文藝春秋で田中美知太郎の訳が絶賛されていたのでネットで購入しました。
当然、旧仮名使いの旧漢字を予想していたのですが、送られてきたのは平易な現代語訳でした。
田中美知太郎と藤澤令夫の共訳みたいな体裁ですので、おそらくは田中の訳を藤澤が現代語訳にアレンジしたものかも知れません。
紀元前400年頃の話ですが、ソクラテスは、自分は無知であるがそのことをちゃんと自覚しているという、”無知の知”を根拠に、
各界の著名人達に討論を挑み、彼らがことごとく、”知らないのに知っていると勘違いしている。”ということを喝破していきます。
そのことで恨みを買い、”青年達に有害な説法を続けている。”ということで告訴された裁判でのソクラテスの弁明をプラトンが著した
作品です。
法廷には被害者の青年らしき者は一人もおらず、原告の姿もはっきりしないという、現代では考えられない、魔女狩りにも似た裁判です。
当時の裁判は500人の陪審員の多数決で、まずは、有罪か無罪かが決定されます。
ソクラテスは僅差で有罪となってしまいました。
次に、量刑ですが、原告側の主張と被告側の主張を陪審員の多数決で決定します。
原告側は死刑を主張しました。
陪審員もさすがに死刑はひどすぎると思っている者が多かったようですので、ソクラテス側は大金を払うとか、
国外追放だとかを主張するようにソクラテスに勧めます。
しかしソクラテスが主張したのは1ムナ(現代では数万円程度)の支払いだけだったのです。
陪審員達は侮辱されたような気持ちになり、ソクラテスははっきりとした差(340票対160票)で死刑と宣告されます。
当時の監獄は番人もユルユルで賄賂を使えば脱走も容易でしたので、友人達は手配しますが、ソクラテスは拒否を貫き通し毒杯をあおって死亡します。
人間にとっては、徳その他のことについて毎日談論するということが、まさに最大の善きことなのである。
これに反して、吟味の無い生活というものは人間の生きる生活では無い。
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