老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

ジッと死に向かって生きる

2024-01-10 21:14:47 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2001 ジッと死に向かって生きる



昨日,キャンバスで約2時間をかけ
83歳の素敵なお婆ちゃんに会いに行って来た。
(介護相談を担当させて頂いているひとりの女性)

彼女は、悪性の外陰部癌の診断を受けた。
疼痛に耐え、ジッと生きている。
独り暮らしの彼女は、いま、サービス付き高齢者向け住宅に棲む。

彼女は寂しく、か細い声で話してくれた。
「神様は私には幸せをもたらしてくれなかった」
「人生の最後まで癌に苦しみ いまは死を待つだけ」

癌の痛みは本人だけしかわからない痛み。
手足は痩せ細り 棒のよう
両脚を動かすと激痛が走り
その痛みが顔に現れ
いたたまれない。

彼女は「痛い」と言わず、
笑顔で「(会いに来てくれて)ありがとう」と話される。

後、数日の生命かもしれない・・・・
ジッと死に対峙し生きている。

医師、看護師そしてケアスタッフが、彼女の居室を訪れる。

彼女との出会いのきっかけは、
私の妻の父親と従弟の関係にある。

20代のときに両親を見送り、
かけがえのない妹と弟がいた。

妹は妻子ある男性と交際、騙され海で入水自殺。

彼女が定年になり退職となり、その退職金の全てが、弟のサラ金返済に消えた。
その弟を恨むこともなかった彼女。
弟は手遅れの肝硬変を患い他界した。

それ以来家族はなく、独りで暮らしてきた。
昨年の今頃、外陰部に腫瘍ができ、場所が場所だけに受診が遅れに遅れた。

彼女は自分の生命はそう長くはないと悟り、自分の亡き後
家の取り壊しと葬式と墓を賄うだけの僅かな貯金を、妻の父親に託した。

彼女は話す。
「(私は)天涯孤独の身ではない。こうして従弟の妻が毎日のように来てくれ、独りではないと思い、救われた思いだった」。

そう話しながらも、従弟の妻が帰られたあとは、寂しく辛く泪が出てしまう。
彼女は、苦労の連続であっても、耐えて生きてきた。
いま、また疼痛にジッと耐え生きている。

何もできない自分、ただ、痩せ細り手を握り返してきただけの自分。
 

{いま思うこと}
彼女がこの世から去って5年7カ月になる。
茨城に帰郷したとき、折を見て何度か墓参りし、彼女に語りかける。
サービス付き高齢者向け住宅を訪れたとき、決して愚痴を言わず
従弟の妻や自分と妻も面会を終え、部屋を出るときの気持ちは
自分も辛かったが、彼女はそれ以上に辛かったのだと、いまも思う。

彼女のことは、なかなか忘れることができないひとりとなった。


2018年6月掲載した「ジッと死に向かって生きる」 一部書き直しました。