皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

真っ赤に焼けた笑顔の先に

2017-05-28 23:13:08 | 日記
昨日までの雨も上がり、小学校の運動会が開催されました。春期と言えども初夏を通り越して、真夏の日差しの元での運動会です。残念ながら私自身は仕事の都合で見に行くことができませんでした。六年生になる姉が保育園のころから、なんとか都合をつけ休みがとれなくても、朝の開会式だけ見たり、閉会式ぎりぎりで駆けつけたりしながら、10年以上見てきましたが小学校最後の運動会を見に行くことができませんでした。

移動された先生が駆けつけてくれたようです。また競技や演技の様子はビデオで撮ってもらいましたので、見ることができました。わずか70人にも満たない生徒数ですので、休む間もなく出番が回って来ます。何よりも真っ赤にに日焼けした顔と、帰って来るなり楽しそうに話をする表情で一日とても楽しかったことがわかります。ビデオに映る一二年生と比べると、体格面で驚くほど成長したことがわかります。
姉弟揃っての運動会は今年で終わりですが、とても貴重な時間を過ごすことが出来ました。学校周辺では黄金色に輝く麦の刈り入れと、田んぼに水が入り田植えの準備が進んでいます。
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関東の石舞台に

2017-05-27 16:45:00 | 史跡をめぐり
今日は春の運動会の予定でしたが、残念ながら天候不順のため明日に順延となりました。思わぬ休日に当たり、史跡巡りで、工業団地内にある八幡山古墳にいってみました。「関東の石舞台」と呼ばれ古墳の塚の中にある石室がむき出しになっています。
7世紀前半の古墳とされ、昭和19年に埼玉県指定史跡になっています。昭和9年の市内小針沼の干拓のために、古墳の塚を切り崩しその過程で横穴式石室が現れたようです。普段は石室は施錠されており、土日の昼間だけ公開されます。羨道から奥まで入ることができ、埋葬者の気持ちで石室の天上を見上げることができます。また奥室は昼間でも暗いためセンサーライトがつけられています。羨道の入り口に八幡社の石祠が佇みます。設置されている資料によれば、この古墳は物部連兄麻呂が埋葬されたとされる説があるそうです。聖徳太子の部下としてつかえたとされ、633年に武蔵国造に任じられています。歴史の教科書から地元の古代史に繋がります。六年生長女が興味深く見ていました。
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石地蔵は地の恵み

2017-05-22 21:43:16 | 神社と歴史 忍領行田
荒木の三十番神社の南の通りある石地蔵。以前なら何気なく通りすぎてしまうところですが、郷土歴史に興味を持ちはじめて以来、こうしたものに目をむけずにはいられなくなりました。由緒書きによれば江戸初期の頃から信仰に暑い者により、地蔵様が立てられたとありますが、以来数百年地域の信仰となっているとあります。石地蔵は「野の仏」と呼ばれ、地蔵は大地が万物を育成する徳のことを指しているとされます。地蔵菩薩は六道の衆生を罪苦より救うことを意味します。六道とは地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の六所で衆生が各々の諸行により赴く所だそうです。
また、地蔵は閻魔王の本地仏とされ、地蔵を信仰すれば現世の苦悩を救うだけではなく、地獄に堕ちてもなお、その苦しみから免れると信じてこられたそうです。
一定の住まいを持たない地蔵は、六道にさまよえる者全てを救い、自身も六道を住みかとして永遠に回り続ける。よって何処ぞの世界に迷っても必ず地蔵は待ってくれるものだとされます。
これほどまで深い民間信仰はあまりないとされています。
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日蓮宗と法華神道

2017-05-22 13:58:05 | 神社と歴史 忍領行田
行田市荒木地区にある三十番神社。現在多くの神社は神社本庁に属する形態ですが、単立の神社だと思います。歴史の教科書で習いましたが、鎌倉時代に日蓮によって開かれた日蓮宗は、他宗派に対し攻撃的だったと言われます。しかし神道に対しては信仰が厚く、天照大神と八幡大菩薩を曼陀羅の中に勘請するなどしています。(法華神道)その中心思想が三十番神思想と言われ、熱田、諏訪、伊勢、八幡、春日など、三十柱の神様が日蓮宗の法華経と信者を守るという信仰です。
これに対して、京都の吉田神道の吉田兼倶が「三十番神は天台宗の踏襲か」との質問を出し、日蓮宗が否定するという論争があったとされます。神道というとどちらかというと、あらゆるものに寛容な印象がありますが、ながら歴史のなかでは、多くの宗派が論争を起こしてきました。境内地は杉林が広がり、また地区会館も併設されています。形態に関わらず、地域の信仰として大切に受け継がれているようです。私は学生時代神社実習として、京都吉田神社にいきました。
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板べっこから板べっちょに

2017-05-20 21:43:40 | 心は言葉に包まれて
普段私は食品販売、製造の現場で働いておりますので、パートタイマーの女性と一緒に働くことがほとんどでです。「女三人よれば、姦(かしま)しい」との言葉通り、元気に良く話をする人が多く、よくも悪くも賑やかな職場です。管理者の立場上、気も遣うことも多くなりますが、やはり言葉は生き物だと感じることがあります。
作業でアルミの板を良く使用するのですが、業界用語では「トレー」または「パイレッシュ」などと呼びますが、人によっては「板べっこ」更に進化すると「板べっちょ」と呼んでいます。「その板べっちょとってくんな」などと会話しています。行田市史下巻に民族の項目には確かに板切れのことを「板べっこ」と呼ぶと書いてあります。立派な方言の活用だと驚きました。
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