去る9月25日水曜日、行田市民大学同窓会研修バスツアーに参加することができました。現在行田市民大学は開校11期となり、9期生卒業の私も今年から同窓会の一員で、企画研修委員会に属しています。毎年秋に研修旅行を実施しており、今年は「忍藩とペリー来航ゆかりの地 横須賀へ」というテーマで企画されました。大型バス1台の募集で、参加者50名。昨年まではバス2台で行っていたそうですが、今年は1台での企画ということで、先着順での参加となりました。残念ながら、私のグループの方も御一人先着に漏れてしまい、グループ全員での参加はかないませんでした。
行田総合公園を7時に出発し、目的地横須賀に入ったのは11時です。平日の首都高速は午前中かなり混雑します。
大黒PAで最終休憩して、最初の目的地ペリー記念館に到着します。
江戸時代の日本は歴史の教科書にあるように鎖国体制にありました。ところが18世紀半ば以降、数々の異国船が日本近海に現れ、江戸幕府は対応を迫られることになります。こうした状況下で、徳川家康の血筋を受け継ぐ忍藩主松平下総守家は、天保13年(1842)に房総半島の沿岸警備を命じられます。譜代大名としての立場から、こうした幕府の危機に最前線で対応していたことが分かります。
泰平の 眠りをさますじょうきせん たった四はいで 夜も眠れず
当時の驚きを表した句も見られます。
ペリー提督はこのすぐ前の砂浜から上陸したと伝えられ、1901年(明治34年)其の足跡を称える記念碑が建てられています。「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」の文字は初代総理大臣伊藤博文の揮毫によるものです。立派な記念碑ですが、第二次世界大戦中においては、敵国米国を記念するものとして、壊された歴史があるそうです。
第二の目的地は記念艦「三笠」の見学です。
日露戦争はロシアの極東進出によって国家の存亡の危機に直面した大戦で、東郷平八郎司令長官が率いる連合艦隊が、対馬沖においてバルチック艦隊ろ迎え討ち、勝利したといいます。「三笠」当時最新鋭の戦艦で、戦後紆余曲折を経て、現在の横須賀の地に記念艦として保存されています。英国「ヴィクトリー号」、米国「コンスティテューション号」と共に世界三大記念艦として広く知られるところです。
旅の終わりに蛯名SAにより、都心を通らず、圏央道を使って東松山から行田までたどり着きます。
日帰りのバス旅行ですが、多くのことを学び同窓会の皆さんと楽しい一日となりました。企画した広報委員の皆さんは、事前の下見や諸連絡と、大変な準備をされていたようで、本当に感謝しています。