高校を卒業して30年以上の歳月が流れたが同窓の窓は常に開かれているのだと思うと喜ばしいことだ。
もちろん選良が集まった学校だったからきっと私の窓は端っこのほうの小窓なのだろう。
それで十分である。
自分より同等以上の人たちとの会話は楽しい。
中国語とタガログ語のメールが来ていたが読む気にはなれなかった。
もちろん選良が集まった学校だったからきっと私の窓は端っこのほうの小窓なのだろう。
それで十分である。
自分より同等以上の人たちとの会話は楽しい。
中国語とタガログ語のメールが来ていたが読む気にはなれなかった。