老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

940 「俺を見捨てないでくれ」

2018-09-24 10:50:04 | 生老病死
 「俺を見捨てないでくれ」

神様は
何故こうも残酷なことを与えるのか

11月で93歳を迎える大沼滋治
いまは亡き妻の弟の息子を養子として育てきた彼
59才の息子と二人暮らし
息子は無職で老親の年金で暮らしている

滋治は前立腺癌が診断され
その癌は首、左手、肩、腰の骨に転移
息子は親には癌であることを告げず
治療をすることも拒否

滋治は
痛みを緩和させる治療もなく
襲ってくる痛みに耐えこらえながら
必死に生きている

転んで左肩を骨折した
その痛みがなくなれば
退院できると思っている

死はそう遠くはないことを
感じる

3年半前の彼
家に閉じこもり
北向きの暗い部屋で
オシッコはアルマイトのバケツにオシッコをしていた
まだら惚けとふらつき歩き
要介護3であった

はじめはデイサービスさくらさくらに
しぶしぶ来ていた
本当は行きたくなかった

利用しているうちに
デイサービスのスタッフは
飾らない言葉や方言もあったけれど
それが好きだった

表面だけのつきあいではなく
心から心配してくれることがわかった
いまでは
さくらさくらに来て「いのちが救われた」、と
彼は会うたびに話していた。

91歳になり始めて針と糸を持ち
雑巾縫いを行い
社会貢献として小学校に雑巾を贈呈してきた
(200枚を超える雑巾)
週3回さくらさくらを利用
要介護度も軽くなり「3」から「1」になった

しかし、いまは要介護5の状態となり
寝返りすることすらできない
オムツ交換をするにも
看護師2,3人の手をかりないと
骨がつぶれ折れてしまいやすいほど
癌が進行している

首の骨も癌に侵され
下をむいたり左右に振り向くこともできない
食べることそれ自身が
生きることそのもの
傍でみていてしみじみ感じる

デイサービスさくらさくらの一部のスタッフは
入院している間
夕食時間に訪れ
食事介助をしている
(息子は余り面会に来ない)
滋治が食べたいおかず、果物を持参し
病院食と一緒に食べている
目を細め「うまい、美味しい」の連発


最後の晩餐かもしれない
そう心に言い聞かせ
夕食時間前に訪れる
彼にとり
好きなおかずや果実
その味を味わうことは
もうできない

食べれることが
こんなにも
幸せなことで
大切なことか
滋治をみて思う

死が隣りに存在しているからこそ
食べることや
彼の話す言葉に
受とめきれない重さを感じる

進行する癌や痛みに対し
何もできない
無力なにんげん(自分)

92才を超え
超高齢になっても
癌は無残にも
骨にまで転移
その痛みは
彼自身しかわからない

入院して7日余りだが
退院が近い
家に帰れば
そうやたらに訪問はできなくなる

(滋治のケアマネジャーは自分ではない)

滋治は呟く
自分は小さい頃
継母に育てられた
辛い思いをしてきた

妻が実弟から子どもをもらうと言い出した時
反対した、本当は養子にはしたくなかった
でも妻は男の子を連れてきた
息子は育ての父親よりも
隣りの病院に入院している実の父親に足が向いている

彼は寂しく帰り際
「俺を見捨てないでくれ」
(面会の度に)「申し訳ない、ありがとう」と
話す言葉に頷くだけしかなかった