老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

941 「死」は他人事であってはならない

2018-09-25 03:42:17 | 生老病死
「死」は他人事であってはならない

癌告知されぬまま
死が近いことも知らずにいる
大沼滋治のことを考える

彼の死を考えるとき
残された生を考えてしまう

残された生を
どうしたいのか

それは滋治のことだけでなく
自分のことでもある

自分が癌であること
それも全身癌の状態にありながらも
知らずにいる

全身癌であることを
知らないほうが幸せ・・・・
そうではない

仙骨部に褥瘡ができても
痛みを感じないほど
激痛は全身を駆け抜け
耐えている様は見ているだけでも切なく辛い

他人の痛みは三年でも我慢できる
自分の痛みは三分でも我慢できない

滋治自身(患者自身)の言葉を聞かぬまま
全身の痛みを放置したまま「死」を待つだけなのか


死」はいつも、自分自身が生きるか死ぬかという
瀬戸際に追い詰められるまで、常に他人事だ。

堀川惠子『教誨師』講談社文庫 49ページより引用