皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

コインランドリーでの待ち時間に

2018-11-29 20:39:21 | 物と人の流れ
東京で一人暮らしを始めたのは25年前のこと。北区中十条のアパートだった。家賃は3万5千円で、トイレはあったが風呂なしの築30年の木造アパートだった。金は無くとも夢と気力が溢れていた。一日おきくらいに近くの銭湯に通っていたのを思い出す。歩いていける銭湯が二軒あった。勿論コインランドリーが併設されていて、洗濯もした。但し洗濯は週に一度くらい。
時代は変わり平成も終わる頃にコインランドリー業界が賑わっている。全国で約2万店。ここ10年で倍増しているようだ。共働き世帯の増加に加え、機械が大型化され布団なども洗えるようになり、アレルギー物質も落としてくれることが人気らしい。何よりガス乾燥機のためふんわりと乾く上、時間がかからない。我が家も専ら乾燥機利用専門だ。
よく利用するコインランドリーも洗濯機は3台だけ。洗濯乾燥機が同じく3台。乾燥機が8台。ほとんど人が家で洗ったものを乾かしに来ているようだ。
待ち時間は約30分前後。こうした時間にコンビニで時間を潰す人も多く、大手コンビニも参入しているらしい。以前に書いたがガソリンスタンドはその数を減らしている。短期的に利益が出やすいのだろう。粗利が6割取れるのだという。また基本的には無人店舗だから人件費がかからない。両替機の管理が必要だが、そのうちカードやスマホ決済もできるようになるのだろう。コインランドリーという名前も変わっていくかもしれない。高齢化で自宅で洗濯ができず、畳むのを含めて宅配サービスも始めるところも出てくるらしい。
今や物は溢れかえり、便利なものより便利なことが求められている。洗濯して干す時間を買っている。わずかな待ち時間にこうしてブログを書いていると、3人のお客さんが慌ただしく、乾燥機を回していった。

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ため口と人の受け入れ

2018-11-27 20:11:23 | 心は言葉に包まれて

秋も深まり、空気が澄んだ日には富士山もその姿をひときわ美しく現してくれる。

北武蔵の片田舎でもここ数年で多くの外国人の姿を目にするようになった。多くの職場でアジアだけではなく、南米やアフリカ方面からも多くの人々が来日し仕事をしているのが現実だ。国会では衆議院において外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法改正案などが可決されたようだ。制度設計があいまいで将来に禍根を残すとの批判が野党から上がっているようだが、政府は入管法そのものがこれまですべての在留資格の詳細な運用を法律ではなく省令などで対応してきたとしてその大元の法律改正を急いできた。要するに大まかな枠組みを作って、問題があればその都度対応してきたということだろう。人口減少社会において、諸外国から働きに来る人に対して都合よく運用するだけでよいのか考えどころだが、あいまいなところを残した方が都合の良いことが多いのだろう。よく言えば臨機応変。悪く言えばその場しのぎの問題先送り。立場によってとらえ方は違うだろう。

 普段の自分の職場(流通業)においても外国人留学生を受け入れている。仕事の覚えも早く、とても優秀な若者だ。細かい作業は日本人のパートタイマーが教えている。言葉の問題も日々一緒に働いているとそれほど感じなくなるが、どうしても越えられないのが言葉遣い、特に敬語の問題だ。コミュニケーションをとるのに丁寧な言い回しを一生懸命しているが、所々でいわゆる「ため口」になってしまう。

こうしてああしてと指示しているうちに、「わかりました」が「わかった!」となってしまう。勿論そうしたため口が気分を害するより、むしろ笑いとなることの方が多い。言葉遣いは大事なことだが、外国人との意思疎通においてそれが重要視されることは減ってきているように思う。

「ため口」とは年長者など目上にあたる人に対して相手を対等として扱った言葉遣いとされる。1960年代に広がったようだ。同級生のことを「タメ」といい仲間意識を表す。その語源は一説にサイコロの「同目」からきているという。所謂ぞろ目のことだ。広がる過程でどう目⇒とうめ⇒ためとなったらしい。

ため口は仲間意識を感じさせるらしい。管理者にとっては少し厄介な問題だ。丁寧に敬語で話すだけではダメ。コミュニケーションとはあまり肩ひじ張らずその人の心に通じるかにかかっている。

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早く芽を出せ柿の種

2018-11-26 21:03:37 | 政を為すは人にあり

選挙権を得て早四半世紀以上経つが、これまで国政、地方選挙ともほとんど投票に行っている。仕事柄投票日は休めない為、事前投票がほとんどだ。政治には興味があるが、実際に自分の思いがどれほど反映されているかあまり考えたことはない。ただ投票を棄権するというのだけは、しないようにしてきたつもりだ。

本務社での平成最後の新嘗祭の当日、夕刻に県議会議員を目指す政治家の活動報告会があった。皿尾ふるさと館が新築されて初めてのことだ。前回の選挙では残念ながら惜敗し、「今度こそ」を合言葉に日々街頭活動をしている。SNSを通じご挨拶させていただくことはあったが、お会いするのは初めてだった。

政治家の地元は谷郷地区。春日神社の氏子さんだ。皿尾地区にようこそお越しくださいましたとご挨拶申し上げると、「祭事のお忙しい中、ありがとうございます」と笑顔で返していただいた。私より四つも若く、市会議員も経験した志高い政治家だ。プロフィールには幼稚園からの記載があった。私も子供たちも同じ幼稚園に通っていた。通っていた幼稚園の目標に「三つのできる」という理念がある。「自分からすすんで挨拶できる」「人の話を聞くことができる」「自分の気持ちを言葉で表現できる」というものだ。人として大事なことは意外と子供の頃に身につけるものだ。多くの人の声を聴き、政治家としてその受け皿になりたいと語っていた。そして政治家としての自分の施策や方向性を自分の言葉で語っていた。

 今回皿尾地区での活動報告会は、政治家の後援会長の職場での先輩が皿尾地区にいて世話役になっていた。私も子供のころからかわいがってもらっている方だ。とても穏やかで、人の世話を買って出る親心を合わせ持った人だ。実は私が結婚した際、地区のでの小さな披露宴をした時に、司会をしてもらったことがある。私にとっても本当に近所の恩人だ。人と人とのつながりは必ず広がるもので、そうした縁を感じて仕方なかった。話はそれるが、候補者のキャッチフレーズである「早く芽を出せ柿の種」というのは、埼玉県の上田知事がつけたものらしい。政党の枠を超え、理念を同じくする人のつながりがある。

 会館でのこうした集会は稀でましてや隣地区出身の政治家であったことから、どれほど人が集まるのかと思っていた。ところが定刻には満席となり、途中退出する人もなく最後まで熱心に聞き入っていた。これほどの数の人が神社の祭事で集まることはないのが少し寂しいところではあるが、やはり人をひきつける熱意があるのだろう。

 集会の最後は政治家のご婦人のお父様がハーモニカ演奏を披露した。市内公民館等で活動されていて、かなりの腕前だ。なつかしい選曲に、集まった人たも盛んに拍手を送っていた。

報告会が終わると、一人一人候補者本人と握手し「頑張ってください」「応援しています」といった言葉をかけていた。活動報告会の案内の中に「静かに見守っていても何も変わりません」「活発な意見交換をさせていただきたい」と記されていた。その通りで、選挙についても投票する側、される側それぞれ自分の意志を自分で表明しなければならないものだ。人任せにはできないのだ。

 私自身も柿沼さんと別れ際に握手し、こうした集会を開いていただいたお礼を申し上げた。「声を上げなければなにも変わらない」そう気づかせてもらたっこと本当に感謝している。だからあえて選挙の常套句である「頑張ってください」などとはとは申し上げなかった。なぜならこの地域でさらに頑張らなくてはならないのはこちらの方だから。

柿色のオレンジのネクタイが輝き、益々地域のために活動され、県政との懸け橋になることを心から願っている。

 

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新嘗祭を終えて

2018-11-25 22:33:30 | 神社と歴史

平成三十年皿尾久伊豆大雷神社の新嘗祭が執り行われました。例大祭と並ぶ重要な祭祀で、恒例の大祭にあたります。宮中においてはこの新嘗祭が最も大切にされ、春の五穀豊穣を祈る「祈年祭」は小祭にあたり、祈りよりも感謝を重んじる精神の表れとされます。「新嘗」とは新穀を神にお供えすることを意味し、稲作を中心に発展してきた日本を象徴する祭祀と位置付けられます。秋祭り、収穫祭、新穀感謝祭など呼称は様々ですが神恩に感謝し、人々の暮らしや国家、皇室の繁栄を祈る大切な一日です。

霜月後半ともなれば朝晩冷え込みますが、祭典の日中はとても穏やかで暖かく、まさに神の御神徳を感じるようでした。過疎化の進む農村部であり、多くの参列者とは言えませんが、神社役員、年番様はもちろん米作りに従事されている農家の方の参列があり、皆さんに玉串をあげていただきました。私が父に代わって初めて奉仕させていただいたのが平成二十一年。平成最後の新穀感謝祭は節目の十年目になります。

大祓詞奏上など祭典に打つ鼓は慶応三年に奉納されています。今年の大河ドラマで描かれた幕末大政奉還がなされた年です。社殿に奉納された額や記念碑などの年号を目にするたび、歴史が語り掛けてくるような感覚になります。こうした先人たちが残してきたものを、次の時代に引き継いでいくために自分がどうしたらよいのか試行錯誤しながらこの10年を過ごしてきました。答えはまだ見つかりませんが、できることをこれからも一つ一つ積み重ねていきたいと思います。

境内の木々もかなり色付きました。師走を迎えるにあたり掃き掃除もしっかりやらなくてはなりません。

 

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紫峰醤油と筑波山

2018-11-21 22:36:36 | 食べることは生きること

富士と筑波の峰清く・・・

高校の校歌は美しい山の景色を唄いだしにしている。「西に富士、東に筑波」と称されるように関東において美しい峰として知られる筑波山。昨日の紅葉狩りも思い切って筑波まで足を延ばそうかと考えていたが、道のりの長さから断念し長瀞に出向いた。筑波周辺も今頃紅葉の見ごろを迎えているのだろう。筑波山の雅名を「紫峰」といい、山肌が夕日に照らされる様子が紫に見えることに由来する。別名ではなく、雅名というところがまた格別に趣がある。

昨日思いもよらず、近所の家から紫峰醤油を頂いた。先日旅行の際、バス乗り場まで送迎したことの御礼だと出向いてくれた。かえって高級醤油を頂くことになり、恐縮してしまったが昔の記憶もよみがえり、ことのほかうれしかった。以前食品卸に勤めていた際、この紫峰醤油を扱っていた。15年以上も前のことだ。直取りではなく、大手問屋の帳合であったが埼玉でも引き合いがあり、在庫も持っていた。老舗の醤油だけに、そのころからメディアにも取り上げられていた。製造は茨城県土浦市の柴沼醤油。関東の三大醤油醸造地は野田、銚子、土浦と言われている。野田といえばキッコーマン。銚子はヤマサとヒゲタが有名だ。

 江戸時代に普及した醤油は上方中心であったが、江戸の人口が増え、大市場に成長すると、菱廻船や樽廻船が江戸と大坂を結び、「下り醤油」と珍重された。上方から下って来るものは「下りもの」として高級品扱い。反対に江戸周辺のものは「下らないもの」として下級品扱いであったという。諸説あるようだが、すし屋の用語で醤油を「むらさき」と呼ぶのは筑波山の雅名である「紫峰」に由来するそうだ。また醤油のことを上品にいう時は「おしたじ(御下地)」と呼ぶようだがこれも「お常陸」から転じたものだという。刺身のことを「御造り」漬物のことを「おこうこ」と呼んだりもする。醤油を表す印に亀甲が用いられているのは土浦城の別名「亀城」によるものだとも言われている。「キッコーマン醤油といえばすでに世界的食品メーカーだ。

寿司や醤油といった日本の食文化は世界に知られるようになった。その歴史について知ることで味もより理解できるようになるだろう。

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