老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

933 妄想ではない、もう一人の自分との対話

2018-09-18 20:01:24 | 読む 聞く 見る
 妄想ではない、もう一人の自分との対話

古本屋で見つけた
池永陽『走るジイサン』集英社文庫

2003年1月に発行された文庫本

60代の3人のジイサンが登場する

主人公は69才になる作次
彼の頭の上に日本猿がいる。

他者には猿は見えない。
作次だけが見える妄想の世界。
猿との会話を通し
同じ屋根の下で長男夫婦と同居となった作次の心の揺れ動きなど
日常のなかでふと思ったことが書かれている。

ふと思ったことが
いろいろと考えさせられることが多かった。


 「日ィくれ、腹くれで、畜生は食って寝るだけや。
  他になんも考えんでもいい。こんな幸せなこと
  あらへん。できりゃあ、わしは猫とかわってほしい
  ぐらいのもんや」(p79)
  
  人間はしがらみが多すぎる。欲望が多すぎる。
  あげくのはて、年をとればまわりから徹底的に
  疎外される。こんな割のあわない動物はいない。
  猫になりたい。(p79)

  人間は駄目だ、いろんなことを考えすぎる。金のこと、
  女のこと、これから先のこと。そんなこと考えても
  どうにもならねえんだけど考えちまう。(p99)
 

自分も我家の犬(beagle元気)の顏を見て同じことを思った。
犬は悩みがあるのか。犬になりたい。
しかし、本当に犬になりたいか、と思うとそうではない。

犬猫にも悩みはあるのだ、と思うが
人間の勝手な妄想にはつきあってはいられない。

老いてからの自分という生き物をどう扱ってよいのか
猿を通し、自分ともう一人わたしとの対話

定年退職を機に妻に離婚を持ちだされたジイサン
駆け落ちをしてきた老いた男女が古アパートに住む

自分も60代にある
この先どう生きて行くのか
この小説を読んで考えさせられた