姫先生のおめめ

25年間の養護教諭の経験と脳科学、波動理論から引き出すレジリエンス向上について書いています。

できることだけの世界なんてつまんない。

2007年11月28日 | 学校生活

【2007年の記事】



 今日は、本校の2年生が、進路学習(生き方学習)の一環として、「働く人のお話を聴く会」を開催しました。


外部から、いろいろな分野で働いている人をお招きして、生徒たちが「生き方」を学ぼうというもので、

数年前から2年生で取り組んでいる行事です。


 今回は、私が出演している地元ラジオの番組でごいっしょしているパーソナリティ MASASHI君 (役者)

 3年前からこの企画にご協力いただいている鵜飼さん〈板金業)、そしてNLPを一緒に学んだ百々さん(塾経営)、

地元大口町でこの学年の職場体験も引き受けてくださった田中さん(農業)の4名の方がお忙しい時間を割いて、本校に来てくださいました。


 未来ある中学生のために・・とご自身の仕事の時間を割いてまで、お話に来てくださる、そんな大人がいることのすばらしさを、中学生には感じ取ってほしいなと思いました。

 人間は、本能的に安心安全をもとめています。


 だから、知らないことやわからないことを、脳の深い部分では、不安とか不快ととらえます。

 でも、この「知らないこと」「わからないこと」すら、気づいていないという段階があります。

 新しい世界にふれるこということは、ある意味では、「知らないこと」「わからないこと」に気づくという次の段階になることでもあると思います。

 私は、そういう意味でも、生徒たちが、自分たちの知らない世界にふれるということは、大きな意味があると思っています。

 だって、考えてみてください。


 やり方がわかっていて、知っていることだけで、毎日が回っていたら、確かに安心だし、

次にどうなるかもたいがい予想ができる。でも、ずっとそれが続いて、その中だけで暮らしていたら、

「しらないことがある」ことすら気づく機会がないし、

そんな中で、人間としての気づきも、「知らないから学ぼう」という意欲はなくなってしまうと思いませんか?



 ちょうど、わかりきっている数学の問題、解き方を知っている数学の問題ばかりやっていると

情熱とか意欲がなくなってしまうのと似ているような気がします。

 本当に学ぶ人は、「自分の無知に気づいた」機会を得た人です。


 「できないから、わからないから」という問題にぶつかって、本当に知る必要にぶち当たった人です。

 知らないということが、「恥ずかしい」と感じて、それを隠そうとする偏屈なプライドによりかかっている暇があったら、

「知らないってことがわかったぞ!やったぁ。じゃ、また新しい何かをつかむことができるってことじゃないか」

ととらえて生きていきたいと思いませんか?


 わからなかったことが、心にすとんと落ちたとき、人間は大きな喜びを感じます。

 それは、その人の人生にとって、すごく大きなたからものなんです。

 私は、最近、考えます。

 「死ぬ瞬間に やらなかったことを後悔したくない」って。

だから、わからないことに出会ったら、大喜びで、学んでいこうと思っています。



 今日、いろいろな人の話を聴いた2年生の生徒たちが、ひとつでも、あたらしい発見があったとしたら、

それは、その生徒にとって大きな大きなたからものになると信じたいです。

 この企画のために、寝る時間、プライベートの時間も削って削ってがんばってこられた2年生のエリ先生。

 ほんとにお疲れ様でした。


 2年生の先生方も、たくさんの行事を積み重ねながらのさまざまな取り組み、本当にお疲れ様でした。

 先生方の熱い思いが、生徒たちの心に届き、すばらしい学年として、来年度の新生大口中学校を支えてくれますように。


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