田舎教師の景色が広がる私の住む行田市。特に秋から冬にかけて澄みわたる空気によって西には秩父山脈、北には赤城山の雄大な景色が広がる。子供の頃から見慣れた景色であっても、地区によってやや見える角度に違いがあるものだ。
このブログやFacebook等のSNSを通じ、コメントをいただくなりして交流を持った方がいる。行田市民大学の活動を介して得られたご縁だ。三年ほど前に一度お会いできる機会を逃してしまい、いつかいつかと思っているうちに元号も代わり、コロナという思いもよらない疫病が蔓延して時間ばかり過ぎてしまった。自分自身ワクチンを接種し終わった後には、思いきって会いにいってみようと心に決めていた。
自分の今年の目標のひとつが「会いたい人に会いに行く」というものであった。近くて遠い存在。ただ会って思うままに話がしたい。そう感じていた。失礼ながら世代の離れた方と初めてお会いすることのひとつの心配に、耳が遠くなっておられて、会話が難しいという点があった。88歳になられたNさんは亡くなった自分の父の四つ年上になる昭和一桁のお生まれだ。初めてお会いしてそうした心配事は全くの杞憂に 終わった。想像した以上に博学で、話す姿勢も素晴らしく、穏やかで言葉の隅々に教育者としての経歴を感じた。
都内のご出身で長く大学の教壇に立たれていたNさんがここ行田の地に住まいを構えたのは昭和54年のこと。当時すでに住宅地として開発されていた持田地区に決めたのは、住宅メーカーの担当者に連れられてこの地を訪れた際に見た遠く広がる美しい山々の景色に魅せられたためだそうだ。大学のある浦和まで約一時間。SNSで知り合った当時、私はやり取りのなかでその経歴からN先生と呼んでいたが、「さん付けで結構」と指摘されたことを覚えている。
自宅二階にご案内いただき、これまでのやり取りを振り返りながら約一時間半に渡り、お話しさせていただくことができた。どうしてもついこちらのことを話してしまう。代々続く社家に生まれ、親の意向に反して大学で神主の資格を取りながら、民間企業に進んだこと。実際に自分の代になってからの苦労。兼業として販売業で働くなかでの意識など、非常に穏やかに聞いて頂いた。
一方Nさんのお嬢様が私の高校の先輩であること、現在の生活のご様子、持田地区のふるさと創成クラブに共感していることなどともに、私の勤める会社のサービスについておほめの言葉も戴き、非常に嬉しく思えた。
専門とされていた経済学の話につて、近年の金融システム等の話はわからないと前置きしたうえで、マルクス主義の歴史について、旧ソビエトの社会主義経済を除き、実際にその理論を実践した例はなく、今日の」中国における歪んだシステムを見る限りマルクス主義は資本主義の先を見越したものを見いだすことはなかったという点に非常に感銘を受けた。理論と実践との解離。そうしたものを埋める上で教育は非常に重要だともおっしゃっていた。私自身経営者ではもちろんないが、年齢的に若年者の労働者を指導する立場であり、変化の激しい時代のなかで、過去の価値観を踏まえた上で、理念に沿ったサービスを産み出していく、それによって利益が生まれる。
晴天をつけの論語と算盤。近江商人の「三方よし」のは非常に考え方が重なっていると思っている。
もっと早く知り合っていればとおっしゃっておられたが、今こうしてご縁を賜ったのも天の導きだと感じている。戦中の集団疎開のことや高度成長期のことなどもっと聞かせていただきたいことがあります。どうぞこのブログをご覧になりましたら、若輩の兼業神職の我儘と思って昔のことも、また今の世の中に対する考え方もまたご教授いただければ幸いです。