自分がこの先続くであろう長く苦しい人生をなんの義務があって最後まで生き続けなければならないかわからず深く悩む人は多い。
今現在なぜ生きるのか。苦しくないのか。
すでに達観に至る人にとっては一切の苦はないでしょう。しかし多くの人にとって苦とは常に背中合わせ。その生をなぜいきるか。
生きると決めたあとの人が人生をより長く、より便利にするものが医学であり理工学であるそうです。文学とはその手前で必死に息を詰めて考えている孤独者に囁きかける学問のこと。
文学も哲学も「生きる 」という自分のおかれた状態「生から死までの限りある線分」とはいったい何か自分なりの「言葉」を与えるための知なのです。「生きる」を考える営みこそもっとも激しい生き方であると言います。
生を燃焼させず、目の前にある世界と格闘もせずただ老いて死ぬことを待てますか。私にはできない。
だから日々の仕事の中で疑問を持ち、書物を読み、SNSの空間で言葉を拾い、こうして今叫んでいる。
どんな世界でもいい。自分の限りある時間を大事に過ごし、他者に向けて発信すること。それこそが生きることの根底ではないでしょうか。