皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

埼玉古墳見学②

2017-06-29 21:49:34 | 生涯学習
稲荷山古墳です。古墳の上に稲荷神社があったことに由来します。学校の教科書にも常に記載がある、もっとも有名な古墳です。5世紀後半の築造で、古墳群のなかでも古い部類になります。昭和43年の発掘調査で埋葬施設が発見され、さまざまなな出土品が見つかりました。一部が崩されていたことを理由に発掘されましたが、埋葬施設は未盗掘だったと言われます。礫槨と呼ばれる埋葬部分の上に稲荷神社があったため、賊が入らなかったのではないかと考えられています。また、鉄剣の出土は昭和43年。銘文の発見はその10年後昭和53年です。そう、出土当時は銘文には勿論気づかす、保存処理のため錆びを落とす過程で、X線をかけたところ115文字の輝く金錯銘文が浮かびあがったそうです。発見場所は奈良県でした。発見した学芸員は飛び上がって驚いたことでしょう。
辛亥の年は471年とされ、オワケの臣。ワカタケルの大王に仕えた事が記されています。歴史の教科書ではこのワカタケル大王を21代雄略天皇として大和政権の支配がここ武蔵国まで及んでいたとされています。雄略天皇は古事記、日本書紀に記述があり、また中国の『宋書』倭国伝に遣いを送った「倭王武」とされます。(この送った年が478年)
古事記が記された250年も前の時代、今から考えると、1500年以上前の時代にの日本のことがはっきりと刻まれています。博物館でみた実物は本当に輝いていました。稲荷山古墳山頂です。実際の礫槨がどの位置から出土したのか展示がされています。竪穴式石室であったと説明がありました。礫槨は古墳中央部ではなく、端の方にあったとされます。近年の調査で更に埋葬施設がある可能性も指摘されています。古代史跡研究も日々進化しているのです。最後に将軍山古墳です。全長90m。稲荷山を一回り小さくした形です。六世紀後半の築造で、稲荷山と100年違いますが、構造はそっくりだそうです。平成9年に復元され、石室内部を見せるよう展示館がつくられています。子供の頃にはなかった施設で初めて見ることができました。噴丘の崖の断面が見れ、また石室は再現ですが、ひいてある石など実物です。千葉の房州石が運ばれてきており、支配勢力の広さを表しています。
半日の見学でしたが、改めて行田の歴史の長さに直接触れることができました。グループ研究の題材は市内の神社の系譜に決まり、帰りには前玉神社に参拝。田島宮司に夏休みに正式参拝後、神社についての説明をいただけるようお願いして、御朱印をいただいて帰りました。明日は水無月の大祓。そして初山を迎えればいよいよ七月です。
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第6回講座は埼玉古墳見学①

2017-06-29 20:02:51 | 生涯学習
行田市民大学第六回講座はさきたま古墳見学です。二週続けて参加する事ができました。さきたま史跡博物館にて、学芸員の方の説明を聴いてから、古墳を巡る事ができます。歴史好きには最高の企画です。欠席のかたもちらほら見受けられましたが、今日も40名を越える参加者でした。
博物館二階の講義室です。埼玉古墳の特徴について説明があります。現在ある古墳は前方後円噴8基、円噴1基、小型円噴10基が検出されています。
特徴として
①前方後円噴の主軸方位が一致している。(向きが揃っている)
②古墳間が極めて狭い。
③二重の堀で囲まれている。(丸墓山を除く)
④丸墓山古墳は国内最大の円噴。
⑤稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣は国宝に指定され、古代大和政権の勢力が武蔵の国まで及んでいたことを証明する歴史上の手掛かり。
などがあげられます。
冷房の効いた博物館を出ると、正に炎天下。日傘をさす方も見受けられます。出てすぐに見えるのが瓦塚古墳です。六世紀中頃の古墳です。
道路渡ってすぐのところ、右側にあるのが、愛宕山古墳です。古墳群の中でもっとも小さい前方後円噴です。学芸員の方はこの古墳が一番気に入っているそうです。
実は昭和43年稲荷山古墳の発掘を行うさい、本当はこの愛宕山を掘る予定が(もっとも小さいため)、一部発掘の跡があった稲荷山を掘ったところ、鉄剣が出土したそうです。偶然の産物といったところです。
小円噴跡です。ゴールデンウィークにはここで火祭りが行われます。
下から見る丸墓山古墳です。先週のツアーでは石田三成が陣を張ったとの説明がありました。
日本一の大きさを誇ります。直径105m高さ18.9mあります。先週は代表して一人でのぼりました。丸墓山古墳がこれだけ大きな円噴なのは古代史の謎だそうです。前方噴を造る途中であった説もあるそうですが、学説は確立されていないそうです。また築造年代は六世紀前半で、稲荷山とここ丸墓山までが竪穴式石室を持つと言われています。但し丸墓山の発掘調査は今のところされていないそうです。先週にも書きましたが、発掘しても保存する技術が伴わない限り、文化庁は発掘を認めないスタンスであり、発掘と破壊は常に隣り合わせの関係であると説明がありました。
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そしてタイガーマスク

2017-06-29 00:42:08 | 生活
人は何かを背負い、何かを求め歩いていく。時に走り、時には立ち止まり。リングで颯爽と舞う日よりも伊達直人として、多くの優しさを届ける日常の方が多いのだろう。
走れタイガー。未来のために。戦えタイガー。子供たちに勇気を届けるために。そんなあなたをいつも応援している。
ところであなたは誰ですか。家の畑の前の通りを忘れた頃に走っているけれど、子供が気になって仕方ないようです。田んぼの緑とタイガーの黄色がコントラストになっていました。
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皿尾城の歴史⓸

2017-06-26 21:38:49 | 皿尾城の空の下

【久伊豆大雷神社裏手=皿尾城土塁跡か】
皿尾城川田谷忠朝の援軍に駆け付けたのは、岩付城主太田資正でした。太田資正は上杉謙信からの信任も厚く、武勇に秀でた武将であったといわれています。ある歴史講座にて、太田資正は真田昌幸のような知略家であったと聞いたことがあります。
『成田記』巻三『皿尾砦』の項の続きでは「太田が軍勢真知近く迫り鯨波を揚げて馳せ来れば、寄せ手の勢大に驚き、(略)忍の勢ハ度ヲ失ひ崩れ立て敗大将長泰城に引事能ずして西を指して逃退き(略)其夜は荒川二陣を据、翌備を全うして大宮口より入城しけり」と表記されています。成田長泰にとって
屈辱的な敗戦であったことが読み取れます。
その後永禄12年(1569)越相同盟によって皿尾城の木戸氏による支配は終わります。羽生城主広直繁が館林城を拝領し弟、木戸(川田谷)忠朝が羽生城主となったからです。あくまで当時の政治的策略によって皿尾城は上杉の勢力下から離れることになるのです。
その後皿尾城が歴史の舞台に登場することはありませんでした。上杉に最後まで忠義を尽くした木戸氏ともに、消えゆく運命にあったのかもしれません。

歴史書においてここ皿尾城において忍勢と羽生勢が争ったことは伝えられています。
遥か時を超えその時代に生きた人々の息遣いが聞こえてくるようです。
皿尾城の空の下、今日もゆたかな緑が大地に広がっています。
参考文献 高鳥 邦仁『歴史周訪ヒストリア』(まつやま書房)
     行田市史 資料編 古代中世
       同  別冊 『成田記』
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武蔵の国の筆比べ

2017-06-25 19:12:45 | 日記
埼玉県小学校書写展覧会に出展していただきました。越谷の会場に家族で見に行きました。(私は仕事ですので勿論行けませんでした)三年生の弟の方が行田支部で代表にしていただきました。毎年県展覧会を目指して毎晩遅くまで、練習していました。書道教室でもよく稽古していただきました。
残念ながら六年生の姉は、最後の年も県展には選ばれず弟の作品を見に行きました。本人の作品です。癖がなく、真っ直ぐに書けていると思います。入間の県知事賞受賞作品です。非の打ち所ない完成した作品です。
県知事賞筆頭に、さいたま市長賞、埼玉県教育委員長賞、など賞にも序列があるようです。スポーツでは決勝、ベスト4、ベスト8等になるのでしょうか。熊谷市の作品です。どれも力強く、しっかりとした字体です。大人でもこれ程上手に書くことは難しいと思います。尚出展作品は公開、公表することを事前に承諾しています。
家族念願の県展に出たことはとてもよかったと思いますが、それ以上に嬉しかった事がありました。
行田支部の代表になれなかった六年生の姉が、市内審査終了後指導していただいた先生方に自分からお世話になりましたと挨拶していたことです。
本人が一番悔しい思いだったにもかかわらず、最後まで礼を尽くしていたことを学校の先生から聞きました。
それ以来、娘の姿が観音様のように写ります。今日も笑顔で展覧会を見てきたようです。書は人柄を表すと言います。真っ直ぐに、力強く、そして礼を欠かさずこれからも精進して欲しいと思います。
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