「埼玉の神社」(埼玉県神社庁監修)によれば行田市内の神明社は二社しかなく、旧南河原村の馬見塚と中里の沼尻に鎮座する。両社とも旧村社で各々ささらや小高盛りといった古くからの神事が伝わり、地区の鎮守様となっている。新町通りを過ぎて、さきたま古墳の手前地元の銘酒川端酒造の少し先に小さな鳥居が建っている。「佐間神明社」と刻まれており細い参道を抜けると立派な神明造りの社殿が見える。
天照大神を祀る神明社は各地に残るが、明治の合祀政策でより大きな最寄りの村社に合祀されたところが多いと考えられる。恐らくここ佐間の神明社は佐間天神社に合祀されたのだろう。御祭神は大日婁貴命(おおひるめむちのみこと)天照大神の別称でおそれ多いことからこう呼ばれていると考えられている。
三連の幣束は三貴神を表しているのではないかと思う。こうした維新後の合祀政策で登記上合祀されながらも、その飛び地として旧来の神社を祀ることは多い。同じ地区であっても字が異なれば守ってきたお社も違いその信仰は時代を越えて受け継がれる。同じ行田地区では若小玉に同じように宅地に囲まれる様に神明社が建つ。祭事は昔からのとなり組で奉仕するらしい。
戦後の神社本庁中心とした地方の神社の登記整備はある程度の歪みを産みながらも現在へと繋がる。大事なのは氏子、参拝者の崇敬の念を守りながら礼拝施設として維持されていることだ。
美しい神明造りの千木と鰹木を拝みながら、こうしたお社が次世代へと受け継がれることを願っている。