昨日と今日とで上記を読みました。
村上春樹がアメリカ、カナダ、スイス、ロシアなどの恋愛小説を翻訳した短編集です。
最後に村上春樹自身の書き下ろしを加えて10編としています。
各短編について、村上春樹は、恋愛甘苦度と称して5点満点で、甘味3 : 苦味2 などと採点を発表しています。
次々と読み終えていくうちに私は玉石混交という言葉を思い出しました。
というか、玉では無く、石のような短編が含まれていることに驚いてしまったのです。
何故、村上春樹が、このような作品を取り上げたのか理解不能のような面白くも無い短編が含まれているのです。
しかし、後書きで村上春樹は以下のように弁解しています。
アンソロジー編集者のつもりとしては、できるだけストレートで素直で、すらりと読めて、心がそれなりに温まる恋愛もので、
しかも比較的最近に書かれた未訳の作品を集めようと思ったのだが、いざ身を入れて探し出すと、その手のものはそう簡単には見つからない。
いわゆる「純文学」系の作家たちは、一直線でポジティブなラブ・ストーリーをほいほいと量産してくれるほど親切ではない。
そこで、少しダークなものや、そこそこ屈折したものまで加えて、広義の恋愛小説を編集したということのようです。
また、村上春樹はさらに
本書の中では「モントリオールの恋人」が、小説的に見ても恋愛的に見ても、間違いなく上級者向けにあたるだろう。
練れた著者の手になる、練れた大人の愛の物語。
と述べています。
私もそう思いましたので、その一部をアップします。
49歳のロビイストであるヘンリーと、33歳の公認会計士マデレインは、仕事の同僚で、アメリカ、カナダ、ヨーロッパと、世界を股にかけて活躍しています。
ヘンリーはバツイチ独身ですが、マデレインはモントリオールに夫と娘がいます。
そんな二人は2年前から不倫関係を続けています。
しかし、半年前、突然話題が途切れた瞬間に、二人は別れる潮時だと感じます。
そんなところで関係を終えれば、彼ら自身に関する何かが ― 二人には認めがたい何かが ― 明らかになってしまう。
それはつまり、二人の関係が大した意味を持たなかったという事実であり、自分たちがそれほど大した意味を持たないことに手を染める人間であったという事実であり、
彼らはそれを承知でやっていたか、あるいは自らのことがよくわかっていなかったか、どちらかということだ。
鋭く斬新な切り口ですよね。
さて、村上春樹の書き下ろし短編はカフカの " 変身 " をベースにしたものですが、ヒロインは、せむしの少女です。
あえて差別用語を使用していますが、主人公は、せむしの少女に一目惚れなのです。
この短編集の恋愛は、ほとんどが、 " 一目惚れ物 " というジャンルに属します。
私見ですが、恋愛で惚れた理由をいくつも挙げるのは、すべて後付けの言い訳だと思います。
そして村上春樹は最後に、恋愛の大変さを編んだような作品になってしまったことを表明し以下のように締めくくります。
でもたしかにいろいろと大変ではあるのだけど、人を恋する気持ちというのは、けっこう長持ちするものである。
それがかなり昔に起こったことであっても、つい昨日のことのようにありありと思い出せたりもする。
そしてそのような心持ちの記憶は、時として冷え冷えとする我々の人生を、暗がりの中のたき火のようにほんのりと温めてくれたりもする。
そういう意味でも、恋愛というのはできるうちにせっせとしておいた方が良いのかもしれない。
大変かもしれないけれど、そういう苦労をするだけの価値は十分あるような気がする。
この暗がりの中のたき火云々という表現は村上春樹の他の作品にも出てきたような気がします。
デジャブかも知れませんが、もしもご存知の方がおられたら御教授下さい。
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