皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

鴻巣市人形 八幡神社

2021-09-29 22:11:31 | 神社と歴史

旧中仙道を鴻巣市の駅前を過ぎて北本方面に走ると、多くの雛人形店が立ち並ぶ。その街道沿い、上谷新田は現在の地名が鴻巣市人形。天宝年間(1644ー48)にかけては上谷村と称した。

現在の境内地には人形町の自治会館がたっており、地域の中心部であることが伺える。
『風土記稿』によれば浅間社、天王社、稲荷社、八幡社が記され、いづれも金剛院の敷地に祭られていたという。

金剛院は京都智積院の末寺、真言宗の寺院で、中興の祖とされる海栄が、文禄元年(1592)に宇佐八幡宮に参拝し分霊を戴き当地に勧請したと伝わる。

時代が下り明治期の神仏分離政策により金剛院の管理を離れ、社各制度では無各社の扱いとなる。明治四年上谷新田は上谷村に合併し、村社は旧上谷村の氷川神社となるが、合祀を回避するため、氏子総代等が北足立郡役所に「八幡神社存置願い」を上申し聞き入れられた結果、現在に至る。御一新による神社の合祀政策は廃藩置県と並ぶ新政府の重要政策で、各村の租税管理や制度設計にあたり、社各制度を用いて各村の統制を図ることから、地域によっては反発も大きかった。殊に合祀によってお社を失いかねない村区域は、制度に反対するところも多かったという。
 祭りは元旦祭、厄よけ祈願祭、浅間祭、夏祭り、例大祭等である。
厄よけ祈願祭の「お獅子様) は騎西の玉敷神社から借り受け村回りをしたという。
浅間社が現在の神社境内地に移されたには平成になってから。記念碑も建っている。
「風土記稿)によれば化政期(1804ー30)における当地の家数は六十戸。中仙道に軒を並べ農業閑静期に雛人形を製造し商いとしていた。「鴻巣雛」として名声を博していった頃である。
雛人形の歴史は古く天正年間(1573ー92)に京都から伝わった土偶製造技術が後に練り物による小雛製造へと変化していったという。現在鴻巣市天神に鎮座する生出塚神社には天満天神座像が伝わっており、その胎内に納められていた木片の墨書きには京都五条烏丸通りの大仏師、左京法眼の弟弟子、藤原吉圀が貞享四年(1687)に鴻巣町で作ったと記されている。

寺社の管理、宇佐八幡からの分霊、古く鴻巣雛人形の発祥を伝える貴重な神社で、現在も本殿の向きは中仙道を望むように西向きに建てられている。もう一つの「西向き八幡」は市内の喧騒を離れ、北本への玄関口に佇んでいる。
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マリーゴールド

2021-09-27 23:36:49 | 心は言葉に包まれて

風の強さがちょっと 心を揺さぶりすぎて
真面目に見つめた 君が恋しい
 
でんぐり返しの日々 可哀想なふりをして
だらけてみたけど 希望の光は
目の前でずっと輝いている 幸せだ

麦わらの帽子の君が 揺れたマリーゴールドに似てる
あれは空がまだ青い夏のこと 
懐かしいと笑えたあの日の恋

『もう離れないで』と
泣きそうな目で見つめる君を
雲のような優しさでそっとぎゅっと
抱きしめて 抱きしめて 離さない


子供の頃幼稚園の夏には麦わら帽子をかぶっていた。青い空と夏の暑さに麦わら帽子はよく似合う。麦わらの帽子の君がマリーゴールドににてる。初めて聞いたとき、はっとした。子供の幼稚園の姿が思い出された。さらには自分の子供のころにまで思いが遡った。
自分も麦わら帽子をかぶって夏の空下駆け回っていた。


本当の気持ち全部吐き出せるほど強くはない
でも不思議なくらいに絶望は見えない

目の奥にずっと写るシルエット 大好きさ
柔らかな肌を寄せ合い 少し冷たい空気を二人
かみしめて歩く今日という日に 何と
名前をつけようかなんて話して

ああ I love you の 言葉じゃ足りないからとキスして
雲がまだ二人の影を残すから
いつまでもいつまでも このまま

遥か遠い場所にいても
繋がってたいなあ
二人の思いが同じでありますように

麦わらの帽子の君が
揺れたマリーゴールドに似てる
あれは空がまだ青い夏のこと
懐かしいと笑えたあの日の恋

『もう離れないで』と
泣きそうで見つめる君を
雲のような優しさでそっとぎゅっと
抱きしめて 離さない

この夏の始めにマリーゴールドを育て始めた。ずっとこの歌が好きだったからだ。
夏が過ぎ 秋になっても鮮やかな黄色い花を次々と咲かせてくれる。
生命力とは何かを生み出すちからのことのようだ

ああ I love you の言葉じゃ
足りないからとキスして
雲がまだ二人の影を残すから
いつまでも いつまでも このまま

離さない
ああ いつまでも いつまでも 離さない

花手水のマリーゴールドは観る人に力を与えてくれる
いつまでも いつまでも このまま
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SDGSと三方よし

2021-09-25 22:36:15 | 物と人の流れ

『三方よし』とは江戸時代に活躍した近江商人が大事にした考え方で現在でも多くの企業が受け継いでいるという。学習机で有名な小泉産業(大阪)地元行田では清酒日本橋を販売する横田酒造、そして『better Life with community』を社名の由来とするスーパーマーケットのベルクなど企業の業種、規模を問わず多くの企業が存在する。
今でも長男の学習机はkoizumiで、神社の祭事の折りには清酒日本橋が奉納され、日常の買い物にはBelcへ足を運んでいる。
三方とは売り手、買い手、そして世間のことで、それぞれにとってよいことを商売の目的とする。
売り手よし=自社の黒字経営、社員教育
買い手よし=商品の品質安定、高利を求めない姿勢
世間よし= 環境保全などの社会貢献、伝統産業、文化財保護
この『三方よし』の考え方が国連の標榜するSDGS=持続可能な開発目標に共通する理念として世界的に注目されているという。

近江商人とは琵琶湖周辺の出身者で,中世から近世にかけ活躍した、日本三大商人の一つである。(残り二つは大阪商人と伊勢商人)通常近江から離れて商売し、地元に残ったものは『地商い』といって区別した。
地元産の麻布を売り歩く一方、現地で魚や昆布を仕入れ商いを展開している。見知らぬ土地で信頼を築くため、土地の人々を大事にしたのが特徴だという。

その土地ごとに橋をかけたり、寺社へ寄進したりするなどして受け入れられていったという。ただし『三方よし』というのは後に研究者がつけた造語だという。
近江商人はその商いの目的を事業拡大ではなく、事業の継続性に求めたという。言うなれば『儲けること』ではなく、『続けること』
結果時代が流れても多くの企業が残ったという。
持続可能な開発目標を掲げる国連の考え方に合致し、世界的な注目を集めている。
自分の勤務する会社にも『商売六訓』という企業理念が存在する。まさしく近江商人の三方よしに繋がる考えであり、この理念に基づいて行動することが求められている。
一、損得よりも善悪を優先しよう
二、お客様の立場にたって物事を考えよう
三、働いている従業員も、健康で幸せになろう
戦後の個人主義優先の思想が広がるなかで、所謂『世間体』という表現に後ろ向きな考えが広がっていった。自由主義の行き着く先は実は日本の近世、あるいはそれ以前からの考え方、誰が見ていなくても『お天道様が見ている』と言った正直、誠実の思想に回帰している。神道も商売もすべて繋がっているのだろう。
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駅からの帰り道

2021-09-22 23:26:21 | 日記

平日8時過ぎになると、駅のロータリーは帰りを待つ送迎車で込み合う。かくいふ我が家も毎日のように迎えに出ている。北埼玉の各市町村のとって、東京へと向かう高崎線、宇都宮線は生活を支える主要鉄道。駅前の開発がそれぞれ差があり、まちづくりに対する市町村の考え方が出るように思う。いいか悪いかは別として。

高校生ともなると学校での出来事など、そうそう家で話す時間もないが、迎えの車のなかでは機嫌がよければそれなりに会話も盛り上がる。友人のことや、勉強のことなどあまり話題にならないが、学校での様子を聞くことができると非常に面白い。
校内には自販機が2台あるそうで、お昼休みや下校時など多くの生徒が利用しているそうだ。一般的に自販機の飲み物と言えば、コカ・コーラやSUNTORYのシェアが高いように思う。もちろん伊藤園やアサヒ飲料などメーカー各社が、売り上げを伸ばすために設置場所や商品で過当な競争を繰り広げている。長女の通う高校の自販機はキリンビバレッジ。珍しいなと笑うと、人気商品はKIRINメッツだそうだ。しかも500mペットボトルで100円とお買い得価格。自販機脇のゴミ箱にはメッツのペットボトルが溢れているという。KIRINメッツは強炭酸のさっぱり味で自分も若い頃よく飲んでいたと思う。コンビニなどにはあまり品揃えがなく、商品によっては自販機専用もあるらしい。三十年前の自分の高校時代を思い出す。売店の小松ベーカリーのツイストドーナツが好きだった。

親子にしろ、夫婦にしろ同じ屋根のした暮らしていると、会話も乱雑になったり、言わなくともわかるだろと言った感覚に陥りやすい。会話を楽しむ方法の一つに、向き合うのではなく、同じ方向を向くというのがある。向き合っていると相手のことがみえすぎてしまう。些細なことに余計な気がいったり、考えを押し付けたりもするだろう。ところが忙しいなかでも同じ方向を向き、同じ目的があると、考え方に共感したり、相手の考えを受け入れやすいように思う。もちろんこちらの思いも口にしやすい。
向き合うのは自分自身。そばにいる相手とは同じ方向に向かって歩くのいがいい。
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百日紅の花言葉

2021-09-17 21:40:08 | 生活

古代ローマ時代ギリシャ神話に於いて自然界を司る神々が信じられ、翻って日々の暮らしのなかで毎年決まった時期に芽吹く木々や
花には神からの神秘のメッセージが宿ると考えられていた。生まれた月日に『誕生花』があり、紐付けられるように象徴する『花言葉』が生まれた。花言葉自体は明治の初期イギリスから伝わったという。
『百日紅』さるすべりはその枝が成長するごとに皮が向けつるつるの表面になることから其の名がついた。弦植物に巻かれないように進化した独特の木。花言葉は『愛嬌』『不用意』。これは日本に於いての花言葉で猿も木から落ちおるという諺にちなんだものだ。

『あなたを信じる』
百日紅と名付けられた花言葉は悲しい逸話に由来する
 ある娘を救いだした王子は『百日後には必ず戻る』約束して旅に出る。旅から戻った時には娘は亡くなっていたという。悲しみにくれる王子が娘の墓にお参りすると、墓からは木が芽生え、紅色の花を咲かせ百日間その姿を保ったという
百日紅といわれる由縁であるという。花言葉は
『あなたを信じる』
百日紅はその花言葉の由来から庭の植木には向かないという。いわゆる凶木とも言われたりもする。寺社に植えられることも多い。
我が家には今鮮やかな百日紅の花が咲く。聞いたところ三十年以上前に母がその花の艶やかさから凶木という気兼ねもなく植えたそうだ。
 百日紅は八月二十九日の誕生花。
 私の一番大切な人の誕生日。縁は繋がっているものだ。
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