はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

禁煙の成功体験記

2011年11月28日 | 健康
私は二十歳で煙草を吸い始めて以来、私よりもヘビーなスモーカーに出会ったことが有りませんでした。
基本的には、毎日4,5箱を吸い、飲み方や麻雀があれば10分ごとに1本づつ消費していました。
したがって、行きつけのスナックには、必ず私が吸う煙草数箱がストックされていました。
しかし医者として、そのままではCOPD(慢性閉塞性肺疾患)が避けられないということが分かっていたので禁煙を決意しました。
COPDとは慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫などの総称ですが、その末期には、陸地にいるのに、海で溺れるような残酷な死に方が待っています。
肺が硬くなるとともに、トラッピング現象が起きて、二酸化炭素を吐き出せなくなるのです。
酸素チューブを鼻に装着している老人は、殆んどがCOPDです。
酸素を吸うことはできても二酸化炭素を吐き出せないのですから治療の方法がありません。

さて、私は長年、キャスターという煙草の6mgを吸っていました。
それを49歳の誕生日に3mgに切り替えました。
当初は、ひどく物足らなかったのですが、無いよりはましです。やがて慣れました。
そして半年後に1mgに切り替えました。
これは辛かったです。吸っても空気しか入ってこない様な感じで、吸えば吸うほど苦しくなりました。
それでも無いよりはましだろうと、自分に言い聞かせて辛抱しました。
すると、しばらくして不思議な現象が起きたのです。
以前は会議の終了後などで2時間振りに煙草を吸うと、サーッと脳が解放されるような快感を味わえていたのですが、それが無くなりました。
1mgでは軽すぎて、十分なニコチニックアクションが起こらないせいでしょう。
さらに血中濃度もずっと低値ですので、禁断症状も軽減されてきました。

そして50歳の誕生日に禁煙に踏み切りました。
その日の晩はボウリングに行ったのですが、自分の投球順番を待つ間も何か落ち着かず、ピョンピョンと飛び跳ねていたのを記憶しています。
一番苦しかったのは二日目の晩でした。禁酒も同時にスタートさせたので、何もすることが無く、頭の中がシーンとしてくるのです。
そこで意味もなく愛犬2匹を車に乗せて、3号線を北に向かいました。南関のあたりで犬を散歩させながら、情けない自分に苦笑いをしました。
その夜中には、ドラム缶のように大きな煙草が自分に襲い掛かってくるという恐ろしい夢で眼が覚めるという経験もしました。
三日目も苦しいのは変わらないのですが、前の二日間を我慢したという実績があるので、今さら吸うのは”もったいない”という気持ちが芽生えてきました。
この”もったいない”という気持ちは日ごとに膨らんでいきました。(続く)