皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

馬見塚の神明社

2017-07-29 22:21:03 | 神社と歴史 忍領行田

 行田市南河原馬見塚の地名の由来は『新編武蔵風土記稿』によれば、旧南河原村東部の御堂塚付近に、その昔馬市が立ち塚の上から馬の良しあしを見分けたことによるそうです。また当地の住人に馬見塚塚三河を名乗る武士がいたそうです。
 神明社のご祭神は大日女貴命、伊勢の天照大神に当たります。

明治の神仏分離により寺の管理を離れ村社となっています。

当地に伝わるササラ(獅子舞)が市の無形文化財に指定されています。獅子の太鼓の胴に文化四年(1821)の墨書きがあり江戸後期の二五〇年前から奉納されているといわれています。
 神明社で棒術から「岡崎」「花掛かり」を舞ったのち村を廻ります。諏訪神社にて「稲穂」薬師様で「岡崎」、不動様で「ぶんなぐり」西善院では「鐘巻」をそれぞれ奉納します。
 現在9月第二土曜日に実施されており、今月配布の市報行田にも案内が載っています。
私の住む星宮地区池守から星川を挟んですぐの地域です。これまでこうした民俗芸能に興味を向けることがありませんでした。このほか行田市内には6つのササラ(獅子舞)が県または市の無形文化財に指定されています。それぞれの地域が保存会などで大切に継承されています。


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つがつくまでは手をかけよ、十を過ぎたら目をかけよ

2017-07-24 22:23:21 | 生活

 昨日は長女のピアノ発表会でした。場所は大里生涯学習センター。ヤマハピアノ教室に通う生徒の発表会です。幼稚園からのピアノも今年で八年目。小学校では最後の発表会でした。人前で演奏することにもだいぶ慣れてきましたが、やはりまだ余裕はなく、弾くことに集中しすぎて壇上への出入りは速足で演奏前の一礼も、慌てている様子です。出来はまずまずだったようですが、2度ほど間違えたようです。
 私は仕事柄、一、二度しか直接見に行ったことはありません。音楽についても全く分からずじまい。ですので家で引くピアノを私が上手だと褒めてもあまりうれしくないようです。
 生まれてから一つ二つと歳を重ね、様々なことができるようになり、いつしかなんでもできるようになりました。小学校も終わりに近づき、すでに親の手をだいぶ離れた感もあります。
 以前ラジオで子供の年が七つ、八つ、九つと「つ」がつくまでは手をかけよと聞いたことがあります。そして十(「とう」)を過ぎれば目をかけよと続きました。
手が離れたときに、心まで離さず、必ず見ているよとつたえるようにしなさい、干渉ではなく関心を持ちなさいと教わりました。
秋に受けるピアノコンクールに向け、また練習が続くようです。

まだまだ手がかかる長男。例大祭の際本殿の片付けを手伝いながら、神社について話をします。なんのことだかわからないままに、末社稲荷神社に奉納されたたくさんの狐を見ながら、不思議そうにしておりました。
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久伊豆大雷神社例大祭

2017-07-23 00:12:59 | 神社と歴史 忍領行田
平成二十九年例大祭がはじまりました。縁起における大祭日は、28,29日です。前後の週末に当たり、本日は子供神輿巡行と、夜祭りが行われました。例年梅雨明け10日当たりとなり、最も暑い季節です。夜祭りに、灯籠を奉納します。年々減ってしまい、灯籠の数が50を切るようになりました。ここ二年素晴らしい作品に特別賞を出すようにしています。夕方4時から子供神輿が巡行します。子供12名参加し、大人の力を借りて村中の泉蔵院までを往復します。折り返し地点で、青年会OBの方が、子供たちにご馳走を振る舞ってくださいます。毎年ご厚意に甘えているところです。
灯籠に日が入ると夜祭りです。焼きそば、かき氷などを配ります。
祭りの運営については再考の時期なのかもしれません。
祭祀の意味を残しつつ、負担のかかりすぎないようにしなければ、運営者にしわ寄せがきてしまいます。
明日は午後から、祭典となります。
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桃を一つどうぞ

2017-07-20 23:49:52 | 物と人の流れ
今日は付き添いとお見舞いで、二度と病院へ。総合病院はどこも需要が増えたのか、久しぶりに行くと病棟が増えたり、駐車場が広がったりとなかなかどうして迷うこともしばしば。また駐車場も近くはいっぱいで、少し歩かなくてはたどり着けない。
炎天下の駐車場脇に、1台桃の直売の軽トラックが目立ちます。第一印象は『営業許可とってる?』になりますが、脇道故に駐車禁止ともいえず、受診後にはつい立ち寄り。
サイズ違いで四個、5個、6個1000円の値札。スーパーと比べやや割高ですが、鮮度は良い感じです。『甘いですか?』と聞くとすかさず試食。
これこそ対面販売。『味はどれも同じだよ』とややそっけない。山梨直送のPOPも、車のナンバーは大宮。そしてここは日本でも過酷な暑さを誇る北武蔵。大宮市場から直送だろ!と思いつつ、甘いから買うと即決の奥様。
病院で計った血圧もやや上がりつつ、四個1000円の美味しい桃を買って帰りました。
そういえば、古事記の上巻黄泉の国神話で、イザナキ命が追いかけてくる醜いイザナミ命に最後に投げつけた実は桃でした!
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例大祭を前に

2017-07-20 20:12:48 | 神社と歴史
例大祭を前に、社殿清掃をしました。この時期拝殿の軒下はどうしても蜘蛛の巣が張ってしまい、時間をかけて払っていきます。本務社と言えども、なかなか普段本殿の隅々まできれいに掃除することもできず、大祭の前には時間をかけて掃除するようにしています。現在の社殿は昭和六年の建立ですので、築85年になると思われます。建設時の写真が残っています。米俵が三俵奉納されており、今でも正面に同じように供えられています。
大雷神社脇に彫られた風神、雷神です。神社彫刻を見るたび、当時の人たちがどんな思いでいたのかを考えるようになりました。
平成八年に奉納された手水舎です。柄杓を受ける竹筒を氏子の方が毎年改めてくれています。青々とした竹の色が手水に映り美しく感じます。
こちらからお願いする事はありません。ただ、氏子の方が自然とやっていただいています。お礼に声かけてお茶を出すと、ただ自分ができることはしたいからと話してくれました。昭和11年生まれの方です。大工をやっていて、近所に頼まれればまだ仕事をされています。亡くなった父より、一つ早生まれの82歳です。
『宮司も大変だな』と笑って話してくれました。私が世襲ながら小さな農村部の神職を務めている理由はここにあります。例え少なくても地域の社に心を寄せてくれる人がいる限り、祭祀に勤しみたいと思っています。
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