皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

城址の風~令和二年桜紀行

2020-03-27 23:03:10 | 生涯学習

 例年より早く桜満開の季節を迎えました。令和の時代となって初めての桜の季節がかように情勢不安となることとは思いもよりませんでしたが、花は何事もないように咲き誇っています。自粛要請、正念場、不要不急といった言葉も花の美しさ儚さの前にかすんでしまうように思います。ですが今起こっていることが数年後歴史的事態と語られるのは間違いない事で、人として今すべきことは何かを考えなければならないと思います。

 市民大学同窓会「城址の風」として少ないながらも活動を続けてきましたが、今春の状況を鑑み皆で集まることを文字通り自粛しています。親しい仲間と花を愛でることを楽しみにしておりましたので、残念ではありますが個々の花見の写真をLINEで共有し交流を図っています。年齢を重ねてもこうしたSNSでの情報共有は楽しいものです。

さくらを眺める猫の後姿は前玉神社での様子です。

行田市野のある万願寺のしだれ桜は推定樹齢600年を数える見事なもので、市の天然記念物に指定されています。『増補忍名所図会』に記載のある貴重な古木です。(清水正澄さん)

都内晴海の桜を贈ってくれたのは榎本恵さん

吹上新宿公園から、元荒川、駒形遍照院、埼玉古墳、水城公園と自転車で市内を廻った齋藤さんご夫妻は、夕方になって皿尾城の桜を見に来てくれました。

西日に照らされる皿尾城公園のさくらはいっそう儚く美しい姿です。

美しい桜の花の下で同じ時を過ごし、会話を交わすことは人が生きる上で最高の喜びであると思いますが、今のような状況ではそれもかないません。ですがこうしてインターネットを通じて瞬時に景色を共有できる時代。

それはそれでまた素晴らしい事。事態の収束を願いつつ桜の花と心の交流を深めた令和弥生の一日となりました。

 

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夜桜お七 其のニ

2020-03-22 23:07:18 | 心は言葉に包まれて

1994年平成6年発売の坂本冬美「夜桜お七」は自己主張する現代の女性像を八百屋お七になぞらえた名曲。江戸時代の浮世草子である井原西鶴の「好色五人女」の中にある「恋草からげし八百屋物語」に登場する八百屋の娘お七をモデルにしている。「好色五人女」は五組の男女の悲劇的な恋愛事件を題材とした中編小説。

天和二年(1683)に起きた江戸の大火事(天和の大火)に酔って本郷に住む八百屋八兵衛一家は焼出され、駒込吉祥寺へと避難した。避難生活の中で娘のお七は、寺小姓小野川吉三郎の指に刺さったとげを抜いてやったことが縁で恋仲となっていく。時がたって契りを結ぶが、寺から出ていったお七と吉三郎はなかなか会えずにいた。

思いつめたお七は家がまた火事となれば吉三郎のいる寺へと戻れると思いあろうことか家を放火してしまう。近所の人によって火事はボヤ騒ぎで収まるものの、お七は捕らえられ自白し、市中引き回しの上火あぶりとなってしまったのだった。

この時病の床に伏していた吉三郎はお七の動向がわからずじまいであったという。百日供養の済んだ後真新しい卒塔婆にお七の名前を目にし、吉三郎は悲しみのあまり自害しようとするが、お七の両親に泣いて説得され、出家の道を選びお七の霊を供養したという。

井原西鶴の『好色五人女』で広く知られることになったお七の物語はその後歌舞伎や芝居などの題材として数多く取り上げられ、知られることとなったが、歴史的資料については少ないという。わかっているのは「お七という娘が放火し処刑されたこと」だけだという。それだけに後年様々な人々が想像を働かせてこの物語を継いできたという。

さくらさくらいつまでたっても来ぬ人と

死んだ人とは同じこと

さくらさくらさよならあんた

さくらさくら花吹雪

さくらは現代でも美しさと儚さの象徴として多くの日本人に愛されている。

悲しく儚い別れの恋の歌がそこにはあった

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夜桜お七 其の一

2020-03-21 21:17:29 | 心は言葉に包まれて

桜の開花を迎え、至る所で桜ソングが流れている。2000年代頃から桜を題材にした楽曲が盛んに創作され、ジャンルを問わず多くの支持をあつめ、社会現象となったという。福山雅治の「桜坂」が発売されたのは2000年4月のこと。

 ところでそれよりもずっと前にある演歌歌手が夜桜を歌った名曲を発表したのは1994年平成6年9月のこと。第36回日本レコード大賞優秀賞に選ばれ何度もNHK紅白でも歌われてきた。

坂本冬美の「夜桜お七」。昨年令和の御代を迎える前に平成の名曲集として、社内で盛んに流れていた曲だ。あるフレーズがずっと心に残っている。自己主張の強い女性像をある歴史人物になぞらえているという。

赤い鼻緒がぷつりと切れた

すげてくれる手ありゃしない

置いて堀を蹴飛ばして

駆け出す指に血がにじむ

さくら さくら いつまでたっても来ぬ人と

死んだ人とは同じこと

さくらさくら 花吹雪

燃えて燃やした肌より白い花

浴びて私は 夜桜お七

さくらさくら 弥生の空に

さくらさくら 花吹雪

口紅をつけてティッシュをくわえたら

涙がぽろり もうひとつぽろり

熱い唇おしあててきた

あの日のあんたもういない

たいした恋じゃなかったと

すくめる肩にかぜが吹く

さくらさくら いつまで待っても来ぬ人と

死んだ人とは同じこと

さくらさくら花吹雪

抱いて抱かれた 二十歳の夢のあと

おぼろ月夜の 夜桜お七

さくらさくら 花吹雪

さくらさくら さよならあんた

さくらさくら花吹雪

一番2番ともAメロとして「さくらさくらいつまでたっても来ぬ人と 死んだ人とは同じこと」とある。

昨年毎日のように聞きながら衝撃的な歌詞であった。どんなに思っていても会えぬ相手は死んだと思え。そんな意味だと思っていた。一年後のいま調べてみるとお七自体が江戸期のある女性をモデルとしていたことを知った。

江戸時代の浮世草子、井原西鶴「好色五人女」の恋草からげし八百屋物語に登場する八百屋のお七という女性であった。

 

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泉蔵院と竹内露白

2020-03-20 22:40:34 | 寺院と歴史

皿尾村にある泉蔵院は真言宗智山派の寺院で無量寿山阿弥陀寺と号す。創建に関する資料はないが、遍照院門徒として江戸初期には創建されたと考えられている。社家である我が家の菩提寺でもある。

古くから農村部として開けた皿尾村であるが、忍の沼尻に接し、治水に悩む土地柄であった。水を引く、排すともに苦労してきた歴史がある。明治期になると他地域に先駆けて煉瓦水門を設置し灌漑に利用してきたという。村の北側から外張堰、松原堰、堂前堰といった。泉蔵院墓地内に現在も堂前堰が残っている。忍川皿尾橋から百間ほどの所で、今でも台風などの大水の際はここ堂前までは水に浸ることがある。字名も「堂前」として残る。

社家である我が家の墓所には榊を植え、彼岸の折にはその葉を供えている。

皿尾村には御一新とまるまで村役割名主がいたという。竹内家といったそうだ。江戸後期には竹内露白という俳人を輩出している。辞世の句が墓碑に記されている。天保三年十二月二十八日没。享年七十.。墓碑は巨大なもので、行田市史下巻によれば忍領における文学墓碑ともいうべきものである。

すずしさや きままに旅は ゆき次第    露白

若き日の夏の日の旅路を詠んだものであろうか。旅路に履いた忍名産の足袋を掛けたものであろうか。

時の流れはむなしいもので、明治以降東京に出てしまったという竹内家の墓守はなく、現在一部の墓石は倒れたままになっている。移り変わる時世に身を置きながら村の歴史を伝えるとともに、今後こうした墓地の整理もしなければならないと思っている。

 

 

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バンドワゴンと負け犬効果

2020-03-17 21:48:16 | 物と人の流れ

 物流が混乱し始めてからしばらく経った。マスク、紙製品中心に小売店の品薄、品切れが続いている。東日本大震災のあと、日配品の納豆の品薄が続いたのが記憶にあるが、今回も安定供給が出来なくなっているようだ。小売業におけるバイヤーの役割は2つ。商品開発と安定供給。消費者にとってより良い商品を選定することと同時に、常に必要とされる量を確保することが重要だ。

 

みんなが買っているから安心、欲しいという購買欲求をバンドワゴン効果と呼ぶ。元は行動心理学の用語で製品や事柄に対して大勢の人が支持すればするほどいっそう支持が集まる現象のことを指す。パレードにおける行列の先頭を行く楽隊車が語源となっているらしい。日本語の表現では「時流に乗る」「多勢に与する」「勝ち馬に乗る」といったところになるだろう。意味合いが少々異なるが、このバンドワゴン効果はいかにも縦隊列のような表現だが、横にすると「赤信号みんなで渡れば怖くない」といったところになるかもしれない。

流行りのものが欲しいという欲求は平時の日常生活に則したもので、今回のような、なくなると困るのでとりあえず欲しいという購買意欲とはやや異なるように思う。かつての流通最大手ダイエーは何から何まで品ぞろえすることで、集客しようとしたがかえって店づくりが単調となって、「何でもあるけれど、欲しいものがない」と謳われたのだった。

 人は時に、無いものが欲しいのだ。その欲の元になるのは自己防衛本能かもしれないし、ただ単に平和ボケした思考停止の末路なのかもしれない。

自宅にこもりがちな子供たちが「鬼滅の刃」を夢中になって読んでいる、。単行本は完全に入荷待ち状態。ややバンドワゴンを狙った出版計画の様に感じてしまう(あくまで根拠のない私見です)。

 「バンドワゴン効果」の対義語として「アンダードッグ効果」というのもあるらしい。「負け犬効果」というのはあまり聞かないが、選挙などにおいては不利な状況において同情心があつまること。選挙などにはこうした行動原理も考えられるが、こと購買行動においてはあまり見られない。

 「欲」をコントロールすることは難しい。他人に影響されてまで買いまわることは大事な「時間」の浪費にもつながる。思考の停止だけはしないよう心掛けたいものだ。

 

 

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