こんにちは、しーちゃんです。
ご訪問ありがとうございます
前回の続きです。
国道17号線へ戻り、一番の目的であるランチへ向かいます。
結婚式場裏を通りがかると、庁鼻和(こばなわ)城址物見櫓跡の案内板がありました。
「室町時代の初め、関東管領の上杉憲顕は、北関東の治安維持のため、六男の上杉憲英に深谷を治めさせ、憲英は庁鼻和城を築いた。
─中略─ この地には城の物見櫓が建てられていたと伝えられる」
(案内板より)
仕方ないこととはいえ、その名残りを見出すことができませんでした。
お目当てのお店に行くと、営業時間になっているはずなのに、暖簾が出ていません
お店の中には人がいるっぽいけれど、ドアも鍵がかかっていました。
今日はこんな感じで、ツイていないのかもと諦め、来る途中に見かけたお寺へお邪魔しました。
庁鼻和城址 と 国済寺
「関東管領上杉憲顕は十三世紀末、新田氏をおさえるため、この地庁鼻和に六男の上杉蔵人憲英をつかわし館を築かせました。
憲英はのち奥州管領に任ぜられ、以後憲光・憲長と三代この地に居住しました。
─中略─ 康応二年(1390年)高僧峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師を招いて、管内に国済寺を開きました」
(こちらも案内板より)
深谷のことを何も知らず、お恥ずかしい限りですが、地名にもある“国済寺”が庁鼻和城址でもあるのですね。
本堂裏に、当時の築山と土塁が残っているそうです。
(詳しいページがありました→コチラをどうぞ)
境内のお隣に梅林、駐車場にも梅の木がありました。
華やかな香りに包まれて、うっとり観梅させてもらいました
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「室町時代の初め、関東管領の上杉憲顕は、北関東の治安維持のため、六男の上杉憲英に深谷を治めさせ、憲英は庁鼻和城を築いた。
─中略─ この地には城の物見櫓が建てられていたと伝えられる」
(案内板より)
仕方ないこととはいえ、その名残りを見出すことができませんでした。
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お店の中には人がいるっぽいけれど、ドアも鍵がかかっていました。
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庁鼻和城址 と 国済寺
「関東管領上杉憲顕は十三世紀末、新田氏をおさえるため、この地庁鼻和に六男の上杉蔵人憲英をつかわし館を築かせました。
憲英はのち奥州管領に任ぜられ、以後憲光・憲長と三代この地に居住しました。
─中略─ 康応二年(1390年)高僧峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師を招いて、管内に国済寺を開きました」
(こちらも案内板より)
深谷のことを何も知らず、お恥ずかしい限りですが、地名にもある“国済寺”が庁鼻和城址でもあるのですね。
本堂裏に、当時の築山と土塁が残っているそうです。
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華やかな香りに包まれて、うっとり観梅させてもらいました
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