老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

595;水を飲むことを忘れた老人

2017-12-08 11:56:15 | 老いの光影
初冬の阿武隈川上流

水を飲むことを忘れた老人  


歌を忘れたカナリアならぬ
水を飲むことを忘れた認知症老人
老人の名は山下喜一さん(87歳)
歩くことはできるけれど
服を着ること
トイレに行くこと
水を飲むこと
などなど
日常生活の行動ひとつひとつがわからなくなってきた
手振り身振りで行動を示し
手を添えることにより
ようやく同じ行動に移すことができる
記憶のピースだけでなく
生活行為の手順に関するピースも
かなり抜け落ちてきている
コップに水を汲んでも
まったく興味を示さない
家でも水を飲まず
老妻はてこずっていた
ふと
デイサービスの介護員は
「ご飯茶碗の米粒をきれいにしようか」と
言葉をかけ
ご飯茶碗にお茶を注いだ
すると
難無く喜一さんは
ご飯茶碗を手に取り
お茶を飲み干した

昔の人は
食べ終えた後
ご飯茶碗に
お茶や白湯を入れ
ご飯茶碗をきれいにする
その習慣のピースが残っていたのだろうか

駆けつけ三杯ではないけれど
その後もご飯茶碗でお茶や水を飲み干し
ワンパック1000ccの水分を摂った
連絡帳にその様子を書き留め
家でもご飯茶碗で試してみてください、としたためた。

594;過去 未来 現在

2017-12-08 04:22:37 | 阿呆者
朝焼けを反射し流れている阿武隈川上流 朝の散歩路

過去 未来 現在  
過去とは
過ぎ去ったこと
いまさら
過去の美しかったことや輝いていたときのことを
懐かしんでも
過去に戻ることはできない
過去に戻りたい、と叫んでも
時計の針は左回りはしてくれない

未来とは
未だ来ぬ先のこと
夢を抱くのはよいが
空想妄想に浸っているだけでは
希望の未来は巡っては来ない
老いを迎え齢を重ねるたびに
未来とは
死を意味すること
そのことを
意識し始めるようになった

現在とは
こうして いま(今・今日・現在)生きていること
現を抜かしていると
時間は悪戯に失い
気がついたときには
いまを大切にして来なかったことを
後悔する
今日(いま)という時間は
二度と巡り来ない今日だけの存在
いま、という瞬間の積み重ねを大切に
時間は生命そのものであり
人間にとり時間は終始(有限)である。
砂時計の如く
最後の一粒の砂が落下したとき
「只今ご臨終です」と
告げられ
過去でもない未来でもない
時空間に消えて逝く

だから いまを大切に生きる
と思いながら 過ちを繰り返す弱い生き物である