市役所からほど近く、天気の良い日曜日には多くの市民が集う場所なのでしょう。
北埼玉と比べまだクビカアカミキリの被害が少ないようです。もう二週間もすれば色鮮やかな桜色が広がるようです。
花咲く時を待つ間、穏やかな日々を過ごします。卒業式を無事に迎えられれるように願っています。
昼間の暑さはまだまだ厳しいものですが、朝晩の空気は涼やかで長かった暑さの峠も超えたように感じます。
「処」とは止まるといふ意味があり季節が入れ替わる頃を表します。
蓮の花の季節も終わりますが、「白光蓮」が最後の一輪を気高く花開かせていてその生命力に驚かされています。
稲穂も実り頭を垂れるまでになりましたが刈り入れまではもうしばらくかかりそうです。こうなってくると台風の到来がいよいよ恐い時期になります。毎年立春から数えて二百十日目と二百二十日目を農家の厄日として雑節として暦に記します。台風の特異日です。
当社においては末社の一つに風神社をお祀りします。御祭神は志那都比古命(しなつひこのみこと)。伊邪那岐、伊邪那美との間に生まれた風の神様です。ほかの末社には幣束を入れる社殿に扉がありますが、風神社にはありません。常に風を受けているのです。
小暑の次候にあたる「蓮始開」。仏教とともに渡来し蓮華とも呼ばれる蓮の花が開くころ。「泥(でい)より出でて泥に染まらず」と言われる通り蓮は古来より清らかさの象徴とされてきました。
蓮の花は深夜よに闇の中でひっそりと開き始め、完全に開くのは夜明けごろ。そして昼過ぎにはその花を閉じてしまいます。
また蓮の実の皮は厚く長期にわたって発芽能力を保ちます。
1951年に発見された弥生時代の蓮の実が二千年の時を超えて花を咲かせた「大賀ハス」は国内外で話題となりました。
1971年(昭和46年)行田市では小針地区にゴミ焼却場を建設するため造成工事を始めます。この時掘り起こされたのが地中深く眠っていた古代蓮の実であったそうです。1975年(昭和50年)の調査で行田の古代蓮は2500~3000年ほど前のものと判明したそうです。
ここ古代蓮の里が公園として開園したのは1995年(平成7年)のこと。わたしはここを高校時代に自転車で毎日走っていました。1988年(平成元年頃です)から1991年にかけて。まだ公園も整備されていない時代です。まさに一面の田んぼでした。
三十年後立派に整備され、日本一の田んぼアートの町となるとは夢にも思いませんでした。
多くの観光客が訪れる素晴らしい古代蓮の里を地元の住民として誇りに思います。