老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

243;石のぬくもり

2017-07-14 12:19:14 | 老い楽の詩
石のぬくもり

左手は握り拳の如く曲がったまま拘縮
両膝は「く」の字に曲がり脚を伸ばせない
ひとりで寝返りも行えず
染みついた天井を一日中眺めている

握りしめた左手の指を解き解し
掌を握り 言葉のかわりに握り返す
老人のぬくもりが微かに伝わってくる

老いた妻は仕事に出かけ
老人はベッド上で留守番
黒電話は鳴ることもなく
じっと耐えながら寝ている

路傍の石も動くこともできず
ジッと地面と空を見つめている
小石を掌にのせ
小石を握ってみた
小石にもぬくもりが伝わっていった

ジッと寝ている
老人の体と心は寂しく
石のように冷たい
温かいタオルで体を拭きながら
癒しの言葉をかけていく
老人にもぬくもりが伝わっていった

路傍に咲いていたマーガレットを一輪
老人の枕元に飾ってきた

242;何を遺すか

2017-07-14 01:12:43 | 老い楽の詩
何を遺すか

「死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども」
(谷川俊太郎 詩『死んだ男の残したものは』の冒頭)
死んだときの私は何を残せるのか
いま死んでも私は何も残せるものはない
何を遺すか

内村鑑三が著した名著
『後世への最大遺物』をもう一度紐解き
何を遺すのか 
自問自答していきたい


241; 空蝉ノ詩

2017-07-13 11:14:20 | 老いびとの聲
空蝉ノ詩

梅雨が明け、
暑い夏が訪れ木陰からは
「俺は此処に生きているとばかりに」
蝉の鳴き声が聞こえてくる。
蝉は最後の脱皮・羽化し抜け殻となり、
この世の儚さに生きる。
蝉の抜け殻を「空蝉」と云うが、
この世に現(うつつ)に生きているという意味もある。

いまこの世に生きている自分は、
蝉の生命と同じく余命は幾何もない。
最後の脱皮・羽化した蝉の如く、
自分は初老になって
ようやく過去の柵(しがらみ)ともいうべき殻を破り捨て、
「人間」として燃え尽きて逝く


240;過去 未来 現在

2017-07-13 01:11:48 | 老いびとの聲
過去 未来 現在

過去を振り返り
後悔したところで
時間は戻らない
まだ来ぬ未来に
夢を追ったところで
現在を疎かにしては
未来も過去に消える
現在は過去でもない未来でもない
「いま」なのだ
いま 私は何をするかで
過去は消去され
未来が訪れる

238;シャボン玉飛んだ

2017-07-12 10:35:22 | 老いびとの聲
シャボン玉飛んだ

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ


子どもの頃よく
シャボン玉を飛ばしながら唄ったことを思い出す
野口雨情が作詞した有名な童謡
昭和30年代頃は
シャボン玉の遊具セットはなく
固形石鹼を水に溶かし
ストロー(ないときは穴のあいた藁)で
シャボン玉を飛ばした

シャボン玉の詩は
死んでしまった子どもへの鎮魂歌ではないといわれている
シャボン玉が
屋根までこわれずに
飛んだものなら
大喜びした

シャボン玉は
太陽の光で虹色に輝き綺麗だった
「そのシャボン玉が
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれた消えた」
当時貧しかった時代
産まれても育てることができず
間引きされ
この世から消えていった
そんな寂しい詩の意味があった

先ほど書いたように
シャボン玉には夢がある
産まれたばかりの子どもは夢がある
七色の虹となって光り
大空へ飛んでいくのだ




236;巣立ちと空蝉

2017-07-11 11:22:40 | 老い楽の詩
巣立ちと空蝉 

巣立ちも空蝉も「空(殻)」になる

親鳥が飛ぶのを見て、 
「この空を飛べたなら」(中島みゆき)と思っていた雛(ひな)は、
立派に成長して巣離れをし、
大空に羽ばたいていく。

この雛の巣立ちをみて、
学校を卒業して社会に出ていくことを
巣立ちと呼ばれ祝福される。
飛び立った鳥は、
巣に帰らず「空き巣」になる。

蝉の抜け殻(空)は、軽く風が吹けば飛ぶような儚い存在である。
古語では蝉の抜け殻を空蝉と言う。
蝉が抜けた殻は空洞になることから
中身がなくなり虚ろになる。
だから空蝉と呼ばれるのであろう。

意味は違うが、巣立ちも空蝉も、
空になる点で同じなのかもしれない。

堀内孝雄の「空蝉の家」は、
生家に住む人がなく「空き家」となった寂しさを
空蝉になぞらえて歌っている。


234;父親の命日

2017-07-10 05:14:52 | 老いびとの聲

父親の命日

7月10日 亡き父親の命日
昭和45年の暑い夏だった
当時私は16歳だった
あれから47年の歳月
私はどれだけ成長しただろうか
父親よりも21年長生きしたけど
何を為してきたのか 

今日も暑い夏になりそう
これから20年
生きれるかどうか
神様だけしかわからないが
今日から
「本当に生きた」と実感できる
そんな点の連続をしていきたい
父親の命日に想う

232;いずれは誰もが 老人になるのだろう

2017-07-09 12:00:08 | 老いの光影
いずれは誰もが 老人になるのだろう

健康な老人は
よぼよぼ歩いて老人を
どう見ているのだろうか

よぼよぼ歩いている老人は
車いすに乗っている老人を
どう見ているのだろうか

車いすに乗っている老人は
妻の顔を忘れた認知症老人を
どう見ているのだろうか

妻の顔を忘れた認知症老人は
月に一度しか診察しない医者を
どう見ているのだろうか

定年になった男は
ベンチで独り
ひなたぼっこをしている老人を
どう見ているのだろうか

いずれは誰もが
老人になるのだろう
それなのに
老人が増えて困ったと騒ぐのは
介護を知らない政治家たち

通りすがりに老人ホームを
視察をするのではなく
政治家たちも紙ぱんつをはき
一泊二日 介護ベッドで排せつをするがいい

そうすれば
寝たきり老人の気持ちに少しは近づけるだろう
いま一番気にかかっていることは
財布がない 健康保険証がない 
どうしたらいいか 
不安だけが膨らんでくる

ないときは嫁が盗ったのだろう
泥棒が入ったのか
誰かのせいにしないと落ち着かない
財布がないことも忘れてしまった

それでも
わたしはいいまここに生きているのさ
わたしはまだまだ元気で~す
昼間寝て夜散歩します
卒寿過ぎても 長生きしなくちゃ
お迎えはまだ先のこと・・・・・
  

231;紫陽花の泪

2017-07-09 03:03:08 | 老いびとの聲
紫陽花の泪

泣きたいだけ泣くときの涙は
悲哀
失恋
死別(離別)※わかれ

両手を大空に向かって叫ぶときの涙は
この世で一番ハッピイな私
最高に嬉しい気持ち

小雨に濡れる紫陽花の涙は
やりきれない私の寂しさを癒してくれる


229;この世からその人が もういなくなることは 寂しいことです

2017-07-08 04:34:12 | 老いの光影
死を悼む

卒寿で亡くなった田島一三さん
今年の4月20日 突然脳幹梗塞を発症
元気なとき「鼻腔や胃に管を通し流動食では生きたくない」と
話されていたので
彼は言葉を発することは出来なかったが
問いかけには意思表示ができた
管を挿入することには頑なに拒否した
痩せこけても56日間最後まで闘病し永眠された
自宅の畳の上でや穏やかな表情であった
娘たちは父の死を悼み 悲しみに包まれていた
彼は生前電気設備の仕事をされ
棺には電気関係の本やその専門雑誌が白い菊とともに添えられていた

長く生きた親が他界されても
悲しまない遺族もおられる
他者の死には慣れていけない と自戒していきたい

この世からその人が
もういなくなること
寂しいことです