ここで問題です。さて、どこの大学でしょう。
建学の精神
親神(おやがみ)は、「陽気ぐらし」を共に楽しみたいと思召されて、人間世界を創造された。
教祖(おやさま)は、この元なる親神(おやがみ)の存在と、世界一列きょうだいの真実を明かし、「ひながた」の道を通して、互いにたすけあう生き方を示された。
本学は、教祖(おやさま)の教えに基づいて、「陽気ぐらし」世界建設に寄与する人材の養成を使命とする。
XX教は、親神の啓示に基づき、世界たすけを目指す宗教である。教えの中核をなす「陽気ぐらし」とは、親神が人間世界を創造された目的であり、人類救済の目標であるが、これを実現するためには、人間みな神の子として兄弟姉妹であることを自覚し、互いにたすけあって生きなければならぬことが含蓄されている。教祖中山みきは、この真実を口や筆を通して教えられただけでなく、自ら身をもって行いに示された。この教祖の「ひながた」こそ、人間がこの世界を「陽気ぐらし」世界に建て替えていくための道標であり、行動規範となるものである。
XX大学は、教祖の教えに基づいて、「陽気ぐらし」世界の建設に寄与する人材の養成を使命としている。現代的な状況に照らして言うなら、それは全人類が平和に暮らせるような、まったく新しい地球文明の構築に貢献する人材ということになるだろう。大学という教育研究の場でこの使命を達成するために、地球上に拡散したさまざまな文化、文明の特色を認識し、その違いを尊重しながら、互いに補い合いたすけ合っていく道を、理論と実践の両面から探らなければならない。相互扶助の精神、主体にとって他者をたすける心は、実際に他者をたすける実践を通して身についていくからである。
本学が、XXスピリッツの一端として、世のため人のためという「他者への献身」を強調する所以である。
|
|
↓
話題の天理大学です。
XXは、天理と読み直してください。
柔道部で、いじめの暴力事件があり、しらばっくれた柔道部部長がいて、その部長は、全柔連の改革メンバーとして、8月21日に全日本柔道連盟(全柔連)の理事に就任している。
柔道部部長のみが、建学の精神にある陽気ぐらしでなく、陽気な意味の「陽気ぐらし」だったようだ。
5月に4年生が、1年生十数人に「練習中、気合が足りない」「集中していない」と平手打ち。
そもそもの行動は、練習中に水を飲んだこと。
今時、考えられない理由で、休憩時間以外は水を飲めないらしい。
平手打ちで、一人の鼓膜を破った。
この鼓膜を破られた1年生については、6月にも「練習態度がなっていない」と木刀で尻を1回叩いた。
これは、この生徒へのいじめと言わざるを得ない。
柔道では、木刀を利用するエクササイズが、どうもあるらしい。
別の1人には、7月初旬に寮で「生活態度が悪い」と平手打ちした。
これらの行為には、他者をたすけあう心はない。
暴行は、常習化していたと考える。
または。暴行は愛のムチと言って、他者を助けているんだと詭弁を言っているとしか考えられない。
柔道を教える前に、天理教の教えを学ばせる必要がある。
教えの抜粋:
<本学が、天理スピリッツの一端として、世のため人のためという「他者への献身」を強調する所以である。>
原理原則を忘れた、どんでもない事件。
妻の親族が天理教にお世話になった経緯があり、個人的には、チャントした宗教という認識であった。
大学生が起した事件であるが、4年生は、20歳以上の成人。
言い訳ができない。ましてや、天理大の学生とは言えない。
宗教と絡んだ大学、または、教育機関の悲しい現実の姿。
教育者は、教育カリキュラムの見直しをすべきである。
休題:
今回、事件の発表が遅れたのは、先日行われた世界柔道大会(8月26日~9月1日)に、天理大学の主将、大野将平選手の出場と関係あると考える。
柔道部長の会見の発言では、大学に報告していたので・・・・と要領を得ていない。
もし、この事件が明るになれば、大野選手は出場辞退となる。
当然、今回獲得した金メダルもなかった。
辞退となった時は金メダルが一つ減ったかもしれないが、代わりの選手で金メダルが取れていたかもしれない。
5月の平手打ちの時は、主将の立場で、現場に居た。
それを『止められなかった。不甲斐ない。』と言っているが、同罪と言って良い。
十数人が同時に平手打ちなら止められないだろうが、一人づつなら、(十数回-1回)、止めるチャンスはあった。
それを止めていないのは、止める気が無かったと考える。
柔道部の主将は、止められないお飾りの役なのか。
このような不祥事があったら、その大学の生徒は出場の辞退と、その事件が発覚してから最低1年間、運動大会への出場禁止という縛りは必要と考える。
阿呆な学生には、このくらいの縛りにしないと暴行は無くならない。
一方、この事件、どうして漏れたのだろう。
大学、柔道部の対応が悪かったのか、暴行が日常茶飯事で、それに嫌気をさして、誰かが新聞社に情報を流したのだろうか。
この情報源も気になるが、新聞社は決して名前や状況等を漏らしてはいけない。