老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

鼠と棲む暮らし

2024-01-16 20:57:08 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2007 鼠と共生するひとり暮らし婆さん


                     夕焼けの阿武隈川

いま自分は、居宅介護支援事業所(介護相談、在宅ケアプラン作成、ケアマネ1名)と
訪問介護事業所(ヘルパー 常勤3名 パート2名)の2つの介護サービスを行っている。

70台半ばのお婆ちゃん(脳出血後遺症 左半身麻痺)の生活援助(掃除、調理、服薬確認)のサービスを週3回担当することになった。
それで、サービス担当者会議が行われ、訪問介護事業所のヘルパー(サービス提供責任者)と自分が参加した。
(自分は契約書、重要事項説明書の説明をするために同席)

そのケースのケアマネは事前に鼠屋敷であると聞かされていた。

昔作りの家でポットん便所だったのかな・・・・。
暖は、練炭が玄関に沢山置かれ、堀炬燵のなかに練炭がある。

炬燵テーブルや畳、台所のテーブルやフライパンなどに鼠の糞が無数に散らばっている。
糞を踏まないように歩くのは至難の業。

テーブルの上には食べ物や食材があり、鼠が齧っているのだろうな、と想像してしまう。
鼠の「毒」が混じらないのか心配になってしまう。

当のお婆ちゃんはまったく気にせず、「この間はフライパンのなかに鼠がいた」、と笑いながら話す。

ヘルパーに聞くと、あちこちに「鼠仕殺し」の仕掛けが置かれていても効果なし。
鼠はかしこいもので、鼠殺しを避けて徘徊されている。
鼠にとり安住の棲み家である。

猫一匹いないからまさに鼠の天下。
「鼠のお宿」かな、と担当者会議中、ひとり想像していた。
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沢蟹の脱皮

2024-01-15 21:58:15 | 阿呆者
2006 脱皮


脱皮した沢蟹


抜け殻 腹部

抜け殻 背部

那須町のグッドニュースに行ったとき
道端で小さな沢蟹がジッとしていました。

死んでいるのかな、と思い
wifeが掌に乗せ様子を伺うと
僅か横歩きをした。

そのまま道端に置くの心配だった。
人混みで、踏み潰されてしまうのではないか、と危惧し
自宅に連れ帰った。

虫かご用のプラスチック容器を買い求め
食卓脇のカウンターに置いた。

グッドニュースで出会ったので
名前は「グッド」とつけた。

毎日wifeは水を取り替え
鰹節やご飯粒を与えてきました。

朝、沢蟹が死んだのかな? と不安顔
ネットで調べたら、脱皮の最中にあった。
なかには脱皮が上手くできず死ぬこともある。

それから1時間後、完全に脱皮した沢蟹
死なないで脱皮できた。

沢蟹は脱皮し、成長したのだ。

老いた自分はもう脱皮できそうにもない。
脱皮とは、次のステップへと「昇華」していく。

小さな生命の営みに 感動!
「グッド」君に出遭うことがなければ、今日のような感動場面に遭遇することはなかった。
感謝です。
小さな幸せをいただきました。
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僕らはみんな生きている

2024-01-14 22:42:59 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2005 犬の十戒





日曜の朝 wifeから「犬の十戒」の話を聴いたのです。
「犬の十戒」は、犬だけでなく、人にもあてはまり生きていく上で
大切な戒めであることに胸に深く刻まれました。

何だか、惚け老人(いまは「認知症高齢者」と呼ぶ)に対するかかわり方にも共通する「犬の十戒」。
犬と惚け老人を一緒にするな、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
でも、
犬も人も同じ生き物であり、同じ「生命(いのち)」です。

認知症老人とかかわっていく上で「犬の十戒」から教えられました。
・気長につきあう。焦らず「待つ」ことが大切です。
・「また同じ話を何度もするの」「さっきも聞いた」「だれも財布を盗ってはいない」等など、
 否定されるが、私の話を聴いてください。
・認知症になっても、感情は残っています。心があることを忘れないでください。
・あなたから見れば「意味居不明」の行動に映るかもしれないが、理由があります。

 例えば介護施設やデイサービスなどで、テーブル席に座っていて、
 私が立ち上がると「危ないから座ってなさい」「何処へ行くの」と私の行動制止します。
 私は「喉が渇いていたのです」「トイレに行きたかったのです」「窓越しに見えた花に会いに行きたかったのです」

・話(言葉)がわからないと決めつけずに、私にたくさん話しかけてください。
・惚けているから、わからないから、話ができないからと言って、私をたたかないでください。
・私が惚けても、あなたは友人です。
・何をしていいか、ここがどこなのか、私は誰なのか、私の気持ちは不安だらです。私にはあなたしかいません。
・老いの私は、あと何年生きられるかわかりません。私の人生はあと僅かです。
 最後まで、私の傍に一緒にいてください。
・私が死ぬときは、お願いです。傍(そば)に居てください。
 私はずっとあなたのことを想っていました(心配していました)。

人間は自分より抵抗できない「弱い人」や犬を、虐めたり棄てたりします。



棄てられた犬の気持ち、犬の叫びに耳を傾けてほしいです。

すべての生き物は、心があります。生きています。
花も草も木々も小さな生き物小さな石も生きています。





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ある言葉

2024-01-13 22:59:46 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2004 ゴールのないマラソン


8年前のbeagle元気 羽鳥湖近くのドッグランで
力の限り走り抜ける(当時2歳)


土曜日の午前中はチョッと息抜き
韓国ドラマを観ていたとき、グッと胸にくる言葉に出会った。

病気の家族の世話(介護)は、ゴールのないマラソンです。
苦しくても誰も代わってはくれない。
でも、止まりもしない。
結局、戻りまた、走ります。
家族のために走れます。


日本も韓国も中国も家族を重んじ大切にします。
家族だけに病気、障害の家族を押しつけ、
本人にとり在宅で暮らすこと(家族と住むこと)が一番だ、と
決めつけてしまうと重荷になってしまいます。

その重荷をときには誰かが背負ってくれる社会の手が必要です。

22時前には蒲団に入ろうと思うも
今日は23時になってしまった。
明日は日曜日、「寝日曜日」とし
元気には悪いが7時過ぎに散歩に出かけようと思う。



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73歳まで働いていた

2024-01-12 21:26:11 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
2003 (誕生日を迎えると)今年91歳になる。長生きしたな・・・・


                     冬の那須連山

今日は9時から11時過ぎまで介護タクシーの運転と付き添いをした(通院等乗降介助)。
90歳の婆ちゃんは、一度に内科医院と整形外科クリニック受診の日である。
嫁さんが朝早く順番取りに行かれる(内科は10番目、整形外科は21番目)。
いつも整形外科が先なのだが、今日は内科を先にした。

車を降りてからは手をつないで歩く。
ヘルパーの話だと、私と手をつないで歩くのが嬉しいみたいですよ、と冷やかす。
杖はつくもふらつきはある。左手に彼女のバッグを持ち、右手で手をつかむ。
院内は後ろから見守り。

診察室まで同席し、医師から話されたことは、家族に報告する(不在のときはライン)。
血圧は毎日欠かさず測定し、血圧手帳に記載されている(真面目な婆ちゃん)
両膝と腰の4ヵ所に痛み止めの注射をする。
看護師から「注射をして痛みはやわらぐのかな?」
「注射しても痛みは変わらない」
(看護師 苦笑)
「気休めなのかな」、と話す私。
「そうだね気休めだね」

待ち時間のときは、世間話などいろいろと話に花が咲く。
バッグに猿の飾り物を付けてあったので、「申年なの?」と尋ねると
「申年です。何でわかったの?」
「バッグに猿の飾り物が付いてあったから」
「今年で91歳になる。本当に長生きしたな、と思う」
「今年、私は年男、辰年です」
「あら、何回目の辰年なの」
「6回目です」
「72歳。私からみたらまだまだ若いね~」

「私は、73歳になるまで8年間弁当屋の仕事をしていたんだ。73歳で辞めないで、もう少し仕事をした方がよかったかな」
「まだ若いんだからもっと仕事をした方がいいよ」

「80歳まで仕事は続けたい、と思っている」
「自分が仕事(ケアマネ)を辞めるまで、長生きしてね」、と話すと
彼女は笑っていた。

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躰がだるくて透析は休む

2024-01-11 22:21:13 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2002 このまま死にたい

7時30分過ぎにスマホが鳴り、📞のマークを横に滑らせた。
「本人が、朝来たらまだベッドのなかで寝ていて、今日は疲れて躰はだるく透析は休む」、と話しています。
「介護タクシーには間に合わないので、病院までは私(妹)が車に乗せていきます」。

「立つことも歩くことも覚束なく、車に乗せることが無理なときは救急車を呼び、
病院(透析センター)まで搬送した方がいいかもしれませんよ」

妹さんから電話頂いたあと、自分のスマホに「板橋」さんからの着信があり、電話にでた。
まだ眠剤の効き目が残っているせいか、呂律が回らず発音不明瞭なところがあったけれど、
「今日、透析に行かない」の言葉が聞き取れた。

「躰がしんどいですか。飯は食べたか」
「食べる気がしない」
「躰は怠いですか」
「布団(ベッド)から起きたくない、このまま眠りたい」
「心配だから、私が透析に連れていくから待っていてね」、と話かけ
wifeと一緒にキャンバスに乗り向かった(自宅から35分ほど要する)

wifeは介護タクシー(訪問介護:通院等乗降介助)の仕事をしていて、時々自宅と病院の往復を送迎している。
自分は担当ケアマネではないが、訪問介護事業所の代表もしていて、
板橋さんは、透析が終わると「車お願いします」、といつも自分に電話をかけてくれていた。
そんな関係で、自分も心配になりwifeと彼のお宅に訪問した。


自分が到着する5分前に妹さんの車が停まっていた。
暖房は点いておらず寝室はひんやりとして空気が冷たかった。
ベッドを少し起こした状態で彼は寝ていた。

「板橋さん、おはようございます。躰しんどうそうだね。」
「布団から出る気力もない。今日はこのまま透析を休み家で寝ていたい」
「透析に行かないと、躰が浮腫み、心臓に水が溜まり余計苦しくなるよ」
布団から右手が見えていて、右手を見ると「グローブのように腫れているね(浮腫)。
水が溜まっているし、医師に診てもらった方がいいかな」
「私が車に乗せて透析センターまで行きましょうか。なんでこんなに躰がだるいか検査もできるよ」
彼は、「もう長生きしたし、透析も8年経つ。病院にも行かず、このまま死にたい」
「検査しても点滴しても、意味がない。何もしなくていいから・・・・」

透析の時間に遅れてもいいから私(娘さん)の車に乗せて行きます」
「(透析後)帰りは電話頂ければ介護タクシーで迎えに行きますので、気軽にお電話下さい」
と、言って彼の家を出た。

担当ケアマネに電話をかけ、朝の様子を報告した。

2時間後、透析センターに電話をかけたら
「今日は透析を休み、土曜日透析に行くことになった」(主治医からも今日の透析休みの許可がでた)。

11時半過ぎ頃、自宅から28km先にある地域包括支援センターに行く用事があり、キャンバスでまた出かけた。
彼の家は通り道から右折し1km先にあったので、様子を見に行った。
妹さんの車があり、玄関が開き娘さんが出てきた。
「今日は透析を休むことになり、土曜日でもいいと主治医からも話がありました」
「寒いから躰に気をつけてください」、と言葉をかけ、元の本道路に戻り包括支援センターに向かう。





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ジッと死に向かって生きる

2024-01-10 21:14:47 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2001 ジッと死に向かって生きる



昨日,キャンバスで約2時間をかけ
83歳の素敵なお婆ちゃんに会いに行って来た。
(介護相談を担当させて頂いているひとりの女性)

彼女は、悪性の外陰部癌の診断を受けた。
疼痛に耐え、ジッと生きている。
独り暮らしの彼女は、いま、サービス付き高齢者向け住宅に棲む。

彼女は寂しく、か細い声で話してくれた。
「神様は私には幸せをもたらしてくれなかった」
「人生の最後まで癌に苦しみ いまは死を待つだけ」

癌の痛みは本人だけしかわからない痛み。
手足は痩せ細り 棒のよう
両脚を動かすと激痛が走り
その痛みが顔に現れ
いたたまれない。

彼女は「痛い」と言わず、
笑顔で「(会いに来てくれて)ありがとう」と話される。

後、数日の生命かもしれない・・・・
ジッと死に対峙し生きている。

医師、看護師そしてケアスタッフが、彼女の居室を訪れる。

彼女との出会いのきっかけは、
私の妻の父親と従弟の関係にある。

20代のときに両親を見送り、
かけがえのない妹と弟がいた。

妹は妻子ある男性と交際、騙され海で入水自殺。

彼女が定年になり退職となり、その退職金の全てが、弟のサラ金返済に消えた。
その弟を恨むこともなかった彼女。
弟は手遅れの肝硬変を患い他界した。

それ以来家族はなく、独りで暮らしてきた。
昨年の今頃、外陰部に腫瘍ができ、場所が場所だけに受診が遅れに遅れた。

彼女は自分の生命はそう長くはないと悟り、自分の亡き後
家の取り壊しと葬式と墓を賄うだけの僅かな貯金を、妻の父親に託した。

彼女は話す。
「(私は)天涯孤独の身ではない。こうして従弟の妻が毎日のように来てくれ、独りではないと思い、救われた思いだった」。

そう話しながらも、従弟の妻が帰られたあとは、寂しく辛く泪が出てしまう。
彼女は、苦労の連続であっても、耐えて生きてきた。
いま、また疼痛にジッと耐え生きている。

何もできない自分、ただ、痩せ細り手を握り返してきただけの自分。
 

{いま思うこと}
彼女がこの世から去って5年7カ月になる。
茨城に帰郷したとき、折を見て何度か墓参りし、彼女に語りかける。
サービス付き高齢者向け住宅を訪れたとき、決して愚痴を言わず
従弟の妻や自分と妻も面会を終え、部屋を出るときの気持ちは
自分も辛かったが、彼女はそれ以上に辛かったのだと、いまも思う。

彼女のことは、なかなか忘れることができないひとりとなった。


2018年6月掲載した「ジッと死に向かって生きる」 一部書き直しました。


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2000回を迎えた『老い生いの詩(老い楽の詩』

2024-01-09 20:40:34 | 阿呆者
苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く


       朝陽の光に照れされた那須連山の雪景色はピンク色に染まった

今日で拙いブログ 『老い生いの詩(旧 老い楽の詩)』は、2000回目を迎えた。
1回目のブログは、2017年4月9日のことであり、6年9月が経った。
途中何度もブログが絶えながらもこうして再び㍶に向うことができるのは、皆様のお陰です。
ポッチとクリックやコメントの声援、応援 ありがとうございます。
「感謝」「感謝」「感謝」の気持ちです。

脳卒中などの病気で手足はままならず
杖を頼りにふらつきながら歩いている老人。
チョッと前に桜の花を観てきたことも忘れ、
自分は何をしようとしたかもわからなくなった老人。

要介護老人達に囲まれ
我が身の老いと重ね合わせ
在宅介護のなかに垣間見る「老いの風景」を描き
生きること老いること死することの意味を考えてみる。
                 (2017年4月9日)


老いの門をくぐった時であり、齢65歳であった。
どれだけ、「老いるとは」「生きるとは」のテーマを見つめ深めてきたのか。
考えは堂々巡りの7年であった。

あと10年は生きたい、と思うけど「こればっかりはわからない」。
両手の指を折っても足りないほどの疾病はあるけれど
「健康」であること、「歩ける」こと、生活に支障がない程度の軽い「惚け」であればいいかな、と願う。

毎日朝夕、散歩に付き合ってくれるbeagle元気は、今年4月で11歳を数える。
おたがいのためにも、「元気」であらねばと思う。

そして在宅に住む老人を訪ね歩き、
「どこで死にたいか」「どう死にたいか」など、率直に聴いたり話し合ったりしてきた。
老いの辿り着く先は「死」である、と頭でわかっているが、「死」はどんなものであるかはわかっていない。

住み慣れた家で、介護施設で、病院で 死を迎えるのは人それぞれである。
幾多の穏かな死顔に対面できたことは、大きな財産であった(合掌)。
死にきれず悔恨の死顔の老人はふたりおられた。そのときは哀しく辛かったことも忘れられない。

苦悩を背負いながら死に向かって老いを生いきて往く。
死によって苦悩から解放され、穏か安らかに逝きたいものです。







これからも声援のほどよろしくお願いいたします。

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「傘がない」

2024-01-08 20:49:41 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
1999 認知症老人は、「いま」生きている


      東北の玄関口(白河の関)、8cmほどの積雪。6時20分頃の朝焼けです{散歩風景}

認知症老人は、「いま(今日)」、生きている。
昨日のことを振り返ったり
明日のことを考えたりはしない。
いま、自分はどうしてよいか、わからず、困っている。

「まだ、ご飯を食べていない」
「さっき、夕ご飯食べたばかりでしょう」
「いや、食べていない」、と訴える。

「食べたでしょう」と、説明したところで、
当の本人は”いま、ご飯を食べたい”、そのことが一番の関心事であり問題なのだ。
「いま、ご飯を炊いているから、あと10分で炊き上がるから、待ってね」、と言葉をかけると、気持ちが落ち着く。
「さっき、食べたでしょう」、と話したところで、余計に言動が不穏になってしまう。

19歳の頃、井上陽水「傘がない」が流行した。
 ♪ 都会では自殺する若者が増えている
  今朝来た新聞の片隅に書いていた
 だけども問題は今日の雨 傘がない
 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ ♪


雨が降っている。彼女に逢いに行きたいが、傘がない。
いま、自分にとり一番の問題は、傘がない。

認知症老人から、「財布がない」「通帳がない」などと不安な様相で話しかけられたとき、
いつも井上陽水の「傘がない」の歌詞が思い浮かぶ。

認知症老人も井上陽水と同じ気持ちにある。
「自分にとり一番の問題は」、財布がない、通帳がない。
認知症老人は、いま財布がない、通帳がない、それを見つけるために生きている。

明日のことよりも、いま起きている問題を解決することが最優先なのだ。
それが解決しない限り、前に進めない。
認知症老人だけでなく、誰でも同じ気持ちにある。

認知症老人は、懸命に「いまに、生きている」
自分はどうだろうか。
老いの世界に足を踏み入れた自分。
老いの季節を一日生きていくと、死の影が一日近づいてくる。

老いはいつ死んでもおかしくない齢にある。
認知症老人と同じく、自分も「いま(今日)を大切に、いまやるべきことをやらなければならない」、
そう自省していても時間を無駄に消費してしまう。

いまを必死に生きている認知症老人の後ろ姿から、
自分は、「いま、生きているか」、ともう一人の自分に問いかけてみた・・・・・」





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「老人」と「高齢者」

2024-01-07 14:10:39 | 阿呆者
1998 老人について


         散歩の途中、立ち止まり 何人の無病息災無事故を祈る

いつの頃だか調べればわかることだが、いまそれはさして重要なことではないので触れない。
それは、町村役場市役所の窓口は「老人福祉課」から「高齢者福祉課」に変わり、
行政から出される文書でも「老人」という言葉は消え去っていた。

介護サービスにおいても、要介護老人とは言わず要介護高齢者と記されている。
齢を重ね重ね65歳の門をくぐると、法的には高齢者となり介護保険法では第1号被保険者となる。
「高齢者」と呼んだり書いたりすることに、抵抗感はそんなに無い訳ではないが、
自分のなかでは、シックリこない。

「高齢者」の文字からは、齢を重ねてきた人であることは「わかる」。
それに対し「老」「人」の文字は象形文字であるため、老人に対してイメージが浮かびやすい。
「老」は、腰が曲がり杖をついて歩く。
「人」は、今までは“人と人が支えてあう“として捉えられていた。最近は”横向きに立っている人“の象形文字である。
親しい人同士がくっ付いている姿が人が、「人」という感じに込められている、と解釈されてきている。

”人と人が支えあう“関係は、それはそれでお互い様でありよいことなのだが、
持たれかかる時間が続く(長く)なると負担になってしまう。
”親しいもの同士がくっ付いている“関係は、微笑ましく映る。

老いたとき、独りで居たい人はひとりでもいい。
付かず離れずの関係で気軽にお茶話や出かけるのもいい。

手足や躰が思うようにならなくなり、他人(又は家族)の手を必要になってくる。
そうなったときは、人と人が支えあうことになり、
介護や福祉、医療等のサービス(社会資源)を上手に使いながら、老いを生きていく。

そんなことを思いながらビーグル元気と阿武隈川の辺りを歩いている。
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(続き) 病気自慢

2024-01-06 16:12:35 | 阿呆者
1997 不幸比べ


右端に富士山が写っている。冬は関東平野から富士山が見える

昨日はスマホの画面で入力していたので、時間がかかり途中でやめてしまった。

齢42歳に原因不明の慢性腎不全症になり、人工透析をしたのは53歳。
56歳のとき腎臓移植をした。
慢性腎不全症はいまなお「健在」であり、いまは血栓症も患い、既往歴も含め13を数える。
自分も病気自慢の一老人になったのか・・・・、と他人にそう映ってみえる。

病院、医院(クリニック)、デイサービスに通う老人たちは入れ歯が落ちないか、と心配するほど大きな声ではなしている。
「死にたいよ」「早く迎えにこないかな」、と囁きながらも通院をされている。
「脚が痛い」「肩が痛い」、と医師に訴え、湿布薬を頂く。
「肩は痛く」ても手は上がる。
杖使用のはずだが、杖なしで歩いている。

本当に「痛い」ところは心なのかも知れない。
言葉で「痛み」を口にすることで、子どもたちや介護職から、自分の方に振り向いてもらいたい。
「(わたしは)ここに生きているよ」、とわかって欲しいのかもしれない。

「早く死にたい」、それは家族の一員として「居たい」、という気持ちが老人のなかに燻っている。
「痛い」は住み慣れた家の「居間」に「居たい」のだ。
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病気自慢

2024-01-05 21:49:17 | 阿呆者
1996 また、ひとつ病気が増えた


今日は、2024年最初の自治医大附属病院消化器外科受診。
昨年暮れに胃と大腸の内視鏡検査結果を聞くためであった。
胃は問題なし。
大腸の奥に8㎜の長さでポリープがあった。

女医の説明では、問題ないポリープだが、放置しておくと
ポリープが変質し予期せぬことが起こる心配がある。
日帰りでポリープ切除できるということで、2月5日に決まった。

ワーファリン効き目の状態如何で
ポリープ切除がなされるどうかかきまる。
ワーファリンの効き目が弱いときは
切除となる。


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透析患者通院交通費補助金申請手続きは、ケアマネの仕事ではない

2024-01-04 23:53:15 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
1995 透析患者通院交通費補助金申請手続きは、ケアマネの仕事ではない、本当にそうなのか・・・?


                    冬朝靄の阿武隈川

透析治療を受けておられる高齢者の相談と
2名の透析患者通院交通費補助金申請に関する手続きを行った。

それは透析治療を受けている本人及びその家族が申請手続きをするものだから
「そこまでしなくても」、と地域包括センターの責任者から苦言を頂いた。

しかし、そうは言っても要介護認定を受けていない「自立」した老人だから、と言って
かかわらないわけにはいかない。

町でも初めての透析患者通院交通費補助金申請だったので、
相談に来た家族(老妻)に、該当になるかどうかわからない、
県に問い合わせた結果、「通院交通費補助金申請」を受付ることは難しい、と話され家族は気落ちし、諦めてしまった。

自分は「そんなことはない、該当になる可能性が高い」よ、と本人、家族に伝えた。
自分は、昨年の暮れ28日に、町の障害福祉課の担当者と電話で相談した。

結果、1月4日 家族と一緒に障害福祉課を訪れ担当者と話し合いを行った。
・町内に透析の医療機関がない
・隣町には透析の医療機関はあるが満床で受け入れができない、と話された
・今度新しく隣町(先ほどの隣町とは違う)に透析のクリニックができたが、公共バスの乗車時間と透析治療時間は大きな幅がある。
・本人は車で通院すると話すも、主治医から運転は無理といわれた。妻は緑内障のため運転免許を返納された
上記の3番、4番の項目の理由により、福祉タクシーによる通院送迎を利用したい。
(※月額 上限25,000円の交通費補助金が受給できる)

上記の内容について、担当者に利用者の体の状態も含めて説明を行った。
例え公共の交通手段(電車、バス)を利用できても、透析を終えた後、体力は落ち、
透析後の疲労感もあり電車、バスの乗降は本人取り大きな負担となる。

自宅から透析クリニックまでのバスは1日3本(片道)しかなく、通学、通勤の時間帯に合わせている。
9時から13時まで透析治療であるため、公共機関のバスは運行されておらず空白の時間帯にある。

80歳近い老夫婦が、福祉サービスや介護サービスの申請を自力で行うのは本当に大変である
介護サービスでないから、ケアマネの仕事ではない、と割り切れるのか、と思ってしまう。

訪問していただいた皆様のブログ訪問ができず、すいません


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ブログのタイトル変更 『老い楽の詩』から『老い生いの詩』へ

2024-01-03 08:00:00 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
1994 ブログのタイトル『老い生い』に変更した



 老人という言葉の響きから、老人は負のイメージがあり、いつの間にか「できた」ことが「できなくなった」り、惚けてきたりする。

 鏡の前に立つと「おまえは誰だ」、と叫ぶ認知症老人の言葉に、自分に向けられた言葉なのか、とはッとさせられてしまう。顔躰は老醜の呈となり喪失の時代にある。そんな老いに抗い、老いは楽しく生き往くものだ、と捉え過ごしてきた。

 老いてもまだ仕事をせねばならない躰にあるけれども、死のことが気になりだしてきた。
老いの身にある自分。老い生いのはかなさと無力さを思う。

 物はいつか失くなる。貧しさのなかに育ち、「高度経済成長」とテレビに毒され生きてきた。いつの間にか、物欲に溺れ大切な心を見失ってきたのではないか。

 老いたいまになって気がついた。そんな生きることのはかなさとかなしさ。
この先、いつ人生の幕が降りるかはわからなさのなかで、おいおい(老い生い)の出来事を遺せたなら、と思っいる。
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能登半島地震

2024-01-03 06:35:57 | 阿呆者
1993 能登半島地震被災者皆さま 心からお見舞い申し上げます



思わぬ能登半島地震が起こり
厳しい寒さのなか、被災者皆さまのことを思うと
いたたまれない気持ちになります。
何もできない自分の無力さに情けなくなります。

地震が起きた日だけは各局は報道されていました。
昨日は何事もなかったかのようにいつもの番組が流れている。

大災害に対し人間は無力ではあるけれど
人間の智恵(知恵)と共助で復旧し
一日も早く日常の生活に戻れることを願う。

私利私欲の政治家の皆さま
いい機会です。贖罪の気持ちで
裏金を震災復興の支援金に回して欲しいものです。


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