苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く
朝陽の光に照れされた那須連山の雪景色はピンク色に染まった
今日で拙いブログ 『老い生いの詩(旧 老い楽の詩)』は、2000回目を迎えた。
1回目のブログは、2017年4月9日のことであり、6年9月が経った。
途中何度もブログが絶えながらもこうして再び㍶に向うことができるのは、皆様のお陰です。
ポッチとクリックやコメントの声援、応援 ありがとうございます。
「感謝」「感謝」「感謝」の気持ちです。
脳卒中などの病気で手足はままならず
杖を頼りにふらつきながら歩いている老人。
チョッと前に桜の花を観てきたことも忘れ、
自分は何をしようとしたかもわからなくなった老人。
要介護老人達に囲まれ
我が身の老いと重ね合わせ
在宅介護のなかに垣間見る「老いの風景」を描き
生きること老いること死することの意味を考えてみる。
(2017年4月9日)
老いの門をくぐった時であり、齢65歳であった。
どれだけ、「老いるとは」「生きるとは」のテーマを見つめ深めてきたのか。
考えは堂々巡りの7年であった。
あと10年は生きたい、と思うけど「こればっかりはわからない」。
両手の指を折っても足りないほどの疾病はあるけれど
「健康」であること、「歩ける」こと、生活に支障がない程度の軽い「惚け」であればいいかな、と願う。
毎日朝夕、散歩に付き合ってくれるbeagle元気は、今年4月で11歳を数える。
おたがいのためにも、「元気」であらねばと思う。
そして在宅に住む老人を訪ね歩き、
「どこで死にたいか」「どう死にたいか」など、率直に聴いたり話し合ったりしてきた。
老いの辿り着く先は「死」である、と頭でわかっているが、「死」はどんなものであるかはわかっていない。
住み慣れた家で、介護施設で、病院で 死を迎えるのは人それぞれである。
幾多の穏かな死顔に対面できたことは、大きな財産であった(合掌)。
死にきれず悔恨の死顔の老人はふたりおられた。そのときは哀しく辛かったことも忘れられない。
苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く。
死によって苦悩から解放され、穏か安らかに逝きたいものです。
これからも声援のほどよろしくお願いいたします。
朝陽の光に照れされた那須連山の雪景色はピンク色に染まった
今日で拙いブログ 『老い生いの詩(旧 老い楽の詩)』は、2000回目を迎えた。
1回目のブログは、2017年4月9日のことであり、6年9月が経った。
途中何度もブログが絶えながらもこうして再び㍶に向うことができるのは、皆様のお陰です。
ポッチとクリックやコメントの声援、応援 ありがとうございます。
「感謝」「感謝」「感謝」の気持ちです。
脳卒中などの病気で手足はままならず
杖を頼りにふらつきながら歩いている老人。
チョッと前に桜の花を観てきたことも忘れ、
自分は何をしようとしたかもわからなくなった老人。
要介護老人達に囲まれ
我が身の老いと重ね合わせ
在宅介護のなかに垣間見る「老いの風景」を描き
生きること老いること死することの意味を考えてみる。
(2017年4月9日)
老いの門をくぐった時であり、齢65歳であった。
どれだけ、「老いるとは」「生きるとは」のテーマを見つめ深めてきたのか。
考えは堂々巡りの7年であった。
あと10年は生きたい、と思うけど「こればっかりはわからない」。
両手の指を折っても足りないほどの疾病はあるけれど
「健康」であること、「歩ける」こと、生活に支障がない程度の軽い「惚け」であればいいかな、と願う。
毎日朝夕、散歩に付き合ってくれるbeagle元気は、今年4月で11歳を数える。
おたがいのためにも、「元気」であらねばと思う。
そして在宅に住む老人を訪ね歩き、
「どこで死にたいか」「どう死にたいか」など、率直に聴いたり話し合ったりしてきた。
老いの辿り着く先は「死」である、と頭でわかっているが、「死」はどんなものであるかはわかっていない。
住み慣れた家で、介護施設で、病院で 死を迎えるのは人それぞれである。
幾多の穏かな死顔に対面できたことは、大きな財産であった(合掌)。
死にきれず悔恨の死顔の老人はふたりおられた。そのときは哀しく辛かったことも忘れられない。
苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く。
死によって苦悩から解放され、穏か安らかに逝きたいものです。
これからも声援のほどよろしくお願いいたします。