1568 介護とは ⑩{好きな物を食べたい}
私が初めて角川博志さん(79歳)に会ったのはS病院病室で、そのときの彼はとても痩せておられました。
咳や痰が多くあらわれたことから受診した結果、誤嚥性肺炎であることがわかり、
その年の夏が過ぎた頃に入院となったのです。
彼はそれ以外にも、左腎臓癌のため摘出(片腎)・腎不全・高血圧・C型肝炎・甲状腺機能亢進症・前立腺肥大・脳出血後遺症・胃癌(胃2/3摘出)・逆流性食道炎といったように多くの疾病を抱えていたのです。
全身にわたり筋力低下がみられるため、立つことすら困難な状態にありました。
両手指が反り返り、指の関節は曲がらないため物を持つのにも支障が出ていますが、
右手の親指と人差し指が向かい合い簡単なものをつまむことはでき、
スプーン、フォークを使うことができました。
霜月10日、博志さんは50日余りの入院生活にピリオドを打ち退院となったのでした。
家に帰るに当たり彼の望みは二つあり、
一つは「排泄はトイレでしたい」、他の一つは「飲込みが悪く、むせてしまうので“いま一番食べることが悩み」です。
言語療法士からは、「水分は誤嚥しやすいのでトロミをつけるとよいですよ。美味しいトロミをみつけること、トロミを入れ過ぎないこと、液状のトロミもあり、それならば舌にざらざら感を与えないと思う」
「カロリーメイトやウィンダーゼリーのような補助栄養食品の摂取も大切です」、と助言を頂きました。
しかし、彼は頭のなかでは、トロミをつけることの理由はわかっているのだが、
トロミに抵抗があり最後まで使用しなかった。
博志さんは長女夫婦と同居し、食事は長女が作ってくれていました。
食事制限もあり、その上食べやすい献立となると悩んでしまいます。
或る日の朝食の献立は、「豆腐半丁、スクランブルエッグ、バナナ(1/3)、ロールパン、生ハム、牛乳」が食卓に並べられていました。
その中で“生ハム”に目がいき、飲込みやすい食べ物なのかな、と疑問を抱きましたが
生ハムは彼の大好物の一つであり、好きな食べ物だからこそ、彼はむせながらも食べたのでした。
博志さんは、長年S市で土地家屋調査士として従事してきました。
自分が培ってきた実績や業界人、関連業種などの人の繋がり(つながり)を娘婿に伝えていくことを最後の仕事として決めていました。
むせても「食べる」ことで体力を取り戻し、一日も早く仕事に就かなければと思っていました。
しかし、「痰がからみ、喉がつまっている感じで食物が通らない。
それを水で押し流そうとする、そうすると余計にむせてしまう」のです。
痰がからみゲホゲホし苦しい表情をされ、傍で見ていてもこちらも辛くなりました。
それでも彼は、トロミをつけないで、食感や味覚にこだわり続けることを選んだのでした。
80歳の誕生を迎えた翌日、師走5日の朝、博志さんは39.0℃の高熱、倦怠感、呂律が回らないなどの症状が出はじめ救急車で搬送されS病院再入院となった。
医師より「誤嚥性肺炎、また敗血症もあり重症である。
後は本人の生命力にまかせるしかない」と告げられたのです。
彼はむせながらも好きな生ハムを食べ、1歳にならぬ男孫を膝に抱き、最後の幸せな時間を過ごした。
長女夫婦に見守られるなか静かに眠りにつかれたのでした。
私が初めて角川博志さん(79歳)に会ったのはS病院病室で、そのときの彼はとても痩せておられました。
咳や痰が多くあらわれたことから受診した結果、誤嚥性肺炎であることがわかり、
その年の夏が過ぎた頃に入院となったのです。
彼はそれ以外にも、左腎臓癌のため摘出(片腎)・腎不全・高血圧・C型肝炎・甲状腺機能亢進症・前立腺肥大・脳出血後遺症・胃癌(胃2/3摘出)・逆流性食道炎といったように多くの疾病を抱えていたのです。
全身にわたり筋力低下がみられるため、立つことすら困難な状態にありました。
両手指が反り返り、指の関節は曲がらないため物を持つのにも支障が出ていますが、
右手の親指と人差し指が向かい合い簡単なものをつまむことはでき、
スプーン、フォークを使うことができました。
霜月10日、博志さんは50日余りの入院生活にピリオドを打ち退院となったのでした。
家に帰るに当たり彼の望みは二つあり、
一つは「排泄はトイレでしたい」、他の一つは「飲込みが悪く、むせてしまうので“いま一番食べることが悩み」です。
言語療法士からは、「水分は誤嚥しやすいのでトロミをつけるとよいですよ。美味しいトロミをみつけること、トロミを入れ過ぎないこと、液状のトロミもあり、それならば舌にざらざら感を与えないと思う」
「カロリーメイトやウィンダーゼリーのような補助栄養食品の摂取も大切です」、と助言を頂きました。
しかし、彼は頭のなかでは、トロミをつけることの理由はわかっているのだが、
トロミに抵抗があり最後まで使用しなかった。
博志さんは長女夫婦と同居し、食事は長女が作ってくれていました。
食事制限もあり、その上食べやすい献立となると悩んでしまいます。
或る日の朝食の献立は、「豆腐半丁、スクランブルエッグ、バナナ(1/3)、ロールパン、生ハム、牛乳」が食卓に並べられていました。
その中で“生ハム”に目がいき、飲込みやすい食べ物なのかな、と疑問を抱きましたが
生ハムは彼の大好物の一つであり、好きな食べ物だからこそ、彼はむせながらも食べたのでした。
博志さんは、長年S市で土地家屋調査士として従事してきました。
自分が培ってきた実績や業界人、関連業種などの人の繋がり(つながり)を娘婿に伝えていくことを最後の仕事として決めていました。
むせても「食べる」ことで体力を取り戻し、一日も早く仕事に就かなければと思っていました。
しかし、「痰がからみ、喉がつまっている感じで食物が通らない。
それを水で押し流そうとする、そうすると余計にむせてしまう」のです。
痰がからみゲホゲホし苦しい表情をされ、傍で見ていてもこちらも辛くなりました。
それでも彼は、トロミをつけないで、食感や味覚にこだわり続けることを選んだのでした。
80歳の誕生を迎えた翌日、師走5日の朝、博志さんは39.0℃の高熱、倦怠感、呂律が回らないなどの症状が出はじめ救急車で搬送されS病院再入院となった。
医師より「誤嚥性肺炎、また敗血症もあり重症である。
後は本人の生命力にまかせるしかない」と告げられたのです。
彼はむせながらも好きな生ハムを食べ、1歳にならぬ男孫を膝に抱き、最後の幸せな時間を過ごした。
長女夫婦に見守られるなか静かに眠りにつかれたのでした。