皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

希望の花が咲くように

2024-06-18 17:12:39 | 生涯学習



令和六年度忍小学校放課後わくわく学童くらぶに参加しました。一昨年に運営補助員に誘われ、月に2度の開催に参加していますが、なかなか都合が合わず、6月になって初めて参加できた次第です。梅雨入り前ですが、児童玄関には傘がきれいに並んでいます。

毎月の学校活動の目標です。落ち着いた生活をする。梅雨時期らしいテーマです。






6月の活動内容は絵手紙でした。デジタルツール全盛の中で、葉書などに手紙を書く機会が少なくなっています。実際に色鉛筆でかたつむりに色をつけ、書き足していくと筆も進みます。自分自身こうしてスマホやパソコンに入力ばかりで、実際にペンをもつ機会が減っていることがわかります。(反省を込めて)



わくわくクラブの時間が終われば、正規の学童へ引率しています。今年度から指導員としてきていらっしゃる松本先生は私の中学一年のときの担任の先生なんです!
今日は連絡を入れておいてためお会いする事もできました。
先生とは昭和60年、遠足にてつくば科学万博に行っています。40年近く経ち当時の思い出を話す機会が持てたのは夢のようなことです。何事も縁を大事に生きることの大切さを噛み締めています。


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防災体験学習~災害時中学生は避難所で何ができるか

2023-11-20 20:19:36 | 生涯学習

地元中学校にて家庭教育セミナーに参加しました。防災教育体験学習として行われ、テーマは「災害時に中学生は避難所で何ができるか」令和元年10月の台風の際、ここ忍中学校も避難所として開設されたことがあります。私はPTAの役員として参加しました。
主催は地元自治会も合同ということになり多くの参加者が集いました。
実際の中学校での避難所開設を想定して、全体の指揮運営は校長先生が行ってくださいました。防災の専門職の方を招聘せず、校長先生ご自身が工夫して指導する素晴らしい中学校です。
教育目標は「自ら学びともに鍛え未来を拓く」私が中学生時代から変わらぬ校訓「自治・共同・勤勉」の精神が脈々と受け継がれています。
取り組みの一つとして段ボールベットの作成です。令和元年の台風避難の際私も地元小学校へ家族と避難しました。一晩学校で過ごす際には毛布の配布がありましたが、床で横にならざるを得ず、非常につらい時間であった記憶があります。段ボール箱の中に「補強板」を入れ強度を増し、6個並べてひもで固定します。段ボールの上にブルーシートをかけ毛布を敷くと弾力と保温性が向上し、とても寝心地の良いものができました。
中学生の班は皆で寝転がってしまいます。取り組みの二つ目は非常食の調理です。アルファー米と呼ばれる乾燥米を水でもどして食べます。味を付けるためわかめご飯にしたり、ストーブで沸かしたやかんのお湯からも作ります。非常食というと缶詰や乾パンというイメージがありますが、水が確保できればこうしてごはん類も作成できることを知りました。5㎏のアルファー米に対して8Lの水(お湯)を加え約50人前のわかめご飯ができます。
出来上がったわかめご飯は塩気もあり十分おいしく食べることができました。
中学校の体育館で行われた今回の防災体験学習で最も強く感じたことは、世代間交流の大切さです。普段同じ地区で生活していても小中学校と地元住人との交流は非常に少ないのが現実です。一方公民館活動などを通じ、地元の高齢者の方は同世代で活発に生活していることがわかります。災害時に一緒になれば協力して助け合うことは勿論、こうした普段の生活でこそ交流の場を持つことが大事なのではないかと感じました。終了時の挨拶では自治会の方から、非常に楽しかった、中学生と一緒にできて本当に良かったとの声を頂きました。残念ながら共同で声をかけたPTAからの参加者ほとんどなく役員である私を除いてほとんどいらっしゃいませんでした。
このあたりに今の日本の閉塞感、もどかしさを覚えます。極端に少なくなった子供世代、子育てにや仕事に追われる現役世代、活力はあるが活躍の場を求めている高齢者世代。
「縦の糸、横の糸、織りなす布はいつか誰かを温めうるかもしれない」
こうしたことに多くの人が気づいてほしいと願います。
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人が人として生きること

2023-11-02 21:31:30 | 生涯学習

令和五年度行田市内5校合同人権教育研修会に参加しました。
行田市内忍中学校、西中学校管区の小学校三校を交えた合同の研修会です。今回で64回目を迎える伝統ある合同研修。私は忍中学校PTAとして参加しました。

講師は羽生市立川俣小学校の長谷川守先生でした。長らく行田市内の小学校で教諭として勤務され、埼玉県教育事務局にて人権教育をご担当、現在お隣羽生市にて校長先生を務められていらっしゃいます。
「権利」の反対は何でしょう?との問いから講演は始まりました。「義務」との回答が多く寄せられる中で、義務を果たさずとも権利はあります。「責任」を果たすことではないでしょうか。とのことでした。欧米圏では人権に対して「human right」としてとらえ、人として正しい道と教えられることが幼いころからされているといいます。
人権教育とは「自分の大切さと共に、他者の大切さを認めることができるようになること」だそうです。人権教育にとって大切なのは知的理解と行動との乖離を埋める「人権感覚」を養うことだといいます。

「人としてどうなの?」こうした疑問をもって他者と接することだといいます。これを時間をかけて育むこと。
「寛容」じっくりと水が染み込むように人としての道を歩むことができるようになることが大切なことです。
研修や学習の前提として「Learning PYRAMID」(ラーニングピラミッド)につて解説してくださいました。
学んだことをそのままにすると記憶に残るのは約5%。それが具体的体験があると75%まで向上します。
さらに記憶に残る方法は
「教える」ことだそうです。人に教えることによって90%が記憶されるといいます。

こうした手法は教育の現場だけではなく、ビジネス社会においても認識されてきていることで、新入社員が他部署の新入社員に研修で自分の部署の仕事を1年目から教えるトレーニングをします。実はこうしたマネジメント理論は広まりやすく、効率化が著しいところです。(ネット社会になってあっという間に広まります)
では人権教育はどうか。
行田市が人権尊重都市宣言を議会で採択したのが昭和48年。ちょうど50年前です。人権に関する課題はむしろ増えているといいます。今日明日ですぐに成果が出て解決するものではないのです。
今日よりも明日、明後日と少しでも良い社会となるよう取り込み続ける。着実な一歩と終わりなき前進こそが求められているのです。
人が人として生きること(行為の意味)宮沢章二先生の言葉が引用されています。
心は見えないが、心遣いは見える
思いは見えないが、思いやりは伝わる。
最後にガーベラの花言葉です。
常に前進しよう

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私の描く行田の未来

2023-10-07 21:32:54 | 生涯学習

令和五年十月三日、行田市民大学、市民大学同窓会合同講演会が市内教育センターみらいにて開催されました。
通常は歴史文化講演が多く、郷土の偉人や郷土史研究の発表が多いところですが、春の市長選以降市民大学同窓会の企画研修委員の会合の中で、是非新市長に行田の未来について語ってほしいとの意見が多く、早期に日程を抑え開催を実現しました。

行田市民大学は開設15年目を迎える市民のための市民の手による大学です。教育委員会、生涯学習課等市のご支援をいただいておりますが、あくまで自己運営です。今回学長に当たる行田市の首長に講演をしていただけるということで、多くの関係者が集まりました。

行田くに子市長は1965年岩手県生まれ。東京蒲田の小さな工務店で育ったそうです。幼いころの遊び相手は職人さんだったそうです。国際基督教大学を卒業後、電通入社。広告代理店などを経て2007年民主党の小沢一郎氏に請われ、埼玉県選挙区にて参議院議員選挙に当選します。全くの落下傘候補でした。

安倍政権下の参議院質疑で、土地の所有権問題を取り上げ、尖閣諸島が外国人でも買うことができる事態を指摘し、その後所有者のいない国有離島を速やかに国有財産とする法案へと繋がります。2010年頃のことです。当時大きく新聞にも取り上げられ大変話題になりました。現在の行田市の人口は78550人(令和5年4月現在)。減少傾向は止まりません。国道17号のバイパスの高速道路化、雇用創出、小中一貫校による英語教育の推進、企業誘致。掲げる政策は大きく変わらないでしょう。これをどう実現するか。要望を具体的にまとめ、県や国に要望、折衝し目途を付け実現する。すぐに実現できるとは限りませんが、市のかじ取りは始まったばかりです。

私たち市民大学と同窓会は市政運営について注視しながら、市民の立場で提言しより良い町となるようこれからも活動していきます。
私の描く行田の未来
みなさんと一緒に
私たちもそのひとり一人です。
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特別史跡 さきたま古墳群~いかにして守られてきたか~

2023-01-19 21:24:13 | 生涯学習

令和五年一月度行田市民大学、市民大学同窓会の合同講演会が開催されました。会場は行田商工会館4階、年に一度の合同開催ということで120名近くのご参加を頂きました。市民大学では1,2年生ともさきたま古墳に関する講義があります。郷土史に関する知識として、行田市民の皆さんにより詳しく知ってほしいとの願いから、今回改めて合同企画としてさきたま古墳に関する講演となりました。講師はさきたま史跡博物館主幹学芸員である佐藤康二先生です。

令和二年三月埼玉古墳群は全国で63番目、古墳群としては67年ぶりの3例目として令和初の特別史跡に指定されました。特別史跡とは「史跡のうち学術上の価値が高く、わが国文化の象徴となるもの」とされ有形文化財でいえば「国宝」に相当します。古墳公園として整備され、多くの来訪者を迎える現在ですが、昭和初期においては古墳の維持どころか破壊の危機を迎えていたそうです。また国宝稲荷山古墳出土「金錯銘鉄剣」はいくつもの偶然が重なって発見された経緯があります。そうした私たちの知らない埼玉古墳の歴史を掘り下げながら、また市民大学の講義にふさわしい内容として取りまとめていただきました。

さきたま古墳は軍は5世紀から7世紀中ごろにわたって作られた古墳群で前方後円墳8基、円墳一基から構成されています。前方後円墳については内堀と外堀の二重構造であることがと特徴で祭壇と呼ばれる造り出しの部分が西側にあります。南北900M東西400Mの広さを誇りながら、150年近くにわたり連続して造営されたことから、古墳と古墳の間は非常に接近した作りになっているのが特徴です。また前方後円墳の向きは基本的に同じ方向を向いています。

昭和42年国の「風土記の丘」整備事業に伴い発掘調査が行われたのが稲荷山古墳で、当初横穴式石室と思って調査を進めていたところ、埋蔵施設にたどり着かなかったため、上部からの発掘に切り替えたそうです。そこでは粘土槨と呼ばれる部分はすでに盗掘にあっていたことがわかっていましたが、隣の礫郭部分は偶然にも盗掘にあっていなかったそうです(全くの偶然)。実は全国の古墳の90%以上はすでに盗掘にあっていて、同じ古墳で隣の郭部分が未盗掘であったことは調査でも珍しいそうです。

また金錯銘鉄剣については出土昭和43年ながら当初金錯銘があったことに気づかず、錆の腐食防止を奈良県の文化研究所に依頼したところX線調査でたまたま文字に気づいたそうです。その間10年間はひっそりと展示室の片隅に置かれていたそうで、これも鉄剣の浸食がもし進んでいなければ知られなかったかもしれないということです。また当時のこの大発見については埼玉県庁発表するはずであったところ、1978年9月20日の毎日新聞によってスクープ記事として取り上げられることとなりました。(この大スクープを上げた記者は後にメディア論の専門として大学教授に上り詰めています)

将軍塚古墳からは渡来系の副葬品が多数出土していて馬冑は全国で3例しかありません。

今日の講演で最も心に残ったのはさきたま古墳群の整備の歴史についてです。

昭和5年から昭和43年までの変遷が貴重な航空写真での対比から詳しく解説されまた。

満州事変の前年である昭和5年(1930)当時戦時高揚と食料増産体制から農業地確保のため多くの干拓事業が推し進められています。その際に運ばれた土の出所が稲荷山古墳でした。文化財保護法もない時代です。日本の古代史を紐解く鉄剣が眠る古墳そのものが姿を消す可能性が大いにあったということです。そこで昭和14年当時のさきたま村が古墳保存会を立ち上げ、地元の要望が出たことから国史跡へと指定がなされ、昭和42年国の「風土記の丘」整備事業の一環として埼玉県へと管理が移行します。

現在のさきたま資料館に金錯銘鉄剣は保管展示されています。東京の国立博物館ではなく、地元に展示しようと働きかけたのは当時の埼玉県知事畑和氏であったといいます。

多くの地元の方の熱意によって今日のさきたま古墳があることを市民大学の皆さんと共有できた、心に残る貴重な講演会となりました。

司会者席からそんなことを思った1日となりました。

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