皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

北条氏政と汁かけ飯

2020-01-28 23:16:18 | 昔々の物語

 今年もNHk大河ドラマがスタートした。時は戦国、主人公は明智光秀。『麒麟が来る』のタイトルもまたとても興味深く、開始2話ながら戦国の物語に引き込まれてしまった。第一話での光秀の言葉に『旅をして解った。京にも美濃にも麒麟はいない。ならば自ら麒麟となって戦いのない世を作る他ない 』といった台詞があり、やはり時代を問わず生きる上での使命を持った人はかがやきを見せると感心して見ていた。

 近年の大河ドラマで特に記憶に残った作品はやはり2016年の『真田丸』。堺雅人演じる真田信繫が、北条攻めに際して、時の4代当主氏政を説得したシーンを覚えている。

氏政を演じていたのは高島政伸でその演技ぶりは今回麒麟が来るの齋藤道三役、本木雅弘に通じるものがあるように感じた。

結果からすれば豊臣軍に屈した北条の当主として敗者のイメージが付きまとい、後世に於いてもその負の側面を表した逸話がついて廻る。

氏政の有名な逸話の一つに『汁かけ飯の話』が残っている。

食事の際、氏政が汁を飯にかけて食したところ、その汁が足りなかったのかもう一度汁をかけたしたという。これを見た父の氏康が『毎日食事をしておきながら、飯にかける汁の量も量れんとは。北条も儂の代で終わりであろう』と嘆いたというのである。汁かけの飯の量も量れぬものに領地や家臣を推し量ることはできるはずもないとの意味である。

 結果的に小田原落城を招いたことで、氏政の評価は低くみられがちだが、実際にはこの逸話は後世の創作だったようで、同様の逸話が毛利元就と輝元の間にも残っているという。

 『麒麟が来る』に戻るが、歴史は勝者によって語られる。敗者は汚名を着せられて時の流れに漂うしかないのなかったのだろう。だから勝ち抜かなければならない。目の前の敵を切り倒さなければならない。少なくとも近世まではそれが世の常だった。

 平和な時代に生かされることで、その敗者の歴史にも光を当てることができるのだろう。

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クラブ代表者会議にて

2020-01-27 23:37:02 | 生涯学習

市民大学同窓会第二回クラブ代表者会議に参加しました。会場はコミュニティーセンターみずしろです。コミュニティーセンターといえば私が小学生の頃建てられた市の施設で、市役所の南側、水城公園の入り口にあります。今でも児童センターとしても活用されており、コミセンの名で親しまれています。今では行田市民活動のサポートセンターになっていて、市民活動の拠点となっています。

 高校を卒業し一年浪人もしましたので、旧図書館で一年過ごした頃も自分たちの憩いの場でありました。社会人となってやや縁遠くなってしまっておりましたが、行田市民大学にお世話になり、こうして市民活動に携わることでまた訪れる機会も増えました。

 

映画「のぼうの城」のヒットにより「忍の浮き城」といった名が知れ渡りましたが、昭和の時代まではほとんど「水城=みずしろ」といった呼び名の方が通ていたように思います。よって戦後整備された市の公園も「水城公園」であり、浮き城公園ではありません。

 

 行田市民大学は卒業後も同窓会組織があり、卒業生に入会を呼び掛けています。私は今年同窓会一年目になります。

「自ら学ぶことは楽しい事です」「共に学ぶ仲間に出会えることは嬉しい事です」「学んだことを地域に活かすことは素晴らしい事です」

行田市民大学の理念を広め浸透させるには卒業後の方が重要との考え方から、同窓会では委員会が事務局を含めて4つあり、各委員が中心となって同窓会活動を年間通して行っていますが、同窓会の核となるのが市民大学時代から継続している各グループです。私も「城址の風」というグループとして郷土史研究と史跡巡りを中心として、6名で活動しています。

 その代表者会議が年2回行われていて、今日初めて会合に参加することができました。主な議題は同窓会におけるクラブ活動の在り方について。特に同窓生に対する情報の伝達、行事等の連絡方法が議題として議論されました。

 市民大学の同窓生は年配の方が大勢いらっしゃいますので、その連絡形態の在り方については多くの議論がされました。インターネット、メールといった手段は効率的で便利なものですが、すべての会員に対して連絡するには障害もあります。また同窓会そのものの運営もまさにボランティアですので、事務局がすべて対応するのも限度があります。そうした中で皆さんの意見を伺いながら、最も心に残ったものがありました。方法論としての議論も大事ですが、同窓会としての趣旨を全員に理解してもらうことが前提であることを忘れてはいけないということです。卒業後こうした市民活動から足が遠のいてしまう人に対して、丁寧に説明する必要があるといった意見が出されました。

 大事なことは効率ではなく、人が人に伝えること。その手段として何が最適であるかは時代や状況によって変化する。綺麗ごとかもしれませんが、地道に人としてのつながりを続けることが大事ではないかと思います。

 来月には現在の市民大学在校生の研究発表会となります。発表まではご苦労も多い事となりますが、そうしたことを乗り越えることで見える景色もありますので、是非頑張っていただきたいと思っています。

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忍城 八軒口御門跡

2020-01-27 22:40:29 | 行田史跡物語

『新編武蔵風土記稿』編纂のため幕府に提出された文政三年(1820)の書上帳によれば、天文年間の成田氏時代から忍城下は「行田町」として栄え、町屋が点在していたという。元々成田氏の拠点は現在の熊谷市上之であり、忍入城の際一時期居を構えていたのが皿尾村であった。

 成田氏は築城に際し近隣の一族である別府、玉井、奈良氏はもとより後の家臣となる酒巻、須賀、中條、久下といった近隣諸氏の助力を得て水路を開き、良田を整備し農地を尊重することで、各地からの人望を集め、結果として行田町周辺に人が集まるようになったともとも伝えられる。現在の愛宕社の周辺に集落ができ、城に対して「下町」と呼ばれるようになったという。

城と下町の往来が盛んになると中間の新町二丁目あたりに家が建ち「八軒」と呼ばれるようになった。天文十三年(1544)には市が立つようになり、当初は下町と新町の路傍で開からていて市神は下町天王社であったという。

時の城主成田長泰はその八軒を栄えさせるため、武運の神八幡神を向町の田中から現在の地に移したので「田中八幡」と呼び「城主八幡」として祀ったことから忍城に向けた「西向き八幡」となったと伝わる。天文五年(1536)年のことで、このころ新しい町がなったことから現在でも新町と呼ばれるゆえんであるという。

現在「八軒口御門跡」は天満稲荷神社の前に建っているが天満ができたのは八軒よりあとのことであるという。

一方そのころ羽生城城主となる広田直繁と河田谷忠朝(後の皿尾城主)兄弟は羽生の地盤固めとして、同じく天文五年に羽生領総鎮守である小松神社に「三宝荒神御正体」を寄進している。両陣営が領地を巡って皿尾城の地で激突するのはその約四半世紀の後、永禄五年(1562)のことになる。

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行田市民大学合同講演会~孫世代につなぐ食習慣

2020-01-23 20:45:32 | 生涯学習

  あいにくの曇り空となりましたが、行田市民大学・同窓会合同講演会に参加しました。場所はものつくり大学講堂です。9期生として昨年3月に卒業して以来、市民大学の講義に出席するのは初めてです。懐かしくまた久しぶりの機会を楽しみにしていました。

市民大学卒業後は同窓会に登録し、自分たちのグループにて活動する一方、企画研修委員会に所属しています。市民大学同窓会は企画研修委員会のほかにも広報交流、クラブ活動委員があり、事務局と共にそれぞれの担当業務をもって年間の活動をしています。企画研修委員会にとって今日の講演会は年間の最大行事で講師の選定、日程調整、チラシの作成案内等進めてきました。私はほとんど活動に参加できませんでしたが、講演会当日は、受付と駐車場の案内をお手伝いさせていただきました。

講演会の講師を務めていただいたのは行田市薬剤師会会長、鹿山高彦先生です。行田市長野にて土橋薬局を開業していらっしゃいます。また薬物乱用の防止指導員協議会会長、行田市教育委員会の委員も兼務していらっしゃいます。

講演のテーマは「健康と食事」~孫の世代につなぐ食習慣~ということで2時間の講演でした。市民大学の受講はご高齢の方も多く、こうした健康に関する講演は人気が高いようです。平均寿命と健康寿命の差をなくし、生涯健康で活動していく。こうした事が市民大学の目標とするところでもあります。在学中の講座でも健康に関するものは数回取り上げられていましたが、薬剤師である鹿山先生の講演は、食事を栄養素の観点から解説するもので、非常に興味深い内容でした。

 健康の観点から

①摂ってはならないもの タバコ、電磁波、酒など

②摂っても無駄なもの コラーゲン

③より摂るべきもの 鎂 

鎂と書いて「マグネシウム」と読むそうです。元素記号ではmgです。疲れやすい、ストレスが多いと感じる。イライラする、偏頭痛があるなどの症状の原因の一つにmg不足が考えられるといいます。一方生活習慣病の原因となるものは砂糖の過剰摂取といいます。

コーラ500mペットボトルに含まれる砂糖の量を表すと写真のようになるそうです。WHOによる成人の砂糖の必要量は25g。こうした事実を親世代の人が良く理解することが大切です。但し近年流行している糖質制限ダイエットは、健康面からすると良くないことだといいます。糖質は生物が生きる上でのエネルギー源となるもの。一方脂質やたんぱく質は血液や筋肉を構成する物質であって、糖質を制限することによりそれらがエネルギーとして燃焼させられてしまうと、水と二酸化炭素以外の物を体内で生成放出してしまい、全くの逆効果。炭水化物を制限してエネルギーをタンパク質、脂質で代用すると死亡率が上昇するデータがあるそうです。

 ではダイエットに効果的なことは何か。それは悩むことだそうです。脳はその活動にエネルギーとするものはブドウ糖のみ。またその重さは体重の僅か2%しかないことから、糖質の摂取率が高い。よって仕事、恋愛、自分の将来など何につけても悩むこと、頭を使うことが結果的にダイエットになるそうです。

昔の人の教えに「遠くて近きを食べよ」というそうです。近きを食べるとは所謂地産地消のことで現在では積極的に推奨されています。「あなたの隣が産地です」というのはJAのキャッチフレーズです。では遠きを食べるとはどういうことか。これは人としての縁の遠いものを食べよという教えだそうです。食物連鎖によるもので最たるものは「共食い」は倫理的ではなく、種の近いものを食することにより弊害が発生することを指します。種の保存の観点からそれを制御する指示をDNAに残しているそうです。よって人にとっては牛、豚、鳥、魚、野菜。人間の種に遠いものの方が、たんぱく質の摂取の上で効果的と言われます。

 最も印象に残った話は狂牛病の発生原因について。

狂牛病とは1986年にイギリスで発見された牛海綿状脳症と呼ばれる家畜の病気のことで、牛の脳がスポンジ状となる感染症。私は当時中学生でした。原因となったのは飼料として与えられていた汚染肉骨粉と考えられています。不明な点も多いそうですが、草食である牛に飼料として「共食い」ともいえる肉骨粉を使ったことであり得ない症状が発生したと言えます。しかもイギリスはその汚染肉骨粉を自国で規制がかかった後にも、他国(日本も含めて)に輸出していたそうです。これが自由貿易の弊害ともいえます。

 このほかにも遺伝子組み換え食品がもたらす問題、携帯電話使用における電磁波の問題、電子たばこをめぐる問題など、身近に感じられる健康と食品、生活習慣、日本の食糧自給といったテーマにまで言及されたいらっしゃいました。

Your life your hands

三十年後にならないと結果の出ない食物の研究をする人はいない。あなた自身が考える時だ。

そう結んで講演を締めくくられました。

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武蔵国の筆比べ~令和二年書初め忍領予選会

2020-01-21 05:12:06 | 日記

令和二年行田市小中学校書初め展が開催されました。会場は行田市立南小学校です。小中学校を代表する作品が展示されます。毎年一月の第三土日が展覧会、遡って各小中学校では12月前半から代表者が練習して作品を提出します。

 幼少期から習字を習い、姉は中学二年、弟は小学校5年生となりました。ここまで毎年学校の代表に選んでいただきましたが、県の展覧会まで進んだのは弟の一度だけ。厚い壁に毎年跳ね返されています。

中学二年の作品。銀賞です。

小学校5年生の作品。共にここまでしっかり練習してきましたがどちらも県展選出には至りませんでした。

毎日遅くまで付き添い、励まし、最も努力してきたのは母親です。厳しい言葉を掛けられるのはそれだけ愛情をもって接し、子供たちの可能性を信じているからにほかなりません。感謝しています。

毎年会場にまで足を運び感じることがあります。一つは作品の完成度が高いこと。毎日自分の子の書道の上達を見ながらよく稽古していると感心して強いましたが、県の展覧会に選ばれる県展出品作品は私の想像を超えて素晴らしい完成度です。どんな筆を使っているのか、どういった筆遣いをすればあんなふうな払いの表現が生まれるのか、感心してしまいます。「手本を超える完成度」が求められているように思います。ただただ脱帽です。

もう一点は家族の輪。見学に来るのは出展している生徒とその家族。多くは父母は勿論、祖父母も付き添いその作品に感嘆のと激励の言葉とかけています。「もっと○○を力強く」「○○さんの作品はすごい」。そんな会話が聞こえてきます。書道は身近な文化そのもの。代々受け継がれてきた「書を極める」という精神は親から子へ、更にその先の時代へと受け継がれていくものでしょう。

其の前提となるのは世の中が平和であること。人々の多様性を認め、競い合い、支え合い、文化をみがく価値観を継承すること。そうすることで新たな価値観も生まれ世の中がより一層発展する。漠然とそんなことを感じていました。

「万葉の歌」から「令和」という新たな時代が生まれたように。

 

 

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