皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

心を病む最大の原因は

2024-06-30 23:34:48 | 先人の教えに導かれ

心を病む最大の原因は『考えすぎ』

心を病んでいる人は単純なことも複雑に考えている自覚がなくてずっと難しく考えている。いくら考えたところで結果はさほど変わらないので考えるのやめた方がいい。

人は考える葦であるとも言うけれど、大概考えることで気持ちが落ち込むことの方が多い。

時間が解決することもあれば、解決ぜずとも問題が問題でなくなることも少なくない。

行動の伴わない熟慮はしないことに越したことはない。

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水無月蓮日記

2024-06-29 09:08:30 |  久伊豆大雷神社

令和六年水無月蓮日記。
早いもので今年も折り返しの時期となりました。明日は水無月大祓です。新年を前にした師走の大祓よりも、年の途中夏を目前にした水無月大祓のほうを大事にする風習かあります。今年も蓮根を奉納していただき、現在蓮華の開花を迎えています。鉢に植えきらなかった肖英(肖には人偏がつきます)は休耕田の池に植えたところきれいな花を咲かせてくれました。


水無月の間に御神前の小舞妃蓮と手水舎の太白蓮が咲いています。花の開花はわずか四日と儚いものですが、参拝にいらした人の癒しになっていると思います。
蓮の季節を迎えて、立ち葉が青々と広がり日々花咲く朝を楽しみにしています。



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希望の花が咲くように

2024-06-18 17:12:39 | 生涯学習



令和六年度忍小学校放課後わくわく学童くらぶに参加しました。一昨年に運営補助員に誘われ、月に2度の開催に参加していますが、なかなか都合が合わず、6月になって初めて参加できた次第です。梅雨入り前ですが、児童玄関には傘がきれいに並んでいます。

毎月の学校活動の目標です。落ち着いた生活をする。梅雨時期らしいテーマです。






6月の活動内容は絵手紙でした。デジタルツール全盛の中で、葉書などに手紙を書く機会が少なくなっています。実際に色鉛筆でかたつむりに色をつけ、書き足していくと筆も進みます。自分自身こうしてスマホやパソコンに入力ばかりで、実際にペンをもつ機会が減っていることがわかります。(反省を込めて)



わくわくクラブの時間が終われば、正規の学童へ引率しています。今年度から指導員としてきていらっしゃる松本先生は私の中学一年のときの担任の先生なんです!
今日は連絡を入れておいてためお会いする事もできました。
先生とは昭和60年、遠足にてつくば科学万博に行っています。40年近く経ち当時の思い出を話す機会が持てたのは夢のようなことです。何事も縁を大事に生きることの大切さを噛み締めています。


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蓮田市閏戸 久伊豆神社

2024-06-04 20:56:49 | 神社と歴史

閏戸は蓮田台地の中央に位置し、西は綾瀬川隔てて伊奈町、東は元荒川を隔てて白岡町に接する。閏戸とは「潤う土」から転じたと考えられ、古来水に恵まれた地域であったとこが伺える。元禄十一年(1698)閏戸は上・中・下に分かれ上では愛宕社、中にてこの久伊豆社、下では伊夜彦社を祀るようになっている。

風土記稿中閏戸村の稿によれば「久伊豆神社二社 村内の鎮守也、中古騎西町に立つ久伊豆社を勧請せしと云う」と載るように境内にはかつて二社の久伊豆社が祀られたことになっている。一社は「西宮」と称し見沼用水を背に鎮座し、「東の宮」は現在の国道122号線を挟んで向き合うように鎮座していたという。現在のお社は西宮が残ったもので、往時は真言宗福正寺が隣接して別当であったとされる。

現在その別当福正寺はなく、蓮田北小学校となっている。明治七年上・中・下の閏戸村は合併し同九年この久伊豆社が村社となっている。

春祭りには災害除けと豊作を祈願し獅子回しが執り行われるという。(現在は不詳です)騎西町の玉敷神社から獅子頭を借りて神前にて奉納、その後村内の氏子宅を回ったという。

閏戸村は『郡村誌』によれば「農業を主とし、産物は米、大豆、甘藷、大豆、ほかに製茶を営む」とあるように古くからの農業地帯であるが、近年では梨農家が増えている。

農業地帯ゆえに古くから作神信仰が厚く戦前までは榛名講、大山講などの講社が盛んであったという。

小学校と隣接する境内地は静寂で、夕刻の学童保育の声が盛んに聞こえ伝わる。昭和の学校教育の様子がそのまま残った印象で、こうした風景が今後も地域と一体となって残ることを願わずにはいられない。

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