江戸っ子の「粋」とはすれすれを行きながらも本道を踏み外さないことである。
「粋」でないものを「野暮」と言うが、これは「気障」と違ってまだ直るものだからまだマシなものらしい。
最近、自分の話し言葉の中で「でも」「だって」「しかし」「そうは言っても」などの「戸締め言葉」が多いことに気がついた。
ただでさえ短気なのに年とともにさらに人の話を聞くのが面倒になってしまいついつい相手の話の腰を折ってしまうのだ。
コイツは野暮天のすることだから気をつけなければと思った次第である。
そういえば粋な遊び人だったじいさんは孫の話だって最後まで聞いてくれたっけ。
かっこ良い服を粋に着こなすのも実は他人のためなのであって、ひとりよがりであったらそれは気障でしかない。
時代劇ファンで長谷川平蔵フェチの自分がそんなことを忘れてはならない。
「粋」でないものを「野暮」と言うが、これは「気障」と違ってまだ直るものだからまだマシなものらしい。
最近、自分の話し言葉の中で「でも」「だって」「しかし」「そうは言っても」などの「戸締め言葉」が多いことに気がついた。
ただでさえ短気なのに年とともにさらに人の話を聞くのが面倒になってしまいついつい相手の話の腰を折ってしまうのだ。
コイツは野暮天のすることだから気をつけなければと思った次第である。
そういえば粋な遊び人だったじいさんは孫の話だって最後まで聞いてくれたっけ。
かっこ良い服を粋に着こなすのも実は他人のためなのであって、ひとりよがりであったらそれは気障でしかない。
時代劇ファンで長谷川平蔵フェチの自分がそんなことを忘れてはならない。