皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

心を病む最大の原因は

2024-06-30 23:34:48 | 先人の教えに導かれ

心を病む最大の原因は『考えすぎ』

心を病んでいる人は単純なことも複雑に考えている自覚がなくてずっと難しく考えている。いくら考えたところで結果はさほど変わらないので考えるのやめた方がいい。

人は考える葦であるとも言うけれど、大概考えることで気持ちが落ち込むことの方が多い。

時間が解決することもあれば、解決ぜずとも問題が問題でなくなることも少なくない。

行動の伴わない熟慮はしないことに越したことはない。

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人生の折り返しはいつか

2024-02-13 21:45:41 | 先人の教えに導かれ

今年も気が付くと二月の半ばを迎え、日一日と足早に過ぎてゆく。春を待つ日は長いが、花の便りが届くろには一年の四分の一が終わっているということが常である。

一年の折り返しと言えば水無月の大祓になるだろうが、人生の折り返しはいつなのか。人によって異なるのはもちろんだが、若い時は何となく35歳をイメージしていた。
そこからすでに15年以上が過ぎてしまったが、人生百年時代と称されるようになって久しいことから、都合よく50歳を折り返しとしても間違えではないかもしれない。
と言っても自分自身その折り返しも過ぎている。

折り返し地点を過ぎてなおやりたいこともたくさんあって、日々様々なことに取り組もうとしては挫折しての毎日ではあるが、人生をあきらめるには早いとは思う。

小さなハンバーガーショップに可能性を見出しマクドナルドを世界的規模のファーストフード店に発展させたレイ・ロックがハンバーガービジネスを手掛けたのは52歳の時だったそうだ。もし30代、40代、ましては50代で人生をあきらめるのはもったいないと改めて教えてくれる。

彼は著書『成功はゴミ箱のなかに』で次のように述べている
「信念と継続だけが全能である」

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心身を病む労働者

2022-11-15 12:38:30 | 先人の教えに導かれ

2021年厚生労働省が公表した過労死白書には長時間労働や強度のストレスが原因と認められた500人近くの実態分析結果が記されている。半数近くはうつ病などの精神疾患を発症して6日以内に死亡している。
2週間以上の連続勤務
月80時間以上のの時間外労働
上司とのトラブル
過度な仕事量
などが認められている。
厚生労働省は現在残業時間の上限を月45時間、年間360時間と定めている。企業側はこのラインを守るために様々な規制をもうけているが、資本主義のパワーバランスにおいて労働者のほうが圧倒的に弱い立場にいることは明らかだ。



なぜ労働者は過酷な労働環境下で働き続けるのか。昔の奴隷のように強制労働させられていないという一見自由な立場という錯覚と、自分では生産手段がないという現実。だから労働者は労働時間の短縮を目指せとマルクスは資本論の中でのべている。
150年前の労働問題は現代においてなお変わらない現実が続いている。

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チーズはどこへ消えた~その①

2022-06-09 22:42:17 | 先人の教えに導かれ

早い時期に小さな変化に気づけばやがて訪れる大きな変化にうまく対応できる
変化は災難に見えても結局は天の恵みだった。
つかい古された言葉のようだが、この三十年自分が環境の変化に気付きながら先伸ばしにしていたようだ。変化はすでに十分起きている。
災難と受けとるか天の恵みとするかは自分が環境を変えるか環境に合わせて変わるしかないのだろう。
初版からすでに23年。当時社会人五年目ほどだっただろうか。いまだに同じような仕事を同じような場所でしがみついてこなしている。でももしそこが螺旋階段であるならば、かなりの高みまで登っている事になる。
見える景色を楽しんでいるだろうか。
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徒然なるままに

2022-05-10 22:36:13 | 先人の教えに導かれ

つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ(序段)
訳 暇に任せて心に浮かんでは消えて行く、何でもないようなことを何となくかいえているとだんだん自分の頭がおかしくなっていくような気分になる。
著者である吉田兼好は和漢の古典の影響を大きく受けていたそうです。清少納言の「枕草子」鴨長明「方丈記」とならぶ随筆文学の最高傑作といわれる
「徒然草」のなかで兼好が伝えようとしたことはなんだったのでしょうか。
あらゆる縁を捨て去れ
世論に流されるな
知ったような気になるな
不安にさいなまれるな
本当のことを見極めろ
兼好は人の本質を見極めていたそうです。見たことを見たままに伝える。自分が狂っているのか、世の中が腐っているのか自問しながら自分がみたままを語ったといいます。

生きていく上で知識は役に立ちます。そしてその知識のおかげで過ちを犯す。それは今も昔も同じだそうです。今の世界情勢が歴史となってまた未来へと語り継いでいくでしょう。歴史は繰り返す。
大切なのは見識だそうです
「見識」とは物事に帯する判断とそれに対する考え。客観的な事実より主観的な己の行動こそが大事であるといいます。第三者ではない。自分自身の判断。考え、生きざま。だから悩み「あやしうこそものぐるおしけれ」となるのです。
次から次へと浮かんでくるどうでもいいことにたいして書き繕うばかりではなく、自ら考え判断すること。
すなわち自らいきることではないでしょうか。
知ったふりしてなにもしないまま最後の時を迎えることに意味はない。悩みもがき苦しみ叫ぶ。
徒然草とはなばかりの現世に繋がる思想書。それが
「徒然草」
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