きゃらめるぽっぷこーん

きっかけは韓国映画、今は興味の赴くままに観ます。mottoは簡潔に。radiotalkでラジオ配信始めました。

太陽

2016年07月18日 | 日本

 

原作は劇団「イキウメ」の舞台、初演は2011年。
2014年に蜷川さんが「太陽2068」というタイトルで演出してる。
その映画化。

ウィルスの猛威で人口が激減し、
太陽の下では生きられないが老化しにくく、理性的で進化した富裕層の新人類「ノクス」と、
太陽の下で自由に生きるがノクスに管理される貧しい旧人類「キュリオ」という
格差社会が構成された近未来の話。

観終ってから考えることがあまりにたくさんあって、
どんどん嵌っていった作品。
「太陽2068」は映像化されておりWOWOWでも放送されているので探してきてそれも観ちゃった。
基本ストーリはほぼいっしょだったけど、やはり舞台と映画では表現手段が違うので興味深かった。

日本地図を見て、僕らの知ってる地図と違うと鉄彦が言うの。
情報を管理され教育も正しく受けらないということだよね。
中盤、ある理由で鉄彦(神木隆之介)が叫びながら地団駄を踏む場面があるんだけど、
感情をコントロールできないということは、感情を正しく語源化しげ表現できないということ、
子供と一緒ね、泣け叫びながら地団駄を踏むしかない。
閉塞感で正直こっちがイライラするくらい苦しかった。

神木くんと結役の門脇麦ちゃんが素晴らしかった。

太陽の光を浴びられない人生は考えられないけど、
ノクスに管理されて暮すのは嫌。
でも実は富裕層のノクスのほうが恐ろしく何かに管理されてる気がして、
ラスト、キュリオからノクスに転換した結の表情。
キュリオとして苦しみながらも思慮深い表情だった彼女が、
なにもかもがスッキリして生まれ変わったと言っているのに、
大事なものを失ってしまった薄っぺらな表情で話している姿に背筋がぞっとした。

もしかしたら、当たり前として受け入れている今の生活は、
ノクスの要素を何かしら持っているのではないかと、、
人間はどうしてこうも何かに管理されて生きるしかないのか。
そういう思いが映画を観て以来頭から離れない。

門番のノクスの青年、古川雄輝くん、どっかで見たと思ったら「脳内ポイズンベリー」の男の子なのね。
すらっと背が髙くて顔が小さい彼の風貌が、近未来の新人類のイメージにぴったりだった。
ノクスの場面は夜なのでずっと暗いんだけど、
彼の品のよさと真っ当さにとても救われた気がしました。

地味な作品ですけどね、
興味のある方にはお薦めしたい作品です。