☆第60話『新宿に朝は来るけれど』
(1973.9.7.OA/脚本=鴨井達比古/監督=竹林 進)
ある朝、新宿公園で中年男の刺殺死体が発見されます。殺されたのは防災対策研究所の生真面目な学者=中原(大塚国夫)。
そのYシャツに付着した口紅の持ち主を探るべく、ジーパン(松田優作)とシンコ(関根恵子)がカップルを装い、中原がよく呑みに行ってたバーに潜入。そこでヤクザ達に連れ去られそうになったホステス=恵美(桃井かおり)を、無我夢中で助けるジーパン。
そんなジーパンを自分達の「仲間」だと直感した恵美は、あっけらかんと言うのでした。
「人、殺しちゃった」
人懐っこい恵美と瞬時に意気投合し、一緒に呑み歩きながら彼女の無邪気さに惹かれていくジーパン。
「こんな子が、人を殺すだろうか? こんな子が……」
ただの冗談であって欲しい。そんなジーパンの願いも虚しく、死体に付着した口紅は恵美の物である事が立証されてしまいます。
将来の事など何も考えず、とにかく今この時を楽しんで生きようとする恵美は、夜の新宿をウロつく若者たちを象徴するような存在で、ジーパンもまたそんな若者の1人であり、だから「仲間」だと感じたんでしょう。
一方、防災対策研究所でずっと地震を研究して来た中原は、いずれ首都を襲うであろう直下型の大地震=東京の破滅を恐れるあまりに、現実から逃避しようとしてた。
そんな時に恵美と出逢い、愛し合い、全てを忘れ、楽しい数日間を過ごした中原は、ふとこう言ったのです。
「こんな想いのまま死にたい」
だけど彼には仕事があり、家族もいる。後ろ髪を引かれながら現実社会に帰って行こうとする中原の胸に、恵美は店から持ち出したナイフを突き刺したのでした。
「どうして? 新宿って夜はあんなに怖いのに、朝はどうしてこんなに優しいの?」
早朝の新宿公園でそう呟く恵美の横顔を、黙って見つめるジーパン。やがて同僚たちが歩み寄り、彼女の腕に手錠を掛けた瞬間、ジーパンは無我夢中で走り出し、子供みたいに泣き叫ぶのでした。
このエピソードを初めて(夕方の再放送で)観た時、私はまだ中学生のガキンチョゆえにピンと来ませんでした。だけど大人になって社会に出てあれこれ経験し、いつしか「破滅です」が口癖になっちゃった今の私には、中原さんの耐え難い絶望感と、それゆえに恵美みたいな女の子に溺れちゃう気持ちが、ホント痛いほどよく解ります。
ジーパンにもきっと、同じような資質があるんですよね。拳銃を持った犯人に丸腰で突っ込んで行くのって、言ってみりゃ自暴自棄そのものです。
そして、ただ刹那的に生きる若い仲間達とは違った魅力を中原さんに感じ、ひたすら楽しい2人の「今」、その時間を永遠に止めようとした恵美の気持ちも、解らなくはない。
でも結局、その為に選んだ手段こそが彼女の楽しい「今」を永遠に奪っちゃうワケで、先の事はいっさい考えない生き方が招いた悲劇とも言えましょう。
1973年当時は『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』等の大ヒットで終末論、つまり「破滅」が一種のブームで、それが色濃く反映されたエピソードなワケだけど、いま現在の方がより胸に突き刺さって来ますよね。
こんなこと言うと不快に感じる方もおられるでしょうが、今やこの世に夢も希望も持てなくなった私自身、恵美みたいな女の子に刺されて死ぬなら本望かも?なんて、ちょっと思ったりします。
それはともかく、当時23歳の桃井かおりさんがハマり役で、本当に素晴らしいです。
デビューして2年、既に映画主演で注目を浴びてたけど、文学座の1期後輩で呑み仲間でもある優作さんの為にゲスト出演されました。(ついでに、恵美のフーテン仲間達の中に無名時代の阿藤 快さんの姿も見られます)
桃井さんの儚げな存在感と自然体の演技、息の合った優作さんとのコラボレーション、尚且つクォリティーの高い脚本と演出で、『太陽にほえろ!』屈指の名エピソードの1本に挙げられるかと思います。
切ない内容ながら2回に及ぶジーパンvsヤクザ軍団の立ち回り、更にショベルカーで敵アジトを丸ごと破壊しちゃう等、マカロニ時代よりもスケールアップされたアクションシーンも見られます。
また、中原さんが愛したレコードとして登場し、長さん(下川辰平)に「何だこりゃ?」と言わしめたフォークソング『プカプカ』は知る人ぞ知る名曲で、桃井かおりさんや福山雅治さん等にカヴァーされてます。
桃井さんは後に第199話『女相続人』にもゲスト出演、やはり文学座の後輩であるボン=宮内 淳さんと共演される事になります。