衆議院選挙と台風が重なり、慌ただしい週末を過ごしました。八月の嵐除け、風神祭祈願をして穏やかな秋を迎えるよう祈っておりましたが、自然とは各も厳しく、思うにならないことを改めて感じていました。神道の起源は農耕祭祀。自然の恵みへの願いと神への感謝がもとに信仰がうまてきたことは疑うところなく、こうして自然の猛威を目の当たりにし改めて祭祀の重みを感じた日となりました。
昨日六時に家を出る際はまさしく暴風雨で、自宅と神社の心配しながら会社に向かいました。途中羽生の陸橋が強風のため封鎖されており、かなり迂回しつつ古河までたどり着きました。
昼前には晴れ渡り、無理をして出勤した自分の通勤が一番危険だったと反省しています。
一夜明けての皿尾地区の様子です。稲刈りも残った場所も多く、倒れてしまったところも見受けられます。借り終わった田んぼはまるで田植えのころのようでした。
村の南側を流れる忍川です。今日はすでに水が引きましたが、昨日雨のピーク時には皿尾橋付近からあふれ道路が冠水したそうです。私が子供のころ、三十年前以前は毎年台風の度に冠水していたことをおぼえています。住宅も増え道路水路もきれいに整備されましたが、土地の高さは変わらないため、また浮き城の町の言葉の通り、行田の中心部からこの地域は戦国時代以前より湿地帯であったわけで、治水に悩まされてきた歴史があるのです。
明治期に設置された煉瓦水門が付近にのこっており、村の治水の歴史を伝えています。(松原堰、堂前堰)
稲藁は今の稲刈り機では細かく裁断され田んぼにまかれているため、今回の大雨で排水路にあふれてしまいました。
近年、地域の郷土史において、小さな集落が村として千年以上続いている研究がされているようです。所謂「千年村」の歴史です。自然に恵まれた土地、あるいは厳しい環境でも人々の知恵と努力によって守られた土地など様々です。地名には村の歴史が残るといいます。自分の住む村、町がなぜ続き
将来へとつながるのか。日曜劇場「陸王」の初回放送の中に、「こはぜ屋さんには百年続いた理由があるはず」といったセリフがありましたが、地域の共同体にも続いた訳があると思います。もちろん戦国時代のように争いの時代も多かったと思いますが。
私の住む皿尾村の歴史は何年か。少なくとも神社の勧請が文治四年(1188年)ですから、平安時代から村として成立し集落はあったのだと思っています。
おおよそですが九百年から千年、もしやそれ以上かけての歴史があると。
おかげ様で四十五の誕生日を過ぎました。日々の暮らしが穏やかであることと共に、産み育ててくれた両親や家族に深く感謝しています。
おなたのおかげで今日を生きることができると。千年村に生まれたことにきっと意味があると。