
※北西憲二氏
※我執の病理・白揚社

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読書恐怖は優秀?

2024年05月05日 10時56分27秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

おはようございます。

毎日毎日、森田療法もどきのわけのわからんブログを書いている私です。 

元々馬鹿な上に少し妄想癖もあります。

最近は老人性の物忘れも激しいのでご容赦をいただきたいと思います。

さて皆さんは数ある神経質症状の中で読書恐怖というのを、ご存知でしょうか?

机に向かうと雑念が湧いてきて、学習不能になり、やがて机に向かうことも怖くなり苦しむのです。

広場恐怖やパニックに比べると、軽いと思われる方は、森田療法を理解出来ない方です。

これはとても由緒ある?症状であの森田博士も、水谷啓二先生も鈴木知準先生も若かりし頃に罹られた症状なのです。

この症状に罹った人は、森田博士が言われるにはとても優秀なのだそうです。

森田正馬全集の中には、読書恐怖は優秀であると書かれています。

事実立ち直ってからは優秀な大学を出て、各分野で活躍された人たちが多いのです。

残念ながら、例外もあります 。

それは私です。(笑)

ほっといてくれ!

私は中学二年から、高校の三年間の学生時代この読書恐怖で散々苦しみました。

まさに七転八倒の苦しみでした。

不思議なことに教科書以外は、何でも読めるという、不思議な症状なのです。

なので高校三年間であらゆるジャンルの五百冊位の本を読みました。

友達がいなかったので、図書館にばかり行っていたからです。

今思いますと、勉強をしたい、学びたい、偉くなりたいという欲望が人よりも強かったと言えるかもしれません。

スラスラと勉強したい、計画通り教科書をマスターしたいと、いう思いが強すぎてとらわれてしまったのです。

更に行きたい大学には不合格で、サラリーマン生活でも大した出世も出来ず一旦定年を迎えました。

還暦まで、自分は馬鹿であるという思い込みが抜けず劣等感に苦しみました。

しかしながら、そのおかげて、人様の話に耳を傾ける習慣が身に付きました。

私が学生時代から読書恐怖に罹からずに優秀であったならば理知的傾向に拍車がかかり、慢心していたと思います。

今思えば、※無知の知であったと思う一世です。
 




2024/05/06 一世
※ソクラテスの言葉、不知の自覚ともいわれる。

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