『甲子夜話』(こうしやわ)という九州平戸藩主松浦静山翁が文政四年(1821)から七年かかって書き上げた随筆集がある。その巻四十六に「忍城の事」が出ていてそのなかに「本城の後ろの林ある嶋あり、この処狐多く住めり云々」と記されている。今から二百年も前に九州平戸藩まで知られていた事は非常に興味深い。
忍城は沼と森林に囲まれていたことから、蛇と狐の伝承が非常に多い。
皿尾門というのは忍城北西にあり俗に乾門(戌亥)と称し忍城十五門の内でも重要な門のひとつであった。忍城の場合明け六ツ、暮れ六ツには門を開閉する「時鐘」が鳴り響いたという。
大屋の竹さんは皿尾門の使丁であった。明治に入ってすぐの頃暮れ六ツの鐘と共に城門を閉めれば誰一人通らない静かな夜を迎えるばかりでである。
亥の刻(午後十時)には火の用心の見回りをするのが勤めっであった。この間城門近くを通る度、潜り戸を叩く音がするので扉を開けると誰もいないとい事が続いた。竹さんは興味が湧いて物陰に隠れてみていた。すると一匹の狐が門のとこへ来て止まり後ろ向きになって尻尾を立てて門をトントン叩いているのいるではないか。武さんが「この野郎!」と近づくと狐は素早く逃げてしまい、以来一度も門に近づかなかったという。
狐は人を騙すというが、狐にしてみれば戸を叩くと人が驚いて開けてくるのでただ面白かったのかもしれない。
狐が戸を叩きに来る話しは竹さんの唯一の語り草で、この先の矢場かいわいでは、竹さんの話を聞かされない人はいなかったほど有名だったという。
引用文献「行田の伝説と史話」大沢俊吉