皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

碧蓮祭

2017-10-28 20:55:56 | 生涯学習

行田市民大学は、市内のものつくり大学のキャンパスを大学のご厚意により借りて講義を受けており、年齢に関係なくキャンパスライフを送ることができます。今日、明日の二日間学園祭が開催され、市民大学もブースを展開しています。
市民大学の研究班ごとの論文が展示されており、様々な視点から研究してきたことがわかります。郷土史にとどまらず、福祉や行政課題に至るまで毎年テーマに沿って研究成果をまとめていました。特に「公民館は避難所としての役割を果たせるか」についての論文が印象に残りました。災害の少ない土地柄、実際に避難所となることはなかなかありませんが、設備や過去の災害に関しての経緯から、現状の課題をまとめていました。

ものつくり大学の展示です。既存の車体を利用し、電気自動車をつくるベンチャー企業を立ち上げた人もいるそうです。
たくさんの学生たちが楽しそうに出店している様子を見ながら、半日キャンパスを巡ることができました。
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愛に抱かれて

2017-10-27 21:46:30 | 心は言葉に包まれて

明日結婚式に呼ばれている。自分ではなく奥さんの方が。学生時代の友達らしい。とてもうれしそうだ。

多くのアーティストが友への思いを感謝の言葉で歌い上げている。

Supeflyの「愛に抱かれて」も友人の結婚に寄せた歌だそうだ。

彼女の歌は一方で「魂レボリューション」「道なき道を切り開く」「燃え滾るメスライオン」といった独特のフレーズで我が道を駆け抜ける爽快感であふれているけれど、こうしたバラードを聞くと本当に心洗われるようだ。

泣いていいよ辛いときは
心の中洗い流そう
いつもあなたの 味方でいる
忘れないでね

どんな場所も 笑顔で照らす
自分よりも人を想い
時折見せる 空元気も
すべてやさしさで

少しづつ変わっていく景色に
心染まりそうになれば
いつも聞きたくなるあなたの声

いつまでも変わらないその笑顔が輝くように
あなたの明日が晴れ渡るように
ずっと祈り続けてるよ
手探りでいいゆっくりと 幸せへと歩いてゆける
どんな時も 愛に抱かれて

自分ではなく、友の幸せを祈ることが本当の意味で自分にとっても幸せなことだと気づかせてくれる。
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千年村に生まれて

2017-10-24 21:46:29 | 生活

 衆議院選挙と台風が重なり、慌ただしい週末を過ごしました。八月の嵐除け、風神祭祈願をして穏やかな秋を迎えるよう祈っておりましたが、自然とは各も厳しく、思うにならないことを改めて感じていました。神道の起源は農耕祭祀。自然の恵みへの願いと神への感謝がもとに信仰がうまてきたことは疑うところなく、こうして自然の猛威を目の当たりにし改めて祭祀の重みを感じた日となりました。
昨日六時に家を出る際はまさしく暴風雨で、自宅と神社の心配しながら会社に向かいました。途中羽生の陸橋が強風のため封鎖されており、かなり迂回しつつ古河までたどり着きました。

昼前には晴れ渡り、無理をして出勤した自分の通勤が一番危険だったと反省しています。

一夜明けての皿尾地区の様子です。稲刈りも残った場所も多く、倒れてしまったところも見受けられます。借り終わった田んぼはまるで田植えのころのようでした。

村の南側を流れる忍川です。今日はすでに水が引きましたが、昨日雨のピーク時には皿尾橋付近からあふれ道路が冠水したそうです。私が子供のころ、三十年前以前は毎年台風の度に冠水していたことをおぼえています。住宅も増え道路水路もきれいに整備されましたが、土地の高さは変わらないため、また浮き城の町の言葉の通り、行田の中心部からこの地域は戦国時代以前より湿地帯であったわけで、治水に悩まされてきた歴史があるのです。

明治期に設置された煉瓦水門が付近にのこっており、村の治水の歴史を伝えています。(松原堰、堂前堰)
稲藁は今の稲刈り機では細かく裁断され田んぼにまかれているため、今回の大雨で排水路にあふれてしまいました。

近年、地域の郷土史において、小さな集落が村として千年以上続いている研究がされているようです。所謂「千年村」の歴史です。自然に恵まれた土地、あるいは厳しい環境でも人々の知恵と努力によって守られた土地など様々です。地名には村の歴史が残るといいます。自分の住む村、町がなぜ続き
将来へとつながるのか。日曜劇場「陸王」の初回放送の中に、「こはぜ屋さんには百年続いた理由があるはず」といったセリフがありましたが、地域の共同体にも続いた訳があると思います。もちろん戦国時代のように争いの時代も多かったと思いますが。
私の住む皿尾村の歴史は何年か。少なくとも神社の勧請が文治四年(1188年)ですから、平安時代から村として成立し集落はあったのだと思っています。
おおよそですが九百年から千年、もしやそれ以上かけての歴史があると。

おかげ様で四十五の誕生日を過ぎました。日々の暮らしが穏やかであることと共に、産み育ててくれた両親や家族に深く感謝しています。
おなたのおかげで今日を生きることができると。千年村に生まれたことにきっと意味があると。
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道祖神と猿田彦

2017-10-21 21:39:37 | 神社と歴史

 古河市内を走ると、猿田彦大神の石碑が数多く目に入る。土地柄なのか、北埼玉の屋敷稲荷のように敷地内に社を祀るのではなく、入り口付近に石碑を立てている。旧家の家には猿田彦を祀ることが多いという。

猿田彦神は伊勢の土着の神と言われ、その風貌は光り輝き、鼻の長さは1mを超え、背丈も2mを超えた天狗の原型と伝わる神だ。古事記における天孫降臨神話において重要な役割を担っている。天照大神の神託により孫の邇邇芸命が降臨した際、天津神の一行を葦原中国へと導いたとされている。
 導きの神として旅行や交通安全、また仕事の開運においても信仰されている。主祭神として祀られているのは伊勢周辺で、関東においては摂社として、また古くからの道の神道祖神と結びついて信仰されている。また天の岩戸神話で神がかって踊り狂った天宇受売女命はのちの猿田彦に嫁ぎ猿女君の祖となった。歳を重ね強く思うことは、人に流されることなく、自分の道を歩む方が大切だということ。
 明日は総選挙投票日。台風の接近により今日の期日前投票場は夕方から人であふれていた。
 明日の結果により国の行く末はどう導かれていくのだろうか。
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童謡のふる里、大利根

2017-10-20 22:25:41 | 史跡をめぐり

 10月も下旬にかかる時期に長雨の上、大型の台風が近づいてきている。刈り残した稲穂が寒そうに頭を垂れる田んぼがところどころ残っている。無事に通過することを祈るばかりだ。
 県道46号線加須北川辺線の利根川大橋の手前に道の駅がある。「童謡のふるさとおおとね」。周辺では1947年カスリーン台風によって堤防が決壊している。以降スーパー堤防が整備され、その上にこの道の駅もある。毎朝ラジオを聴きながらこの前を通ている。加須市は市町村合併により旧加須市、騎西町、大利根町、北川辺と北武蔵一帯の地域を一つにまとめた印象だ。今度の選挙もやはり加須と熊谷の地域戦争のように感じてしまう。なかなか朝も忙しく立ち寄ることもかなわなかったが、先日車を止めて歩くことができた。

下総皖一。大利根町出身の作曲家。全国各地の学校校歌を手掛けたことで知られているらしい。その資料が展示されている。代表作として童謡「たなばたさま」で知られている。こう書いていながら私は全く知らなかった。郷土史や神社史に興味をもって以来身近なものに疑問を投げかけ調べるようになったが、自分の見識や教養の少なさを痛感している。
 童謡「たなばたさま」が作られたのは昭和16年(1941)大東亜戦争が始まった年。悲しい思いを星になぞらえたかもしれない。

いつか日本一のサイクリングロードを走ってみたいと思う。
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