霞ヶ浦のチューリップの後は 土浦海軍航空隊の跡地の一角に建てられてる
予科練記念館雄翔館を訪ねた。
英霊の遺書 遺品を永く保存しその遺徳を後世に伝えるため昭和43年建立されました。
遠来のお客様があれば必ずご案内してる所です。
山本五十六像が迎えます
建物は 航空母艦の形 屋上への通路は 艦橋を 屋上は 飛行甲板を現わしてるそうです。
屋上からは こんな具合
戦車が展示されてますが体力作りのためかそれとも休憩時間なのか隊員たちソフトボールに興じてました
山本大将何を思うか 平和を実感してるのかも知れない。
予科練二人像
命日には 像の前で酒を酌み交わす光景も見られたといいますが
戦後七十年近くなりました。
予科練と言えば 若鷲の歌記念碑
わかいちしおのよかれんの
ななつぼたんはさくらにいかり
きょうもとぶとぶかすみがうらにゃ
でかいきぼうのくもがわく
若い隊員たちの月月火水木金金
苦しい訓練に明け暮れ
国を守るそのひたむきさに訪れるたびに涙を誘います。
若鷲の歌もよく歌いこんだものです。
平和な時代でよかったと思います。
祖父は日露戦争に出兵、子供のころ話を聞いてました。
父は会社で火薬の取扱いをしていたので出兵なく、よって軍歴はなく、戦争の話はほとんどしません。
海軍の軍人さん、田舎ではスター扱い? オリンピックで優勝した頭空っぽの選手と同じ。中には優秀な人もいる~
映像写真から少年のひたむきさが感じられます。
まさにエリート
擦り切れるほど聞いた記憶があります。
予科練記念館の絵、数々見せて頂き有難うございました
これを見ていると戦中、小学生の頃が蘇ります
当時、予科練へ行ってお出でになった先輩が学校へ訪れ
いろいろと全校生徒の前で訓話 又、あの七つ釦のかっこうの良さ 思い出させて頂きました
では失礼致します
この歌を歌うと、不思議に元気が出たような記憶が
あります。
でも戦争が早く終わればいい、と正直思っていました。
古関裕而さんは 素晴らしい作曲家だと思います。
私は こちらが好きです。
以前は 語り部がおりましたようで
見学者は 感動したようです。
平和の有難さ実感します。
針を交換しながら聞いた記憶があります
確か霧島昇が唄ってたたような
エリートだと思ってます。
地元出身の作曲家古関裕而さんの作曲だからでしょうか?
中の様子が撮影できないので残念ですね。
いろいろと展示してありましたね。
その帰りに、先日投稿してあった、あの風車を公園で見てきました。
弟を特攻隊で亡くしたそうです。
今でも 時々此処に行くそうな
戦後生まれのやまちゃん
実感はありませんでしたが
姉さんの思いは強いものを感じました。
♪わかい血潮の予科練の~♪ と歌うことができます。
終戦時はまだ5歳の子供だったので戦争のことは
あまり分かりませんでしたが終戦後の食糧不足を
よく覚えています。なんでも食べたものです。
もう少しで 七つボタンでしたが
懐かしいというか 思い出します